古の魔法使いは若返る
初めまして、亜希那りんと申します。
文字数がかなり少ないと思われると思いますが、こちらは初投稿人生初の短編小説になるので、何卒、温かい目で見ていただけると嬉しいです。
物語を創ることがとにかく好きです。絵を描くのも大好きです。
そんな感じのオタクです。
〈走馬灯〉
静寂に包まれたその森はとにかく深く迷いやすいから、近辺の街からも村からも誰一人立ち入らない。
そんな森の中には一軒の蔦に包まれた家屋が建っており、どごんっ! と青みがかった黒煙を窓や扉から放ちながら爆音を森中に響き渡らせた。
混濁する意識の中で初めて聞こえたのは、驚き歓喜する父と母の声。
『まさか我が家から魔法を扱える者が出るとは……』
『お祝いよ! お祝いしなきゃ!』
当時、魔法使いという存在は大変珍しく、一つの街に二、三人居るかどうかと数もそこまで多くはなかった。だから未知の存在として畏怖されていると思われがちだが、実際はそうでもなかった。
土砂崩れなどの災害が起これば何処からともなく魔法使いが集合して、率先して避難誘導や対策をしたり、怪我をすれば治癒したりなどと善行をしていた。
もちろんその力を誇示する者もいたが、魔法使いの連絡網は情報の伝達に優れているのか、すぐに知れ渡り排除されていた。
常時は身を隠し、悪がいれば排除する。あまり表に出ることを好まない魔法使い達は神のように神聖化され、見れたら幸運な珍獣のよう扱われた。
六歳の私はそんな影の実力者たちの仲間入りができた事と、父と母が喜んでくれているその事実が嬉しかった。
だから父と母にもっと喜んでもらうために、遊ぶ時間を控えて勉学に励んだ。そして十二歳になった私は、幼くして魔法薬を錬金することに成功した。
今までは怪我をすれば遭遇した魔法使いに魔法で治してもらうか、医療処置をするしか方法がなかったのに、治癒の効果を込めた魔法薬を服用すればその場に魔法使いがいなくてもすぐに治るという代物。
魔法使いの世界にも一般の人間世界にも革命をもたらすような物を若くして発明した私は、いつしか[魔法の申し子]家名からとって[青金石の天才]と呼ばれるようになった。
そして父と母は魔法薬の需要を見出して売ろうと考えた。少しでも逆転を狙う人間なら思いついて当然だった。魔法薬の品質を高め生産量を増やし、新しい効果を発明するため、私は日々の勉強量をさらに増やし、魔法薬の生産にも勤しむことになる。
『まだこんな粗品しか作れないのか? 品質も生産量もほとんど変わっていないとはどういうことだ』
『錬金だけさせたら? 繰り返し同じ物を作れば品質も量も少しは変わるでしょ』
『あぁ、そうだな、そのようにしろ』
「……はい、お父様、お母様」
この時の私は何のために魔法薬を作っているのかがわからなくなっていて、勉学さえ取られてしまったことで、私は魔法薬を錬金するだけの人形と化していた。
決心して家を出たのは十八歳の時。父と母は地主から男爵になっていたが、私への強要が虐待と見做される。せっかく賜わった爵位はたった数年で剥奪されることになり、元の見窄らしい生活に逆戻り。
罵詈雑言を吐きながら騎士達に法廷を追い出されるその姿に、幼い頃は優しかった父と母の面影は何一つ無い。金に目が眩み、欲にまみれ、我が子すら見えなくなった無様で哀れな男と女の憎悪と激昂に溢れ歪んだ顔だった。
「あの頃に戻れやしないのに、何を感傷に浸っているのかしら……」
十二歳だったのは五百年も前の事、時代を遡って戻れるのならば戻りたい。戻って父と母が変わっていく様を止めて、平穏無事な生活を送りたい。
この世の魔法を数多く研究して若い魔法使い達に教えてきたが、時を戻す魔法なんて見たことも聞いたこともない。結局は夢物語。
時を遡ることが無理だとわかっていても、人が変わることはないとしても、戻って平穏無事な生活を送り直したい。
『お師様! 魔法を教えて!』
