勇者に捨てられた日、聖剣に選ばれた日
石造りの広間に、冷たい声が響いた。
「役立たずはここまでだ!」
勇者クライドは金髪を乱暴にかき上げ、青い瞳をぎらつかせて俺を睨みつけていた。その一声は広間に集まった冒険者や兵士たちへ響き、次の瞬間、ざわめきと嘲笑が広がっていく。
「お前みたいな女みたいな奴、最初から必要なかったんだ」
「化粧もしてないのに女顔かよ、気味が悪い」
「戦えもしないのにパーティに混ざるなんて、お笑いだな」
突き刺さる言葉の嵐。
胸の奥がきゅっと縮み、息が苦しくなる。
肩まで伸びた黒髪が揺れ、頬に張りついた。長い睫毛が震え、涙がこぼれそうになる。誰がどう見ても少女のようにしか見えない姿――それが、彼らの嘲笑を余計に誘っていた。
「勇者様の隣に、あなたみたいな人はいらないの」
リディアが扇を閉じ、冷たい目で言い放った。黒髪ロングに清楚な衣装。外面は優雅だが、その瞳は嫉妬と軽蔑で濁っている。
「論理的に見ても、荷物を軽くした方が効率的だ」
セリオスが眼鏡を押し上げ、皮肉な笑みを浮かべる。銀髪の奥の視線が突き刺さる。知識と理屈を武器にする男が、冷酷に俺の存在を否定した。
最後に口を開いたのは、背の高い戦士ガルドだった。
「……すまねぇ、ナギ。俺には止められねぇ」
豪快でお人好しの兄貴分――のはずの彼は、悔しそうに拳を握りしめながらも勇者に逆らえず、言葉を絞り出す。
ああ、やっぱり。
僕は、ここでも必要とされないんだ。
視線を落とすと、白い首筋に黒髪が貼りつき、涙に濡れた睫毛が揺れた。広間の石床がぼやけて見える。
耳に残るのは、嘲笑と軽蔑の言葉ばかり。
「僕なんか……」
小さく漏れた声は、自分でも情けないほど弱々しかった。裾をぎゅっと握る仕草も、幼い少女のように頼りなく見えただろう。
僕は――ナギは、その日、勇者パーティから追放された。
雨が降っていた。
広間から追い出された僕は、ただ石畳の上をさまよっていた。足元は泥に濡れ、外套はすでにびしょ濡れ。それでも、戻る場所なんてない。
「……僕なんか、最初から必要じゃなかったんだ」
小さく呟いた声は、冷たい雨粒と一緒に地面へ落ちていく。
華奢な肩は細い外套を支えきれず、雨に叩かれて震えていた。濡れた黒髪が頬に貼りつき、長い睫毛からは雫が滴る。歩く姿は、誰が見ても捨てられた少女のようにしか見えないだろう。
胸の奥は空洞みたいにスカスカで、足を動かす意味さえ見失いそうだった。裾をぎゅっと握りしめては、すぐに力なくほどける。その仕草さえも、弱々しい少女の手つきにしかならなかった。
ふと、視界の端に光が揺らめいた。
丘の上に、古代神殿のような石造りの建物が静かに佇んでいた。苔むした階段は雨に濡れ、どこか異様な気配を放っている。それでも、不思議と足はそちらへと向かっていた。
神殿の奥には、一振りの剣が突き立てられていた。
白銀の刀身は鈍い光を宿し、まるで呼吸をしているかのように脈動している。
石碑には、古代文字でこう刻まれていた。
《女のごとき心を持つ勇者のみ、聖剣を抜く資格を得る》
「……僕なんかに、できるはずない」
思わず一歩引いた。雨に濡れた頬が赤く火照り、伏せた視線は怯える少女そのものだった。追放された役立たず、弱い、情けない……自分で自分を罵る言葉が頭の中を巡る。
だが、そのときだった。
耳の奥に、かすかな囁きが届いた。
『……来たか。待っていたぞ』
声は誰のものでもなかった。
神殿の空気が震え、聖剣から淡い光が零れ出す。
僕は息を呑み、濡れた睫毛を震わせながら、細い手をそっと剣へと伸ばした。
指先が刀身に触れた瞬間、びくりと肩が震えた。
雨に濡れた黒髪が頬に張りつき、長い睫毛に溜まった雫が一粒、ゆっくりと滴り落ちる。白い首筋に伝うその水滴は、月明かりと聖剣の光を反射し、まるで宝石のように輝いた。
