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誰よりも深く私を憎んで  作者: 紫苑
第一章 異国の王妃
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宮殿の廊下を進むたび、石床に響く自らの足音が、やけに大きく感じられた。

柱の影を抜け、差し込む朝陽を浴びるたびに、まるで目に見えぬ誰かに試されているような錯覚を覚える。


謁見の間の扉が静かに開かれた。

冷たい石の空気が肌を撫で、奥からは香の残り香がほのかに漂ってくる。

玉座にはアメンカフが既に座し、列をなした官吏や軍司たちが、その下に控えていた。


アリシアは静かに一礼し、定められた立ち位置へと歩み出る。


「アリシア、来たか」


王の声は平坦ながら、確かな威を帯びていた。


「偉大なるラーの化身、ファラオに祝福の朝を」


アリシアは膝をつき、慎ましく挨拶を捧げる。


玉座の脇には宰相トフメスが控えていた。

一瞬だけアリシアに注がれたその目は、すぐ王のほうへと戻っていく。


「明日より豊穣の儀を執り行う。アリシア、おまえに神殿の采配を任せる」


その言葉に、アリシアは改めて頭を垂れた。


「仰せのままに」


王は小さく頷き、次々と報告が読み上げられていく。

地方での税の集まり、ナイル上流域の氾濫、東方との交易状況――

どれもが表層をなぞるように通り過ぎ、アリシアの胸には響かない。


そんな折、扉がふたたび開かれた。


「お許しを、陛下。朝の祈りが長引きましたもので」


柔らかく澄んだ声が広間に届く。

現れたのは第二王妃――ネフェルティナ。


艶やかな金髪が陽を受けて揺れ、細い金の帯を巻いた青のドレスが、空の色を写したように眩しかった。

その華やかさに、アリシアはわずかに目を細める。


「構わぬ」


アメンカフは目を伏せたまま、淡々と答えた。

感情の色はまったく浮かばず、ただ次の指示が続く。


「ネフェルティナには、祭の際の民への施しを任せる」


「仰せの通りに」


ネフェルティナは深々と膝を折り、長い睫毛の奥から王に微笑みかける。


「豊穣の祭は十日間におよぶ。皆、心してあたるように」


広間に香の煙がふわりと立ちのぼる。

その場に漂う空気すら、神聖な儀式の一部のようだった。


謁見が終わり、アリシアが退出しようとしたそのとき――

背後から、アメンカフの声が届く。


「アリシア。昨夜の件だが…あまり目立つ行動は慎め」


足を止め、アリシアは振り返らずに答える。


「…心得ております、ファラオ」


その直後、ネフェルティナがわずかに首を傾げ、声を重ねた。


「昨晩はたいそう寛大なご措置でしたわね。王家の恥とならぬよう、どうかお気をつけくださいませ」


声音はあくまで丁寧。

だがその奥に隠された棘は、確かにアリシアの胸に刺さった。


壇上に立ちこめる香の煙が、ふわりと揺れる。

陽光に照らされた粉塵が、まるで小さな火種のようにきらめいた。


けれどアリシアは何も言わず、ただ静かにその場を去る。


この玉座の間では、誰もがただ“役割”に従って生きている。

その冷たさと孤独を、アリシアは深く知っていた。

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