可愛らしい声が脳裏に響き、一瞬で暗かった思い出が薄れて消えていく。何とも満たされたような気持ちになる。
「叶うならばもう一度、貴方を抱きしめたかった……」
か細い声を漏らすと、満たされていたはずの心が曇って寒々しい凍えるような感覚に襲われていく。
『イヤだ離して! お師様!』
剣を携えた者たちに囲まれている私たち。声の主である幼い子供が腕を掴まれ、私の家から連れ去られていく。
幼子は私に向かって、掴んでくれと言わんばかりに腕を伸ばす。しかし子供の腕のなんと短いこと、私の髪すら触れれずに距離が離れる。
意識はどんどん沈んでいく。私も腕を伸ばすが、抱きしめることは愚か腕を掴むことさえ叶わず、幼子は空気に溶けて消えてしまう。
その感覚を最後に、私の意識は完全に暗闇に落ちた。〈思わぬハプニング〉
「待って、お願い連れて行かないで、フラウム!」
薄れていく意識の中で伸ばしていた腕をもう一度伸ばしたが、やはり何も掴めないまま空を切った。
同じように虚しさはあったが、握った手の中にはほのかな温かさを感じた。指は柔らかい何かに食い込み、手のひらは何かが刺さって痛かった。単純なこと、自分の指が手のひらに食い込んでいただけだった。
覚醒した直後で朦朧とする意識を何とか保って、直前までの記憶を辿る。
「私は確か若返りの…… いや死ぬための魔法薬を作っていたはず…… ん?」
目の前には魔法薬の材料が入っていた瓶が散乱していた。
「なんでこの瓶が? 私は死にたかったのよね?」
瓶のラベルには『Regenerating Bud』と書いてある。この瓶の中にはレネジェランという再生効果のある花の蕾が数粒入っていた。
「……空っぽじゃない。絶滅種だから栽培してた分しか…… いや燃やしたんだったわ」
死のうとしていたのだから当たり前よ。間違えても悪用する人物に渡らないようにって、他の絶滅種の薬草も全部燃やしたんだったわ。
「死のうとしていたのに材料を間違えるなんて、本心では死にたくなかったってこと? 五百年生きても足りないってことなのかしら? それにしてもこれが最後の若返りになるなんて……」
誰にだって失敗はあるとはいうものの、恥ずかしい気持ちが年甲斐なく優ってしまう。
恥じていてもしょうがない。今すべきことは、先の爆発で散らかった部屋の掃除だ。家の中でも広い場所に大鍋を置いていたおかげか、壁・床・天井が煤にまみれて窓ガラスが割れただけで、壁に穴が開くようなことはなかった。
書物や家具などには汚れなどから守ための防護魔法を施していたから、汚れの一つも無い。
「 被害はマシね。さてと、杖は何処だったかしら…… は?」
見渡したことで視界に入った姿見を思わず凝視してしまう。
大きく深い青色の瞳、夜のように黒く長い髪、ゆで卵のように艶のある白い肌、サイズと年齢層の合わない服から覗いているのは子供の腕と脚。
おかしい、おかしすぎる。だって今までは若返っても二十代までだったのに……
「なんで子供になってるのよ!」
死の魔法薬の主要材料であるトリカブトという野草は、少量で不静脈や呼吸困難を引き起こす猛毒を持っており、最終的には心不全により死に至る。
私は苦しむことなく死にたかった。だから麻酔効果を持つケシと、薬草の効果を向上させるセルングという薬草も入れていた。
ケシも大量に摂取すれば幻覚・幻聴を引き起こして中毒症状が出る。
トリカブトの症状をケシの麻酔効果でカバーしつつ、セルングの向上効果で少量でも致死量に至る魔法薬を錬金しようとしていたのだが、トリカブトとレネジェランを入れ違えたことによって、レネジェランの再生効果が向上して若返りすぎてしまった。
「思わぬハプニングといったところかしら…… それにしても十代に若返るなんて、さっき見た走馬灯が正夢にでもなったっていうの? これはこれで面白い誤算ね」
