神様とおしゃべりしたら、次期聖女に選ばれてしまいました
「……どうして、こんなことに」
神殿の片隅で、ひとりの令嬢が肩を落としていた。
ここは、とある王国にある由緒ある神殿。本日は、“次期聖女”を決める大切な式典が執り行われている。
この国では、神の加護によって平和と秩序が保たれており、神への信仰は非常に篤い。その中でも〈聖女〉は、神の恩寵を受ける存在として人々から特別な敬意を集めており、任期中は王族に匹敵するほどの地位を持つ。
任期は、高潔な少女が成人を迎えるまでの約三年間。
適性があればそのまま続投も可能だが、聖女の人生を縛ることは避けるべきだとされ、現体制では任期制が基本となっている。
建前上、聖女は「適性さえあれば誰でもなれる」とされているのだが、実情は少し違う。
現実にはさまざまな思惑が絡み、事実上、伯爵家以上の名門令嬢しか選ばれないという不文律があった。
そんな中、ひとつの噂もまことしやかに囁かれている。
──「神の声を聞ける少女こそ、真に選ばれし聖女である」──
だが、近年はそんな存在など現れておらず、それもまた、ただの伝説と化していた。
さて──冒頭で「……どうして、こんなことに」と肩を落としていたのは、レイシー・アシュトン。この物語の主人公である。
彼女は男爵家の生まれ。身分としては貴族の末端ではあるが、庶民に毛が生えた程度で、暮らしぶりも質素そのもの。
そんな彼女が、聖女選出の儀式に参加しているなど、本来ありえないはずだった。
ことの発端は、友人に会いに行く途中。
道に迷っていた老婦人に声をかけられ、神殿まで案内をしたのがきっかけだった。
気がついたら、なぜか聖女候補の一人として扱われていたのである。
(ロイ、ごめんなさい……)
ロイとは、今日ようやく会えるはずだった友人の名前だ。近頃は忙しいようでなかなか会えなかったが、少しだけ時間が取れたと聞き、レイシーは心待ちにしていた。
待ち合わせ場所が神殿の近くだったため、道案内するのにちょうどいいなと思ったら──こうなってしまった。
レイシーは何度も神殿から出ようとしたが、不思議なことに出口は閉ざされ、何をしても外に出られなかった。
そうこうしているうち、待ち合わせの時間はとうに過ぎていた。
(あとで手紙を出して謝ろう…笑って許してくれるといいけれど)
そう思っていた矢先──
「まあっ、王子殿下がいらっしゃったわ!」
令嬢のひとりがはしゃいだ声を上げる。
(──え、王子!?)
レイシーはその瞬間まで、この式典の本当の重大さに気づいていなかった。
だが、隣の令嬢が誰に頼まれたでもなく参列している偉い人の名前を列挙してくれたおかげで、今さらながらその重要性を痛感することとなった。
(これは……まずい、まずすぎる……!)
全力で気配を消し、目立たぬよう努めるレイシー。
幸い、聖女候補者たちは地味な服装をしており、レイシーの質素な格好でも特に浮いてはいなかった。
(お願いです、神様。誰にも気づかれませんように……)
(──んー、それは難しいかも)
(……!?)
思わず肩が跳ねる。今の声は──確かに、頭の中に直接響いた。
(気のせい……? いえ、これは“声”として、確かに……)
(あ、疎通できてるんだ。面白いね)
(ど、どなた……ですか?)
(んー……ここにいる人たちは、私のこと“神”って呼んでるかな)
(……神様!?)
聞こえないはずのものが聞こえて、体調でも悪くなったのかと、思わず自分の額を触って熱を確かめるレイシーに、神(らしき存在)はどこか愉快そうだった。
(それにしてもレイシー、「誰にも気づかれたくない」って言ってたけど、それはちょっと難しいと思うな)
(……なぜ、私の名前を?)
(私に知らないことなんて、ないからね)
(ほんとに神様……? では、なぜ私が──)
(王子を見てごらん)
神の声に従い視線を向けた瞬間──ぞくり、と背筋に寒気が走る。
王子が、まっすぐにレイシーの方を見ていたのだ。
(……もう、気づかれてたんですね)
(うん。でも安心して。悪い感情じゃないから)
(……よかった)
──いや、よくない。
そもそも王子と面識なんてないはずなのに、なぜあんなに明確に視線を向けてくるのか。
レイシーがより居心地の悪さを感じるなか、神様は相変わらずマイペースだった。
(それよりレイシー、君のこと気に入っちゃった)
(……え、ありがとうございます?)
(だから──)
神が何かを告げようとしたそのとき。
「これより、次期聖女の選出を開始する!」
神官の張りのある声が響き、場内の空気がぴたりと引き締まる。
聖女選びは、現聖女が後ろ向きで花束を投げ、それを受け取った者が次代の聖女となるという、いわゆるブーケトス方式で行われる。
(いや、そんな軽いノリで決めていいの?)
(やっぱりレイシーって面白いね。ますます──)
神の声が続きそうだったが、今度は現聖女の厳かな声が遮った。
「成人まで聖女を全うする覚悟は、ありますか?」
「もちろんございますわ!」
誇らしげに胸を張って答えたのは、如何にも“選ばれそうな”令嬢だった。
周囲も口々に賛辞を送り、見るからに彼女を中心に場が整えられている。
(ああ、あの方が“予定されている”聖女なのね)
その令嬢の周囲はぽっかりと空間が開けられ、花束をキャッチしやすいようになっている。
(まあ、王族と同等に扱われるんだから、家としても必死よね……)
明らかに私情が見え見えで「高潔とは?」と思わなくもないが、うっかり参加してしまった立場のレイシーにとっては、むしろ他人事だ。
(むしろ応援したいわ。がんばれ、自信満々のご令嬢……!)
「それでは、投げさせていただきます」
くるりと回った現聖女の手から、花束が高く舞い上がる。
それは、誰かに導かれるようにして──
まっすぐ、レイシーの胸元に飛び込んできた。
ぽすん。
赤い薔薇で束ねられた花束は、手の中で金色に変化する。
「──うそ、でしょ……?」
「こんなこと、初めてだ……!」
ざわつく会場。進行役の神官が困惑の声を漏らす。
「じ、次代の聖女は……えっと……?」
そのとき、王子が一歩前に出て言った。
「レイシー・アシュトン嬢だ。男爵令嬢だが、問題ないはずだろう?」
王子の口からその名が出たことに、レイシーはさらに衝撃を受けた。
(──なんで、王子が私の名前を……?)
その疑問の答えが明かされるのは、もう少し先のこと。
「次代の聖女は、レイシー・アシュトン嬢に決定!」
そうして式典は、そのまま進行された。
この後、ロイが変装した王子だと知ること。
その王子がレイシーに「ずっと好きだった」と迫ってくること。
神様が「面白そうだから」と神殿に降りてきてしまうこと。
そしてレイシーが“伝説の大聖女”と呼ばれるようになる未来のことなど──
今の彼女は、まだ何ひとつ知らない。
「……どうして、こんなことに」
最初にこぼれたその呟きが、再び、静かに唇から零れ落ちるのだった。