変わらぬ日常
[1]
寮から学校への道のりを歩きながら、今日の昼の事について考えていた。
いつもは弁当なのだが、今日はうっかり失念してしまった。
コストの事を考えると、購買よりも学食がお得な様なきもするが…ううむ、どうするか。
因みに我が学園の学食の名物は、モンスターから揚げ。ごはん付きで300円という学生に優しい値段だが、サイズが大人の握りこぶしぐらいあるので、食べるのはよほどの大食いか、罰ゲームかのどちらかである。
…ホント、どんなコンセプトで作ってんだろうなあ。
「だ~れだ?」
そんな風に、どうでもいいことに思考を巡らせていたら妙に甘ったるしい声とともに視界を塞がれた。
…こんなイタズラをしかけるのは間違いなく「あいつ」だ。
俺は振り返ることも、誰なのかか尋ねる事もせず、黙って視界を塞いだ相手に肘鉄を喰らわせた。
「ぐふぅ!!」
妙なうめき声と共に、視界がクリアになる。
振り返ってみるとやはり、良く知った相手(女子)が腹を押さえてうずくまっていた。
「やっぱりお前か。流那。」
「あははー。お、おはよう。ユウくん。」
流那はすくっと立ち上がると、屈託のない笑顔でそう言った。
水無瀬流那。俺の幼馴染であり、クラスメイトでもある。因みにユウ君というのは俺のあだ名だ。小さいころのものなのでいい加減やめて欲しいのだが。
補足すると、流那はこういう風にイタズラ好きで明るい性格からか、実は男子にけっこう人気があるらしい。
まあ、俺の預かり知らぬことではあるが。
「それにしても…いくら昔からの仲でも、女子に肘鉄はどうかと思うよユウ君。」
「安心しろ。お前にしかしねぇよ。…てか、今度やったら蹴るからな。」
「相変わらず酷いっ!?」
喚く流那を無視して、俺は先を急いだ。ちょっと余裕を持って家を出たが、いつまでもここで道草」を食う訳にはいかない。
「わわっ、ちょっと待ってよ。私も行くよ!」
後ろから流那がパタパタと追いかけてきて、俺の隣に並んだ。
「…なんだか、ユウくん春休みの間におっきくなったね。」
「そうか?別段変わってないと思うんだが。」
因みに、流那は女子にしてはわりと背が高いほうで、俺より少し低いくらいだ。だからそんなに変わらないと思ったのだが…
「うん、そうだよ。横に並んでみるとよくわかる。昔は私の方が高かったのにねえ。」
「いつの話だよ。中学の頃にはもう抜いてたろ。男女なんだから多少の差はでるだろ。」
「…ふうん。そんなもんか。あっそうそう。昨日見たテレビの話なんだけど―」
それからはしばらく、軽い雑談や最近の近況を話しながら歩いて行った。
その中で少し気になったのがなんというか、どこの学校にもありがちな、それでいてこの学校独特の匂いを放つ「怪談」の話だった。
[3]
赤い天使様。
それが流那の話によると、最近女子達の間で噂になっている怪談らしい。
なんでも、出会うと願い事を叶えてくれるそうだ。ただし、それには代償が伴う。
天使は願いを叶える。ただしその代わりに生贄を捧げなければならないらしい。
もし、生贄を捧げなかった場合天使はその人間を殺してしまうのだという。願いに対価を求め、気にいらなければ人を殺す。まるで悪魔取引のようなイメージと、殺人を犯した際に付着した血液が白い羽を染め上げたことから、その名がついたらしい。
まあ、あくまでも噂だが。
「でね、その天使様にお願いしたって子が―」
「流那、ストップだ。」
話に夢中になっている流那を制す。長くなりそうだからな。
「大体、そんなの嘘に決まってるだろ。非化学的にも程がある。」
「科学的なら信じるってのも、私はどうかと思うけどねー。」
そうだろうか。俺としては、説明がつけられない事を喜々として語るほうがよっぽどだと思う。
得体の知れないものが近くにあるかと思うとぞっとする。
理解不能ほど恐ろしいものはないのだから。
会話を中断されて、俺に会談話の興味は無いと思ったのか、流那はそれ以上この話を振ってこなかった。
通学路を黙って歩く。しばらくはお互い無言だった。
流那は昔から、人の感情の機微を読み取るのがうまかった。言い換えればそれは、人との距離をうまくとれるという事だ。だからなのか、こいつは学校でも人気者だし、人間関係で失敗したなんて噂は聞かない。
加えて、いつだってニコニコしてて、泣いてるのを見た事がない。十年以上一緒にいる俺でさえ。
そして、俺はたまに思ってしまう。コイツに涙はあるのかと。泣かないのではなく、泣けないのではないのかと。
「何ぼーっとしてんのさ?もうすぐ学校着くよ?」
流那がこっちをじっと見つめてくる。その瞳は昔と変わらず黒く、澄んでいた。純粋に、疑問を感じているだけの綺麗な目だ。
「…いや、なんでもない。」
俺は、そう答えて学校へと向かった。
疑問や不審を感じても、それが最も最良だと思った。
聞いてしまえば戻れなくなる。―そんな予感がした。
だから俺はいつも通りに日常を進める。
変化を望んではいても、変わってほしくないものだってあるのだから。