起きてしまったならしょうがない。私の取り柄は家族から逃げ出した胆力と、五百年生きた精神力。若返りすぎるくらいどうってことない。
近くに落ちていた杖を振ってガラスを直して、爆風で転がったコップやズレた家具たちを元の位置に戻しながら、錬金が失敗した要因を考え直す。それにしても十八歳の時に身長に合わせて作った杖だから、十代の体には少しばかり大きいし重いわね。小さくしましょう。
「あらかた綺麗になったから、次は身なりを整えなきゃ。ここにある書物の中には絶版のものもあるから、それを売って服と食料を買おうかしら」
綺麗に片付けた家には食料の一つもないから、このままでは餓死してしまう。街に出て衣類と食料を調達しなくちゃ。
持っていたワンピースの裾を切る。ウエストでたるみを調節して、太めのリボンで結ぶ。袖もウエストと同じようにリボンで縛って長さ調整。もちろん手が届かないところは魔法で結ぶ。
鞄には書籍を入れれるだけ入れて、浮遊の魔法をかけて肩への負担を少なくする。そうすれば子供の体でも書籍を多く運べる。
「戻ってくるまでに何かあったら嫌ね、目隠しでもしておきましょう。この森に誰かが来るとは微塵も思わないけど、防犯はやっておいて損はないし」
一度杖を一振りして家を覆えるほどの大きな結界を展開する。チカチカと結界が点滅したかと思うと、家が空気に溶けたように見えなくなる。
「じゃあ、行ってきます」
瞬間に強い風が吹いて周りの草木をざわざわと揺らし、小鳥の囀りが聞こえ、鹿や狐にリスなどの動物達が見送りに来てくれた。この森は深く迷いやすく人が寄りつかない分、動物たちや聖霊たちの棲家になっている。本当に居心地の良い森で終の住処にと思っていたのに、死に損なった今では腐敗臭を撒き散らすことにならなくて良かったと思ってる。
私は森の入り口に辿り着いた。遠くには聳え立つ城壁に守られたこの国の首都が見える。王都に向かって伸びる道に足を踏み入れた。
不慮とはいえ、せっかく手にいれた子供時代の体。あの頃捨ててしまってできなかったことをここで取り返そう。
〈王都にて〉
「また珍しい本があったら持ってきておくれよ!」
そんな元気な声に私は頭を下げて古書店を出た。書物でいっぱいだった鞄の中にはお金が大量に入っている。私の家にあった書物はやはりどれも古く、王立図書館の制限区画に収蔵されるような貴重品と化していた。
「五百年で本の価値がこんなにも激変するなんて。きっとあの店長は図書館に売りにでも行くんでしょうね。持っていても値段が値段で売れないでしょうし」
そんなことをぼやきながら王都を歩く。最後に王都へ出たのはいつだったか、もうそれすら思い出せないほどの時間を一人で過ごしてきた。
「いや違う、最後に王都に出たのはあの子へのプレゼントを買いに行った日以来ね」
あの子を拾った日、私たちが出会った日を祝うためのプレゼント。喜んでくれた顔を見て嬉しかったのに、あの子は連れ去られてしまった。 自分の中では割り切っていたと思うのに、いざ思い返すとやはり寂しい気持ちになる。過去に学校を設立して二百年教師として若い魔法使い達に教えて何度も別れたのに。
「別れを惜しむ気持ちはいつまで経っても慣れないわね」
「お嬢ちゃんお腹空いてないかい? よかったら食べていきな!」
少し立ちすくんでいたら、前方から元気な声が聞こえた。よく見ると串肉の屋台で、店主であろう恰幅の良いおばさんが私に向かって手を振っている。
「ありがとう、お幾らかしら」
「いいのよ。あたしにも娘がいるんだけど、反抗期なのか最近口を聞いてくれなくてさ。甘やかし先を探してたんだよ」
店主のおばさんは私に向かって満点の笑みを見せてくれる。私の顔はそんなにも悲しそうな顔をしていたのかしらと思い、思わず頬をこねてしまう。
「……じゃあお言葉に甘えるわ、ありがとうおばさま」
「おばさまだなんて上品な子ねぇ! たーんとお食べ!」
「いただきます」
