70.一つ心に、想う(完)
とある神秘の島の頂に、巫覡という存在があった。
美しい水の宮に鎮座する姫君は、島に暮らす人々にとっては神のような存在だ。
清い水を生み出し、川となり湖となり大海となり、民を潤す。
源泉には伝説の生物、『霊亀』が眠っており、姫君はこの存在を守り共存していく仲でもあった。
――永遠に平和だと思っていたある日、その不幸は突然訪れる。
神聖なる霊亀が病にかかり、呪いの水を生み出すようになってしまった。
水の宮の姫君は献身的にこの呪いを浄化し続け、霊亀を助けた。
だが、ついに姫君は力尽き、浄化が出来なくなってしまう。床に伏せながら自らの力不足を嘆き、霊亀を思わない日はなかった。
神秘の島はそれからしばらく、謎の霧に包まれ民も生き物も全てが眠ってしまう。
悲しみや悔恨、そんな感情に抱かれながら何年も水の宮はその門を開かれることがなかった。
自分を癒してくれるはずの姫君が姿を見せなくなり、源泉の霊亀もまた、『さみしい』と静かに涙を流した。
その涙を天の竜の神が受け取り、竜は神秘の島に降り立った。
竜は霊亀ときょうだいであり、長く離れていたが、ようやく再開出来た。
そうして、竜は水の宮の姫君と出会い、恋に落ちた。
多くの困難があり、二人とも窮地に立たされたこともあったが、手に手を取り合い深く愛し合った竜と姫君は、ついに道侶となった。
種族の違い、身分の違いで苦しんだことも多々あったが、姫君は竜の子を宿し健やかな生命を産み落とす。
そして霊亀もまた、清い泉の生物となって、民を潤した。
――どこかの国の、どこかであった物語である。
「この話、あの姫の侍女が書いたものですか」
「そうみたいだな。デカい街では戯曲の一つとして使われてるらしいぜ」
斜陽山へと続く道の中ほどに造られた小さな茶菓で、旅装束の男二人が一つの書物を読んでいた。
大流行していると聞いて手にしたものであったが、どこかで自分たちが見てきたかのような内容に、小さく笑う。
一人は黒髪で快活そうな面差し、もう一人は真っ白な髪が美しく、茶屋で接待をしている村娘からもチラチラと視線を投げられている。
「――ここらも随分変わったな。昔は小さな村一つだけだったってのに」
「その村と村民が築き上げた結晶ですよ。……大師兄、応龍が大事にしてきただけあって、肝が据わった方ばかりですし」
「畑も見事にデカくしちまって、今じゃここらのトウモロコシと茶葉が一番売れてるって話だぜ」
ほんの少し前は荒れた地であった。
麓に小さな村がぽつんと一つだけあり、貧しく慎ましく生きてきた村人たちであったが、今ではその村が大きくなり、畑も倍の大きさのもの四つ、宿も出来た上に山道も整理されてこうした茶屋すら建っている。
彼らの傍に置かれている茶饅頭は、この村で作られている茶葉を使用したものだ。
「そろそろ向かわねば、蛇王が怒りますね」
「そうだなぁ、あの大蛇もなんだかんだとしぶとく生きてる。あれくらいの能力持ちだったらこの山からだっていつだって出ていけるってのに、義理堅いよなぁ」
「……昔に亡くされた奥様を、今でも想っていらっしゃるようですし。愛着も強いのでしょう」
「いいなぁ、一人に尽くすってのは。……まぁ、淋しくもあるが」
茶饅頭を一口で食べた黒髪の男は、相変わらず遠い目をしながらそんなことを言った。
隣で茶を啜っていた白い男は、芳醇な味を口の中で確かめた後に、また口を開く。
「私だってあなたに尽くしているでしょう?」
「……はは、そうだな。お前はいつだって俺だけの最高の道侶だぜ」
滅多に聞くことの出来ない言葉を耳にした黒髪の男は、嬉しそうにしながら白い男の肩を抱いた。
彼らは浅からぬ仲であり、これから先もずっとその隣に居続けるのだ。
「――それでは、行きましょう」
「ああ」
笠を被り、彼らは茶屋を出た。
そこから山道を登り切り、斜陽山の守り神である蛇王に会いに行くのが目的だ。
水晶宮の巫覡姫のこと、蛇王の親友でもある応龍のこと、かつての霊亀と天狐の間に生まれた双子のこと、土産話が大好きな彼には、たくさん聞かせるべき事柄がある。
「そうだ、姫さんから小姫の名前を蛇王に決めてほしいって頼まれてたな」
「蛇王はすでに考えておられるようですよ」
「ありゃすっかり孫を待つじぃさんみたいな感じだよなァ」
黒髪の男が半歩前、白い男はその後ろ。
それでも彼らはしっかりと手を繋いで前を歩く。
かつては『獬豸』と『白澤』と呼ばれていた彼らだが、今はただの凡人であると公言している。生まれそのものは変わらず格を落としたわけでもないのだが、それでも彼らはその役目を降りた。
相変わらず水晶宮には仕えてはいるが、昔ほどは居着かなくなり、主の願いで様々な地を歩いたりしていることのほうが多いように思える。
巫覡の姫こと黎華は、『姫』のままで変わらず役目を全うとしている。数年前に尹馨との間に子を儲け、男の体ながら男児と女児を産んだ。男児は鮮藍の髪色を持ち、尹馨似である。女児のほうは黎家の血が強く出ており、黎華似であった。
天狐・沈夜辰とその妻である尹沙鈴は天上で過ごすことが多くなった。沙鈴に至っては二人目の子が双子だったということもあり、今は静かに天上の一画で子育てに励んでいるらしい。双子の一人には麒麟の格が現れているため、ゆくゆくは長として納まるのだろう。
『――遅い! 俺様を待たせるとはいい根性だな、二人とも!!』
蛇王の神域に足を踏み入れると、さっそく飛んできた言葉がそんな響きであった。
予想通りだと感じた男二人は、その場で足を止めてそれぞれに笑う。
彼らの生きる世界は、これからもこんな風に穏やかであるのだろう。
皆がそれぞれに手を取り合い、互いを慈しむ限りは、永遠に。
終
これにて完結となります。お付き合いくださりありがとうございました!




