眠れる力、再び
森の小道はしっとりと濡れ、木漏れ日が揺れるたび、葉先から雫が落ちて小さな音を刻んでいた。
僕は裾をぎゅっと握りしめ、仲間の背中を少し距離を置いて歩いていた。
(……僕なんかが、またあんな力を出したら……)
あの光景がまだ胸の奥を支配している。
聖剣から溢れた閃光、崩れ落ちた魔物たち、仲間の驚いた視線――。
まるで僕じゃない誰かがやったみたいで、怖かった。
『ふむ……勇者姫、またしょんぼり歩いておるな?』
耳奥に響いた声に、僕は小さく肩を震わせる。
「だ、だから勇者姫って呼ばないでってばぁ!」
裏返った声が情けなく響き、顔が一気に熱くなる。
ドランが振り返り、にやっと笑った。
「ははっ、いいじゃねえか。お前には似合ってるぜ?」
「に、似合ってないからっ!」
必死に否定すると、リィナが鼻を鳴らす。
「まあ、女の子にしか見えないのは事実よね」
「~~っ!」裾を握る指先にぎゅっと力がこもり、僕はさらにうつむいた。
その瞬間、地面が大きく揺れた。
ズシン……ズシン……と重い音が連続し、森の木々がざわめきだす。
「っ、何か来る!」
リィナが鋭く声を上げ、セレスが無言で杖を構えた。
木々をなぎ倒して現れたのは、灰色の皮膚を持つ巨体――オーガ。
丸太のような腕を振り上げ、牙をむき出しにして咆哮する。
「な、なんでこんなところに……!」
ドランが盾を構えるが、押し寄せる巨体の勢いに足がすくむ。
フィオナは必死に祈りを紡ぎ、癒しの光を仲間に注ぐ。
だが相手の力は圧倒的だった。
ドランが押し込まれ、リィナの剣撃も簡単に弾かれる。
「くっ……!」リィナの歯噛みする音が耳に刺さる。
オーガの腕が振り下ろされ、仲間を薙ぎ払おうとした――。
「や……やめてっ!」
気づけば僕の体は勝手に前へ飛び出していた。
泥に濡れた靴が滑りそうになるのも構わず、細い指で聖剣を握りしめる。
震える肩、赤くなった頬。
「ま、守るんだからっ!」
情けないほど裏返った声が響いた。
その瞬間――聖剣が熱を帯び、眩い光を放った。
刹那、刀身から奔った閃光が巨大な光刃となり、オーガの体を一瞬で両断した。
轟音と風圧が森を震わせ、切り裂かれた木々がバラバラと倒れていく。
灼けた匂いが漂い、地面には光の軌跡が焼きついていた。
「う、うそ……」
リィナが剣を握ったまま絶句する。
フィオナは両手を胸に当て、「神様……」と震える声でつぶやいた。
ドランは口を開けたまま固まり、笑うことすら忘れている。
僕は――。
足がすくんで動けなかった。
濡れた前髪が頬に張りつき、視界を遮る。
「ぼ、僕……やっちゃった……?」
かすれた声が唇からこぼれる。
セレスがゆっくりと歩み寄り、冷静に告げた。
「……制御できていなかったな。今のは力の片鱗にすぎない」
その言葉に、胸がさらにざわついた。
僕なんかに、まだ力があるなんて……。
森に静寂が戻った。
倒れた木々の間から陽光が差し込み、焦げた大地を照らしている。
さっきまで咆哮していたオーガはもう存在せず、残されたのは焼け跡と、僕の震える手に握られた聖剣だけだった。
『ははは! どうだ、勇者姫! これで満足するなよ! お前の力は、まだ眠っている!』
ブレードさんの高らかな声が響く。
「や、やだ……そんなの、怖いよ……」
僕は剣を胸に抱きしめ、裾をぎゅっと握りしめた。華奢な体は小刻みに震え、涙がにじんで視界が揺れる。
だが、仲間たちの視線は嘲笑でも恐怖でもなかった。
そこには驚きと戸惑い、そして……確かな希望が宿っていた。
ドランが一歩前に出て、大きな手で僕の肩を軽く叩く。
「よくやったじゃねぇか。おかげで助かった。これで町の連中も安心だ」
フィオナは震えながらも微笑み、「あなたは勇者様です」と囁いた。
リィナは顔を赤らめ、視線を逸らしながら「……ちょっとは認めてあげる」と小さくつぶやく。
僕はその言葉に戸惑い、剣を見下ろした。
光を宿す刀身が、自分を映し返している。
(……僕でも、人を守れるの……?)
胸の奥に広がる温かさは、怖さと同じくらい、いや、それ以上に強くなっていった。