改めて人ってすごい。人の感情を察知して寄り添ってくれたり、深く言及しないでくれたりと心遣いが温かい。
「にしてもあんた十歳くらいじゃないかい? できた子だねぇ」
「そんなことないわ」
「まるで年上の貴婦人を相手してるみたいだわ」
「……ケホッ!」
「あらあら、飲み物もらってくるからちょっと待ってな!」
的確な例えに思わず喉を詰まらせてしまった。同じ女だけど、女性の間ほど恐ろしいものはないわね……
「ご馳走様、本当にお代は大丈夫なの?」
「言っただろう、あたしは誰かを甘やかしたかっただけさ。気にしなくていいよ」
「本当にありがとう」
「何かあったら助け合い、そうだろう?」
本当に人との繋がりは暖かくて心地いい。久しぶりに王都に来て再度人の凄さに実感する。
「またおいでよ」
「必ず」
そう言って私は屋台街を後にした。思わぬところで昼食代が浮いたから、食料と服以外のものも買って帰ろうかしら?
「どうせだったら薬草を仕入れて栽培して魔法薬を作って売りましょう」
魔法薬を売って手に入れたお金でドレスを買って旅に出るの。なんだかんだいってこの地から離れたことは一度もないから、いろいろな場所に行ってみたいのよね。
ただ悔いがあるとすれば、あの子をもう一度抱きしめることは叶わないということ。別れてから手紙の一通も送ることは許されなかったから、どのように成長したのかも、生きているのかもわからない。
「あの子は、フラウムは元気にしているのかしら……」
別れて十年、生きていれば十六歳。連れて行かれた理由は? 本当の親が探していたとか?
「せっかく元気をもらったのに、暗くなっちゃだめじゃない」
私はお金を稼いでドレスを買って旅に出るの。例えばそうね、果物が美味しい熱帯の地や気候の安定した温帯の地、星空が綺麗な寒帯の地も捨てがたいわ。
「砂漠が広がる乾燥帯の地も、独自の文化が広がっているはず。そこだけの魔法薬もあるかもしれないわね」
考え出したら妄想が止まらない。この先の未来が楽しみで仕方がない。そう考えながら服屋の並ぶ区画に向かう。
軽い足取りで歩いていた私は、服屋への道を曲がった先にあった柔らかい何かに衝突して弾かれてしまい、思わず座り込んでしまった。
「……うっ、ごめんなさい」
咄嗟に出た謝罪の言葉を言いながら顔を上げると、私がぶつかったであろう人がこちらを見下ろしていた。
背格好はかなり大柄で、腹部の肉がかなり出っ張っていてシャツがあっちこっちに引っ張られている。いうところの超肥満体型の男で、まわりにはとりまきが数人いる。
そして私の脳内は警戒の二文字で溢れかえる。この男はすごく危険だと警鐘も鳴っている。
「あーあー薄汚い餓鬼のせいで服が汚れてしまった! どうしてくれるんだ?」
どうやら男は、子供を脅してどうにかしようという魂胆のようだ。年齢はどうあれ今の私は一人の子供にすぎない。脅せば泣いて詫びて何でもすると言わせようとしているのだろうが、私はこの男よりも多くの時を生きている。魂胆の一つや二つ見えないわけがない。だから……
「ごめんなさい、何でもしますから!」
あえて子供らしくいって、どんな反応をするか見てみようとおもう。
「随分と聞き分けのいい餓鬼だな…… そうだな、手っ取り早いのは弁償だな! お前にこのシャツの金を払えるのか?」
典型的な傲慢野郎じゃない、つまんないわね。
「えっと、いくらですか?」
「五百ゴールドだ」
……余裕で払えるわね。こいつ宝石をじゃらじゃら付けてるあたりに貴族の品すらない。成金なの? でもここでは子供らしくいくのよ、一般市民の子供にそんな大金はないもの。
「……ないです」
「親は」
「えっと……」
「じゃあしょうがねえな、こっちに来い! 顔はいいからきっと高値で売れるぞ」
「売る⁉︎」
って事はこいつ奴隷商じゃない! 奴隷は大陸法で禁止されてるはずなのに! だって制定の日に証人として私が立ち会ったんだもの!
