新たな歩み、勇者の隣に
ざわめきの熱がようやく静まり、広場には余韻のようなざらついた空気が残っていた。
砕けた結界の破片は消え去ったはずなのに、人々の視線はまだ僕に釘付けになっている。
「真の勇者だ……」
「聖剣が選んだのは、彼なんだ……」
囁きは次第に確信へと変わり、群衆の表情には尊敬と期待が宿っていた。
裾をぎゅっと握る指が震え、胸は苦しいほどに高鳴る。
僕なんかが……こんなふうに見られるなんて。
視界の隅で、旧勇者パーティの姿が見えた。
クライドはまだ膝をついたまま、虚ろな目で僕を睨み続けている。
リディアは蒼ざめ、口を開いては閉じるばかり。
セリオスは眼鏡の奥で何度も首を振り、理屈を探そうとしているのか唇を噛みしめていた。
ガルドだけが拳を握りしめ、悔しそうに視線を逸らしている。
誰も、彼らの隣に立とうとはしなかった。
群衆はもう彼らを“勇者の仲間”と呼ぶことをやめていた。
「ナギ様……!」
声がして振り返ると、そこにはフィオナたちがいた。
彼女は濡れたマントを翻し、優しく微笑む。
ドランが腕を組んで豪快に笑い、リィナは呆れたようにそっぽを向きながらも耳まで赤い。
セレスは肩をすくめ、皮肉混じりに小さく頷いた。
その姿を見た瞬間、胸の奥が温かくなる。
僕は一人じゃない。
「こんなはずはない……」
リディアの震える声が、広場に虚しく響いた。
清楚な顔立ちに似合わぬほど目は血走り、嫉妬と焦りがその声を歪める。
「勇者様の隣に立つ資格は、この私のはずなのに! どうしてあんな子が……!」
彼女の叫びに、群衆は冷ややかな視線を送るだけだった。
その反応に追い詰められたリディアは、必死に裾を握りしめながらクライドの背へ縋りつく。
一方、セリオスは眼鏡を押し上げ、低い声で繰り返した。
「理屈に合わん……。剣は勇者にこそ応えるはずだ……。“女の心”など非科学的な概念で……いや、そんなはずは……」
知識を誇ってきた男の言葉は、自らを支えていた論理の崩壊で震えていた。
ガルドは拳を強く握りしめ、俯いたまま動けなかった。
「……すまねぇ、ナギ……。あの時、お前を追い出すのを止められなかった……」
低く漏らした声は悔恨に満ちていたが、それはもう誰にも届かない。
そして――クライド。
彼はなおも膝をついたまま、顔を歪め、唇を震わせていた。
「俺が……勇者だ……俺しかいない……! 俺を見ろ! 俺に跪けぇぇぇっ!」
掠れた怒号は、哀れみと嘲笑を誘うだけだった。
群衆の間から冷たい声が飛ぶ。
「もう終わりだ」
「偽りの勇者に従う者はいない」
その一言が、クライドたち旧勇者パーティの威信を完全に崩した。
広場の中心に立つ僕のもとへ、仲間たちが自然と歩み寄ってきた。
まだ群衆の視線が痛いほど刺さるけれど――彼らの存在が、背中を支えてくれる。
「ナギ」
フィオナがそっと僕の袖を握り、優しい声を落とす。
「大丈夫。私たちがいるから」
その眼差しは、雨上がりの空のように澄んでいて、胸の奥にすっと沁み込んだ。
「そうだそうだ!」
ドランが豪快に笑い、肩をばんと叩いてくる。
「お前はもう勇者だろ! 聖剣が認めたんだ、遠慮するな!」
痛いくらいの力なのに、不思議と温かい。
「ちょ、調子に乗るなよ……!」
リィナが顔を赤くして横を向き、腕を組んだ。
「べ、別に認めたわけじゃないけど……その……仕方ないわね」
ツンと澄ました声とは裏腹に、耳の先まで真っ赤なのが可笑しくて、思わず頬が緩む。
「ふむ」
セレスは肩をすくめ、冷ややかに言った。
「統計的に見ても、君の存在がパーティの価値を跳ね上げたのは事実だ。……まあ、からかい甲斐があるのも悪くない」
皮肉を混ぜながらも、どこか柔らかい声音。
僕は涙が込み上げそうになり、裾を握る指に力を込めた。
「……僕、一人じゃないんだ」
小さく零したその言葉に、仲間たちが頷いた。
胸の奥がじんわりと熱を帯び、青い瞳にまた新しい光が宿る。
勇者として歩む道は、不安だらけかもしれない。
でも――僕には、仲間がいる。
群衆の熱はまだ収まらない。
けれど僕の耳に届くのは、仲間たちの声と――胸の奥に響くもうひとつの声だった。
『……ナギ。忘れるな。聖剣はお前一人を強くはせぬ。
仲間と共に歩む時、この刃は真の力を示す』
ブレードさんの声は、静かで、それでいて確信に満ちていた。
僕は小さく頷き、濡れた前髪の奥でそっと微笑んだ。
「……うん。僕は一人じゃない」
その瞬間、広場の端から威厳ある声が響いた。
「――新たな勇者よ!」
人々が振り返ると、王城の紋章を掲げた使者の一団が現れていた。
金と白の衣を纏い、騎士たちを従えたその姿は、群衆に即座に静寂をもたらす。
「国王陛下は、新たに聖剣に選ばれし者をお呼びだ」
「……勇者ナギよ。王城へ参られよ」
どよめきが再び広がった。
旧勇者パーティの顔が絶望に染まる中、群衆は熱狂的に叫ぶ。
「聖剣の勇者だ! ナギを王城へ!」
戸惑いと緊張で喉が詰まる。
でも、隣にはフィオナが微笑み、ドランが肩を押し、リィナが赤い顔で腕を組み、セレスが冷静に頷いている。
僕は深く息を吸い込み、エルセリオンを胸に抱いた。
「……はい。僕、行きます」
こうして――“偽りの勇者”が失墜した夜、僕たちの新たな旅路が王城へと繋がっていくのだった。




