幼馴染医師の往診と、私のBL妄想
気がつくと、夕焼け色の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。
見慣れた天井、寝なれた自分のベッドの上……。
(……あれ、私……?)
少しぼんやりする頭を振ると、柔らかい布団の感触と共に、微かに薬品とコーヒーの香りが混じった空気が鼻をかすめた。
「……起きたか」
低く落ち着いた声がして、私はそちらに目を向けた。
そこには、椅子に腰掛け、無表情でこちらを見下ろす男性――真城 颯さんがいた。
短く切り揃えられた黒髪に、シャツを羽織った姿。
私達の幼馴染であり、隣に住む医師。
私より10歳年上で、両親が亡くなってからは、何かと雪と私の面倒を見てくれている。
(……あれ?)
一瞬、状況が把握できずに瞬きを繰り返す。
思い出すのに少し時間がかかったけれど、やがて脳裏に鮮明に蘇る。
弟の雪が、カミングアウトしてきて――相手はあの雨宮冬樹先輩で。
BL脳が一気に覚醒して、尊すぎて、心拍数が上がって倒れた。
(……うん。尊かったなぁ……)
思い出しただけで、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「……なんで、颯さんがいるの?」
かすれた声で問うと、颯は淡々とした口調で答えた。
「倒れたって雪から連絡があった。お前、いつも通り鉄剤サボってただろ」
「あ……」
鋭い指摘に、ぐうの音も出ない。
だって。鉄剤って、なんとなく飲むの面倒だし、飲んでも吐き気するし。
「ほら、手出せ」
颯は無表情のまま私の手を取り、手首で脈を測り始めた。
しかし、視界に入る颯さんとシャツ。
医師と患者。
幼馴染でありながら、医療従事者として毅然とした態度を取る颯さん。
颯さんと雪。
(……この構図……萌えますな……)
ちなみに颯さんは、このBLゲームの攻略対象でもあのだ。
妄想が一気に暴走する。
雪が体調を崩してベッドに伏せていて、颯が診察してるんだけど――雪は恥ずかしそうに目を逸らして、
『……あんまり見ないで……』
なんて言っちゃって。
颯は無表情のまま、「医者だからな」と冷たく返すけど、心の中ではドキドキしてるんだよ……!
(やだ、尊い……颯×雪……最高……)
頭の中の語彙力が、無くなってくる。
「……何笑ってんだ」
ふいに、冷たい声が降ってきた。
「えっ?」
現実に引き戻されると、颯さんが眉間に皺を寄せてこちらを見下ろしていた。
無意識に、私はにやけていたらしい。
「……別に。何でもない……」
「……変なやつ」
呆れたようにため息をつきながら、颯さんは私の額に手を当てる。
ひんやりした指先が肌に触れて、思わず目を閉じる。
(あー……今のも、雪だったら絶対赤くなるやつ……雪、可愛いヤツめ……)
「熱はないな。飯、ちゃんと食ってるか?」
「……食べてる……」
BL妄想に浸りたいけれど、颯さんの追及が鋭くて集中できない。
むしろ、弟と颯の絡みが見たいだけなのに。
何で私が診察されてるの……。
そこで、はっとする。
雪の前で倒れたんだった!
「雪は?」
恐る恐ると颯さんに聞いた。
「落ち込んでいる。今頃、自分の部屋で……雨宮に、慰められている頃だろうな」
最後の方を苦しそうに言った颯さんに、『ああ。この人は失恋したんだな』と思った。
ん?
待てよ。
雪が落ち込んでいる?
雨宮先輩に、慰められている!?
「そこの所を詳しく!」
鼻息荒く追求すれば、颯さんが若干引いているのがわかる。
だが、すぐに愁いを帯びた瞳で、虚空を見つめ言う。
「お前が、軽いショックを受けて倒れたといったからな」
「え?」
「付き合ってるんだろ? 雪と雨宮。カミングアウトしたら、お前が倒れたからな。ショックだったろうな……」
責める言い方じゃない。
でも、雪がショックを受けてしまったことに罪悪感を覚える。
この世界がBLゲームであると、思い出す前の美雨の考えを口に出す。
「私、男同士もあり得るってわかっていたんだ。けど、いざ雪が男の人を連れてきて、恋人だって紹介した時は、衝撃的だった……」
「だろうな」
「けど、男同士に嫌悪感(むしろ好物)はないし、応援したいと思ってる(むしろ壁になって見守りたい)……」
「美雨……」
颯さんは、私の手を取った。
「それを。お前のその気持ちを、雪に話してやってくれ」
「うん」
……これは、颯さん。
恋心を引きずりながら、愛している子には幸せになって欲しい。ってやつね。
それにしても。
私の手を取っている颯さんの手は、大きい。
その手で、雪の髪を撫でる姿を勝手に脳内再生させる。
――雪の柔らかい金髪を、無表情で撫でる颯さん。
雪は恥ずかしそうに震えて、でも目を潤ませて見上げて――。
(ああああ!!尊い尊い尊い……!!)
「……おい。どうした?」
無表情で、頭の中で見悶えていると、心配そうな声。
返事をしようと口を開きかけたが、妄想の続きが気になって仕方がない。
雪が受けとしての自覚して、診察の度に意識しちゃうようになるとか……。
いや、雪は私の弟。
守らなければいけない存在。
……でも弟受け最高……。
「美雨。大丈夫か?」
「えっ?」
ふいに聞こえた言葉に、我に返る。
「……やっぱり、男同士はお前には辛いか?」
「え? ううん。全然!」
むしろ、大好物です! とは言えず、笑っているのか無表情なのかわからない顔をしてしまった。
「お前……無理するなよ?」
「えっ、無理してないって……」
「はあ……」
颯さんは短く息をはいた。
「雪にお前が起きたこと、伝えてこようと思うんだが……、もう少し、後にするか?」
「あっ……私が直接、行くよ」
そして、雨宮先輩が雪を慰めるところを、この目に焼き付けるのだ!
「お前は、安静だ」
低く抑えた声に、私は反射的に黙り込んだ。
BL妄想脳でも、この幼馴染お兄ちゃんには敵わない。
「わかった。雪に伝えて」
「ああ」
私の返事を聞いた颯さんは、立ち上がり、部屋を出ていた。
天井を見上げながら、私は息をはく。
(……颯×雪……ありだな。年の差、幼馴染、医師患者……属性盛りだくさんじゃない……?)
BL脳が滾って止まらない。
弟と雨宮先輩も尊いけれど、颯さんとのルートもいい。
はあ……カプが多すぎて困る……尊死する……。
そんなことを考えながら、私は毛布を抱きしめた。