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勇者の影、広がるざわめき

 石畳の街路に、夕暮れの橙が差し込んでいた。

 昨日――僕が聖剣エルセリオンを抜いたことは、もう隠しようもなく王都中に広まっていた。市場の人々は僕を見ると口元を覆い、囁き合う。

「女神のようだった」

「いや、女みたいで気持ち悪い」

 賛美と嘲笑、両極端な視線が僕に突き刺さる。


 裾をぎゅっと握り、僕はうつむいた。華奢な肩が小さく震え、雨に濡れたような黒髪が頬にかかる。まるで少女の横顔のように見えてしまうことが、また人々のざわめきを誘った。


 隣には聖剣エルセリオン――通称「ブレードさん」が静かに浮かび、低い声で囁いた。

『……恐れるな、ナギ。お前が選ばれし者だ』


「で、でも……」

 僕は細い指で剣の柄をぎこちなく握りしめた。

「僕なんかが勇者だなんて……信じられないよ……」


 そんな僕の耳に、新たな噂が飛び込んできた。

「元勇者クライドが、広場で演説をするらしいぞ!」

「聖剣を抜けなかったのは“罠”だったと主張してるんだと!」


 胸の奥がきゅっと縮む。

 彼が、まだ勇者を名乗る気でいる――?


 風がひゅうと吹き抜け、外套の裾が揺れた。

 僕は視線を上げ、夕焼けに染まる広場の方角を見つめた。

 そこにいるのは、かつて僕を追放した人たち。

 そして、今もなお僕を否定し続けようとする人たち。


 胸の奥で、何かが静かに熱を帯びていくのを感じた。


 王都の中央広場には、すでに人だかりができていた。噴水の縁や石段までびっしりと民衆が集まり、前方の演壇に視線を注いでいる。

 そこに立つのは、かつての「勇者」クライドだった。


 金髪をかき上げ、胸を張り、声を張り上げる。

「聞け! 聖剣が選んだのは――決して、あのナギなどではない! あれは古代の罠、偽りの光にすぎん!」


 広場にざわめきが広がる。

「でも見たぞ、確かに剣が抜けてた……」

「女みたいな子だったが……あの光は本物じゃ……?」


 民衆の声に、クライドはさらに大声を張った。

「黙れ! 勇者は俺だ! 俺こそが神に選ばれた存在だ! あんな女の子ぶった小僧にできるものか!」


 彼の言葉には焦りと苛立ちが混じっていた。

 リディアは傍らで扇を広げ、冷ややかな笑みを浮かべる。

「勇者様のお言葉を疑うなんて、無礼ですわ。あの子はただ、見た目だけ取り繕った――哀れな偽物」


 セリオスは眼鏡の奥から鋭い視線を走らせる。

「合理的に考えても不自然だ。女の心? そんな曖昧な定義で聖剣が反応するなど、ありえん」


 そして、ガルドは腕を組み、険しい顔で黙り込んでいた。彼だけは、何か言いたげに口を開きかけては閉じる――そんな迷いを隠せずにいる。


 広場に集まった人々は、半信半疑のままざわめきを強めていった。

「どっちが本物なんだ……」

「でも、聖剣が光ったのは確かに……」

「いや、勇者様が言うなら……」


 熱気と疑念が入り混じる空気。

 そのざわめきの中、僕は群衆の端に立っていた。外套のフードを深くかぶり、裾をきゅっと握りしめる。

 青い瞳に映るのは、僕を切り捨てた人たちの姿。

 胸の奥が痛い。でも――逃げたくはなかった。


『……ナギ。耳を塞ぐな。お前が感じた痛みは、真実を照らす炎になる』

 ブレードさんの声が、静かに響いた。


 僕は震える指で柄を握り直し、深く息を吸い込んだ。

 いずれ、この場で――逃れられない対決が待っている。


 ざわめきが広がる広場。その中心に立つクライドの姿を、僕はフードの奥からじっと見つめていた。胸の奥は痛むけど――もう逃げない。