僕の手はあまりにも細く、柄を握る仕草は少女が花を摘むみたいに頼りない。そんな僕の指先を、聖剣は拒絶するどころか、むしろ優しく受け止めてくれるように見えた。
「……僕なんか……戦えないし、弱いし……」
声は震えて掠れ、雨音に紛れて消えそうだった。裾を握るもう片方の手も小刻みに震え、女の子のように頼りなさげに見える。
だけど――。
胸の奥から、もうひとつの声が静かに浮かびあがった。
それでも、誰かを守りたい。
追放されても、蔑まれても。あの人たちが笑っていたときの光景を、どこかでまた見たい。
勇気なんて大層なものじゃない。ただ、弱い僕だからこそ、誰かの笑顔を壊したくない。
その思いが、手に宿った瞬間だった。
白銀の聖剣が脈動を始め、眩い光が溢れ出した。
雨音さえかき消すほどの轟音が神殿を震わせ、天井に刻まれた古代紋章が一斉に輝く。
『……そうだ。その優しさこそ“女の心”。お前が選ばれし者だ』
耳の奥に響いた声は、力強くも優しい。叱咤ではなく抱擁のような響きに、胸が熱くなった。
聖剣はかすかに震え、長い年月の眠りから目覚めるように、ゆっくりと持ち上がっていく。
重さはなかった。むしろ、握る指に伝わる温もりが心臓の鼓動と同調し、僕を支えてくれる。
「う……そ……」
青い瞳に光が映り込み、涙が溢れそうになった。濡れた睫毛を震わせ、僕は両手で剣を抱える。
――カチリ。
誰もが動かせなかったはずの聖剣が、大地の拘束から解き放たれる音を響かせた。
剣が大地からするりと抜け出した瞬間、強烈な閃光が神殿を包む。
雨は一瞬止んだかのように静まり、光だけが空間を満たした。
華奢な体つきの僕はその光に照らされ、肩越しに流れる髪も、涙に濡れた横顔も、少女のように儚げだった。
だが、その手には紛れもなく――聖剣が握られていた。
轟音と閃光が収まったとき、僕は聖剣を抱えて立ち尽くしていた。
濡れた黒髪が肩に貼りつき、白い首筋を際立たせる。華奢な体つきは少年にしては細すぎて、光に照らされた横顔は少女のように儚げだった。
広間の入口から駆けつけた人々が、一斉に息を呑む。
「な、なんだ……あれは……」
「誰も抜けなかった剣を……女の子みたいなあの子が……?」
クライドが蒼白になって叫んだ。
「ば、馬鹿な! 俺が何度試しても反応しなかった剣が……!」
リディアは震える声を張り上げる。
「嘘よ……! 勇者様の隣に立つ資格は、あの子には……!」
その目には嫉妬とも怯えともつかぬ感情が揺らいでいた。
セリオスは眼鏡の奥で目を細め、低く呟いた。
「……理屈に合わん。条件は“女の心”。だが、まさか……本当に……」
その視線に晒されながら、僕は聖剣を見下ろした。
細い指先に馴染むように柄が収まり、まるで最初から僕のものだったかのように自然に握れていた。
心臓だけがやけに強く脈打ち、全身を揺さぶってくる。
「僕なんかで……勇者なんて……」
唇から漏れた声は、震えと戸惑いに染まっていた。
裾をぎゅっと握りしめる仕草は、どう見ても怯えた少女のようだった。
だが、その瞬間。
『否。お前こそが、真の勇者だ』
耳の奥に響いた聖剣の声は、力強く、それでいて温かい。
抱擁のような響きに、胸の奥が熱くなる。
『否。お前こそが、真の勇者だ』
耳の奥に響いた聖剣の声は、力強く、それでいて温かい。
『“女の心”とは、弱さを恐れず抱きしめる心。自らを卑下しながらも、他者を想い、痛みすら受け入れる心だ。その矛盾を背負える者こそ、この剣を動かす』
涙に濡れた視界の中、僕はただ震えながらも聖剣を握りしめた。
儚い少女にしか見えないこの姿で、それでも世界でただ一人、この剣に選ばれたのは――僕だった。
こうして、勇者パーティに追放された「男の娘」――僕、ナギは、真の勇者としての第一歩を踏み出した。