まぁでもこういう悪人の一人や二人は日の当たらないところに大勢居るわよね。どうせだったらついて行って奴隷になった子達も助けちゃおうかしら? 匿名で警備隊のところにでも置いておけば、あとはやってくれそうだし……
ギリギリまでついていきましょう。
私はとりまきの男に腕を掴まれ引っ張られ、されるがままについていくことにした。〈行動は起こすのみ〉
「ほら入れ! 大人しくしとけよ。どうせすぐセリにかけられるんだ、逃げ出そうだなんて考えない事だな」
「いたっ……」
ガチャッと牢の扉が閉まる。私は引き際を見計らい損ねて捕まってしまった。
ギリギリのつもりが中まで入ってしまうなんて…… すぐに出たらバレてしまうでしょうし、少しは大人しくしていようかしら。それにしても鞄の中のお金を隠せて本当によかった。隠匿の魔法で咄嗟に隠したけれど、本当に便利ね。作っておいて正解だったわ。
それにしてもここからどうしましょう、何の考えもなしについてきてしまったし。爆発は他に捕まってる子も証拠も犯人たちも危険に晒されてしまうでしょうし。魔法に関しては私の右に出る子はいないって思っているのだけど、こういう作戦を考えるのは本当に苦手なのよね……
「面倒くさいから、とりあえず混乱を起こすだけ起こして必要なものを回収して…… それだと主犯たちが国外へ逃亡する可能性が上がってしまう。じゃあ捕まってる子達を先に逃して、その後に犯人たちを捕まえて警備隊に突き出す?」
……全く考えがまとまらないわ。私本当に苦手なのね、五百年経ってようやく再確認した。
そういえばさっき私を牢屋に放り込んだとりまきのうちの一人は、すぐセリにかけられるとか言ってったわ。じゃあ今日は奴隷オークションでもやるっていうの? とすれば、会場はこの建物の中? 空気がひんやりしているから、私がいるところは地下で間違いなさそうね。
「ならこうしましょう」
私は袖に作っていた亜空間から杖を取り出して私がいる牢の扉に向かって振る。すると扉の鍵が開いて、私は牢からの脱出に成功した。ここの奴隷商たちは、魔法が使える子供を攫ったことがないのかしら? それとも子供なら魔法がうまく使えないだろうからって安心してる? 用心するに越した事はないのに。
「次は騙さなきゃね」
私はまた牢の鉄格子に向かって杖を一振りする。瞬間に鉄格子大の魔法陣が展開されて、牢の中には壁を背もたれに座り込んでいる私が現れる。肩をさすったり、少し涙を流していたりとなんとも子供らしい行動をするが、これは本物の私じゃない。当たり前よ、私は牢の外に出ているんだから。
これは幻影魔法、かけられた人は幻影を見ることになる。私が今やったのは鉄格子の外から見る人に対して、私がいるように見せている。壁に風景画を飾っているような感じね。
「これでよしと」
次にやることは私が見つからないようにすること。家と鞄に施したように、私を囲むように結界を展開させる。隠匿の魔法を私自身にかけて、周りの人間が私を認識できなくなる。
「これで自由に歩き放題よ。どうせ偉そうな奴の部屋は上にあるでしょうし、上から攻めようかしら? でもそれでは時間がかかるし…… じゃあこうしましょう」
空間に向かって杖を振ると魔法陣が現れ、三匹の猫が飛び出て私の前に並んで座る。三匹とも首に色違いのリボンをつけている。右から赤いリボンの子はローズ、しっかり者の長女。真ん中の青いリボンはネモ、ふわふわ長男。黄色のリボンはマリー、遊び盛りな次女。
「この建物内にあるでだろう奴隷の売買に関する書類、主犯であろう人物の居場所、この建物がどこにあるかを調査してほしいの。隠匿の魔法をかけたらすぐに行ってね」
