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08.出会い

「これはまた……本当に美しい」


 尹馨イン・シンは思ったことを素直に、目の前に現れた姫に向かってそう言った。

 軽く結ってある長い髪も、身に着けている着物も、その全てが美であると感じる。

 水晶宮の姫、『黎華リー・ファ』の姿を、初めてまともに見た。

 当然、黎華自身はとても驚き、言葉を失っている。


「失礼しました。あなたの二胡の音色に導かれ、ここまで来てしまいました」


 尹馨はその場で片膝を折り、頭を下げた。

 すると、黎華は静かに一歩後ずさり、息を呑む仕草をしてから口を開く。


「……どなた?」

チャンさまの護衛です。尹馨イン・シンと申します」

「っ、そ、そう……ですか。なんで、ここに……あ、いえ……わたくしの二胡を聴いてくださったのでしたね」


 黎華は動揺していた。

 それを確認して、尹馨は小さく笑う。

 さすがの箱入り姫は、想定外の出来事には弱いらしい。


「尹馨さま、人目につく前にお戻りください」

「……なぜ?」

「!」


 黎華は当然のごとく尹馨を拒絶した。

 それすら見越して返事をすると、表情を歪ませる。


「姫様? どちらにおられますか?」


「っ」


 侍女の声がした。

 それにいち早く反応したのは、黎華だった。

 彼は無言のまま尹馨の腕を掴んで、池の向こうの離れの空き部屋へと進んでいく。


「……黎華どの」

「いいから、走ってよ!」


 黎華は何故か、その男を隠さなくてはならないと思った。

 だからこうして、彼を引っ張り走っている。女物の漢服が足をもつれさせて、うまく足運びが行えない。

 すると、その数秒後には体が浮いて、視界が揺れた。


「え……?」

「あの部屋で良いですか?」

「……は、え……」

「とりあえずは、入りますね」


 黎華は尹馨に横抱きにされていた。

 彼は何も答えることが出来ずに、頷くだけになってしまう。


(……なんだ、これ。何、これ)


 心でそう吐き出しつつ、黎華は何故か頬を染めた。

 触れている部分から伝わってくる体温が、どうしてか心地よかったのだ。

 直後、静かに空き部屋の扉が閉められた。


「姫様ぁー!」


 遠くで侍女の声が響いている。数人が探し始めているのだろう。

 適当な部屋に尹馨を押しこんで、誤魔化そうと思っていただけだったのに。

 黎華は何故か、尹馨と共に空き部屋へと収まってしまったのだ。

 抱きかかえられていた体は一旦床におろされて、そのままぺたりと座り込む。

 尹馨も同じように傍で膝を折ってきたので、黎華は彼の顔をまじまじと見てしまう。

 すると、尹馨は困ったようにして笑い、口を開いた。


「若い男がそんなに珍しいですか?」


「……っ、べ、別に……」


 尹馨にそう言われて、黎華は何故か言葉を上手く生み出せなかった。それどころか自分の頬がやはり熱くなっていくのを感じて、その場で右腕を上げて袖で表情を隠す。


「可愛らしいですね」

「……お褒めくださるのは、嬉しいですわ。でも、あまりに……失礼ではありませんか」


 袖一枚の隔たりの中、黎華はそこで平静を取り戻して表向きの言葉を告げた。


「私も、あなたの姿を少しだけでも覗き見できたらと……そう、思っていただけなのです」

「でしたらもう、お戻りください。わたくしもこの事は、誰にも言いませんから」

「――ほぅ、黙っていて頂けると」


 沈香が尹馨の鼻先をくすぐった。黎華の匂いだ。

 その香りで、彼も気持ちが少しだけ揺らいだのかもしれない。

 黎華の右腕をそっと掴んで、彼の腕の位置をゆっくりと下げさせたのだ。

 そうして、俯いたままでいる『姫』の頬に指を近づけて、静かに触れた。


「っ」


 ビクリ、と黎華が震える。

 その反応を見た尹馨は、もっと先を暴きたくなってしまった。


 ――黎華には、それほどの魅力があったのだ。


(なんだこれ……なんでこの男を拒絶できない……)


 心でそう思いつつも、尹馨の指先で顔を上げさせられた黎華は、ゆっくりと視線を動かして彼を改めて見た。

 大層な美男であることは、最初に見た時から分かっていた。

 感じたのはそれだけではなく、言葉に出来ないような感情だったのだ。


「黎華どの。少しでいい、あなたの時間を私に分けてはくれませんか」

「な、なにを……」


 尹馨が告げる言葉に、強く返せる気持ちが湧かなかった。

 ――嫌では、無かったのだ。

 顎を引かれて、彼の顔が近づいてくる。

 何をされるかは、それだけでわかる。黎華もゆっくりと目を閉じて、口づけを受け入れようとした。


(――いや、ダメだ! この人は俺が女だと思ってる!)


「駄目です……!」


 直後に現実に帰った黎華は、慌てて彼の口元に手のひらを押し付けた。


「…………」


 予想もしない反応に、尹馨も驚いているようだ。


「い、いや、あの……わたくし、その……駄目ですわ」

「……なぜ?」

「ひゃっ……っ、ちょ、ちょっと……!」


 尹馨は、自分の口元にある黎華の手のひらを悪戯に舐めた。

 黎華はその感触に過剰に反応してしまい、おかしな声を上げてしまう。

 そんな彼の反応を楽しむようにして、尹馨は彼が逃げられないようにその手を軽く握りしめて、もう片方の手は黎華の背に置いた。


「黎華さまー?」


 閉じた扉の向こうで、侍女がそんな声を上げながら通りかかった。彼女は黎華と尹馨の気配に気づくことなく、そのまま過ぎていく。


「っ、……んむっ」


 侍女の影に気を取られた黎華は、尹馨の次の行動に反応が遅れる。

 彼に抱き込まれる形で、黎華は唇を奪われていた。


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