 震える指で裾を握りしめ、息を吸う。

 そして、意を決して一歩を踏み出した。


 石畳に靴音が響いた瞬間、人々の視線が集まる。

 フードを下ろすと、雨上がりの光に濡れた黒髪が頬に張りつき、青い瞳が淡く光を返した。

 その姿に、誰かが息を呑む。

「……女の子、みたいだ……」


 心臓が早鐘を打つ。視線に刺されて頬が熱くなる。

 でも、逃げない。


「……クライド」

 僕の声はかすれていたけれど、広場に届いた。

 クライドがこちらを振り向き、青ざめた顔で叫ぶ。

「な……貴様、まだ生きていたのか! いや、偽りだ! その剣は……!」


 僕は静かにエルセリオン――ブレードさんを掲げる。

 刀身が淡い光を放ち、群衆のざわめきが一瞬にして凍りついた。


『怯むな、ナギ。声を出せ。剣は、お前の心に応える』


 ブレードさんの声に背を押され、僕は細い指で柄を握り直す。

 胸の奥から、自然に言葉があふれた。


「……勇者だからって、好き勝手していいわけじゃない。僕なんかでも……守りたいものがある!」


 その瞬間、エルセリオンが脈動し、光の奔流が迸った。

 広場の空気が震え、クライドがたじろぐ。

「な、なんだ……この力は……!」


 刀身から零れた光は、やがて半透明の翼のように広がり、僕の背に重なった。

 ただの演出ではない。光の羽ばたきとともに、聖剣の加護が大気を切り裂いていく。


「……えいっ!」

 思わず小さく声が裏返った。自分でも恥ずかしいくらいだったけど――その掛け声とともに振り下ろした一撃は、演壇を覆っていた結界を一瞬で粉砕した。


 群衆がどよめき、悲鳴と歓声が入り混じる。

 砕け散った光の破片の中で、僕は剣を構え直した。

 もう、あの日の弱い自分には戻らない。


 砕け散った結界の破片が、夜空の星のように広場を舞った。

 人々は息を呑み、次の瞬間には一斉にざわめき立つ。


「本当に……あの子が、結界を……!」

「勇者クライド様でも破れなかったのに……!」

「いや、あの剣だ。聖剣エルセリオンだ!」


 視線の奔流に、頬が熱くなる。裾をぎゅっと握る手は震えて、細い肩が小刻みに揺れた。

 けれど、僕は逃げなかった。


「ふざけるなぁぁぁっ!」

 怒号が広場を震わせた。クライドが剣を抜き、血走った目で僕を睨みつける。

「その剣は俺のものだ! お前みたいな……女の真似事をしてるだけの奴に渡してなるものか!」


 吐き捨てるような言葉に、胸がズキリと痛む。

 でも――その痛みの奥に、不思議な温かさが芽生えていた。


『聞くな、ナギ。奴の声ではなく、自分の心を。お前はもう、選ばれている』


 ブレードさんの声が、静かに響く。

 僕は小さく頷き、青い瞳を細めた。


「……僕なんかでも、選ばれた。なら――退かない」


 かすれた声だったけれど、震える心を支えるには十分だった。

 剣を構えると、刀身がひときわ強く脈動する。


 クライドが叫びながら斬りかかってくる。

 その刹那――。


 僕は細い指で柄を握り、声を絞り出した。

「ま、負けないんだからっ!」


 裏返ったような声に自分で赤面したけれど、その瞬間。

 エルセリオンから奔る光が、クライドの剣撃を弾き返した。


 衝撃に広場の石畳が裂け、群衆が悲鳴を上げる。

 光の残滓が舞い散る中で、僕は荒い息を整えながら剣を握り直した。


 ――これは、まだほんの片鱗。

 でも、この力を見せれば、世界は必ず変わる。

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