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【コミカライズ配信中】一心繚乱[ライト版]  作者: 星豆さとる
五章

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62.対峙

 沈梓昊(シェン・ズーハオ)は、一人でその場に立っていた。

 楼閣内の麒麟の寝床と言われる『鎮魂の間』である。

 普段であれば月樹(ユエシゥ)尹馨(イン・シン)しか入れない場でもあるが、沈梓昊には彼だけの役目(・・・・・・)が存在するために、特別に足を踏み入れることだけは許されているのだ。


「……なぁんで、最初にここに気づけなかったかねぇ。俺も英雪(インシュエ)に夢中になりすぎて、判断が鈍ってたってことかな」


 とんとん、と拳で額を叩きながら沈梓昊はそう言った。

 いつもとは違い、低い声音であった。彼の視線の先は、当然に麒麟の眠る寝台である。

 相変わらず、簡素で寂しげな空間でしかなかった。

 天蓋から伸びる透けた布の向こうには、眠り続けている尹馨の父であり、自分たちの師匠がいる。


「尹老師、聞こえているんでしょう。愛弟子が来たっていうのに、眠ってばかりじゃ疲れません?」


 軽めの言葉を投げかけてみた。

 当然だが、それには返事はない。


「やれやれ。意識まで喰っちまってるのか、それとも意図的に反応しないのか……俺的には後者であってほしいんですけどね」


 沈梓昊の金の目が、鋭く光ったような気がした。

 軽い口調のままであるが、彼は明らかに普段の『沈梓昊』ではない。


「――ここまできて、知らぬ存ぜぬが通じると思うなよ、『世を傾ける者』よ」


 彼はそう言いながら、また額を叩いた。

 そうして、かつて沈夜辰(シェン・イエチェン)に見せたように、額から柄のない剣を引き抜いて見せる。

 沈梓昊という表の名ではなく、真の姿である獬豸(カイチ)として、その場に立っているのだ。


「目くらましに沈夜辰をうまく俺にけしかけたのはまぁ、いいさ。だがそれでも、俺はハナから師兄(あいつ)がそうじゃないって気づいてたんだぜ」


『……、……その剣を、下げよ』


 寝台から、そんな声がした。

 懐かしい響きは、麒麟のものだ。

 だがそれは、偽りの声音でしかない。


「尹老師がまだ中で頑張ってくれてるんだな。……どうだ、天上の神の能力ってのは、底知れねぇし、強力だろ? これを解除できない以上、あんたは永遠に『空狐』のままだ」


『無礼な……沈梓昊よ、そなたは我を何とする――』


「無礼? どっちがだよ。……俺は獬豸だぜ? 少なくとも、あんたより格上だ。まぁ、そんな『格』なんてのは、俺にとっちゃぁどうでもいい話なんだがな」


 ヒュン、と音を立てて獬豸の剣が寝台へと向けられた。

 だが彼は、そこから一歩を進まずにいる。


「俺があんたを斬りにいかない理由はわかってるか? 安易にその体――老師を人質だとは考えないほうがいいぜ? そんな浅はかで愚かな理由で、あんたがその場に生かされているはずもない。俺はいつでもあんたを殺せる」


『!!』


 『今』はそうしない理由がある。

 沈梓昊はそれを相手に伝えていた。言葉通りにいつでも斬れるのだが、麒麟自身が封印を解かぬ限りは、手を出してはならないのだ。

 麒麟は未だに、寝台の上で横たわったままである。

 最上の神である彼ですら、その身に取り込んだ狐を抑え込むことしか出来ない。それだけ、『彼女』が今までに奪ってきた命や霊力が、強く歪んでしまっているということだ。


「いつまで耐えるのかには興味ねぇけど、尹老師や月樹さまの為にも、早めに自分からここを出てくれな」


(……そうは言っても、尹老師がどこまでを抑えてくれてるのかは俺にもわからない。これだけ時間がかかってるってことは、相当なモンなんだろうけどな。あちらもこちらも、八方塞がりの状態ってワケか)


 沈梓昊は思案を続けた。

 こんな状況をいつまでも長引かせるわけもいかず、誰しも『麒麟』のことを気にかけているはずだ。


(霊力は今や呪いそのもの……だったら姫さんにもう一度こっちに来てもらうか……? 師姐と夜辰には早めに下界に降りてもらうか)


 尹沙鈴(イン・シァリン)はすでに霊亀(れいき)では無いとはいえども、なるべくであれば邪気には触れさせたくはない。それは彼女の母親である月樹もそう思っているはずであるし、母子の再会を充分に味わった後は、再び水晶宮に降りてもらうしかないだろう。


(夜辰――師兄は、どうする気なんだろうな。何の考えも無しに天上に上がってきたワケじゃねぇだろうし、何かしらを勘付いているんだろうし)


「――まぁ、いいか」


 ある程度の思考を巡らせた後、沈梓昊は吐き出すかのようにしてそう告げた。

 宣戦布告はしたのだ。相手の動きが無い以上は、一歩を下がる他はない。


「俺は決してお前を逃さない。必ず、俺の手で斬る」


 それだけを言い残し、沈梓昊は『鎮魂の間』を出た。

 『麒麟』が『狐』を解放しない限りは、手出しが出来ない。それは麒麟なりの考えあっての事でもあろうが、今はその時を待つしかないのだ。



 


「ふむ……」


 月樹がその場に立っていた。鎮魂の間から少しだけ離れた、円柱の影だ。

 ちょうど沈梓昊が間を出て、通常の回廊へと歩を進めているところであった。


「……我が背の君よ、いつまで(わらわ)を待たせるつもりか?」


 ぼそり、と心情を漏らした彼女の瞳には、強い意志を湛える炎のような光が宿っていた。

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