結界の展開が済むと、三匹はンニャと揃って鳴いて地上に続いているだろう階段を上がって行った。あの子たちは聖霊で、元は生きていた猫だった。私が拾って天寿を全うした後に、私の元まで戻ってきてくれた本当にいい子たち。序列は猫の習性である毛繕いでわかった。序列が下の子は序列が上の子にはしない、兄弟だっていうことは再会した時に教えてくれた。なかなか愉快な子達なのよね。後から来たフラウムにもいい姉貴分兄貴分だったのを思い出す。
「……私は会場を探そうかしら」
私もようやく動き出した。階段を登って地上への扉を開くと、そこは煉瓦造りで鉄格子で三分の一が囲われたスペースがある部屋で、捕まったであろう子供達が隅っこに蹲っていた。目隠しされて運ばれていたし静かだったから気づかなかったのだけど、多く見積もって二十人ほどは捕まっているそうだった。
「……ここ数十年使わなかった攻撃系の魔法の鈍りが取れそうね」
「ひっ」
……びっくりさせちゃったみたい、私そんなに怖い顔をしていたかしら? それにしても私の姿は見えないはずなのに、気配を感じている子が数人いるわね。魔力を感じる感覚が鋭いということは、魔法使いの素質があるということ。もう少し大きくなれば魔法学校に入れるようになる。入るかどうかはこの子達次第だけれど、独学でも魔法は学べるから好きな方を選べばいい。
「将来が楽しみね」
……と部屋を出る前に、この子達の安全を確保しなきゃ。私は杖を鉄格子に向かって一振りする。今からかける魔法は鉄格子を破壊不可能にする魔法、ただの強化魔法ね。でも私がよしとするまでこの魔法は絶対に解けない。まぁその間私の魔力が、徐々に減っていくけど大丈夫でしょう。私が気絶するまでこの子達の安全は確保されるわけなんだから。
子供たちがいる部屋を抜けると近くに会場があるのか、少し騒がしい声が聞こえてくるようになった。この騒がしさから、今日オークションがあるという予想はあっていたらしい。
「このようなやましいオークションなんかは、どうせ夜にやるのよ」
どうにかして外の状況を知りたい。目隠しされてここに連れてこられたから、現在地も曖昧だし。見つからないように周りを確認しながら慎重に廊下を進んでいくと、ようやく窓のある場所に出ることができた。
「日が沈みきってるじゃない、開会まで時間がないかもしれないわ……」
窓の周りが高めの生垣で覆われているから、大雑把な時間しかわからない。景色だけでも見れれば此処が何処かある程度絞り込めるのに……! 焦る気持ちが余計に思考を鈍らせる。まさか精神状態まで身体の年相応になったっていうのかしら? 今までは二十代に若返ってたから齟齬がなかっただけなのかも知れない、若返りも楽じゃないってことなのね。もうできないけど。
窓のまえで頭を悩ませているとニャンと鳴き声が聞こえた。鳴き声のする方向を見ると、現在地の特定を任せた子が戻ってきていた。
「ネモ、戻ってきたのね。此処がどこかわかった?」
「わかったよぉ、最近できたオペラホールっぽいニャ。おねえちゃんはその裏手にある納屋にいるっぽいニャ」
オペラホール? 少なくとも私が家から出なくなる前には無かったわ。
「おねえちゃん引きこもってたからねぇ、二年くらい前にできた新品の会場だから知らないって顔も当然だニャ」
「……あなたの減らず口ったら相変わらずね、お尻を叩かれたいのかしら?」
「猫にとってはただのご褒美だよぉ。まだ小さかったフラウムをお世話してた時の癖が、全然取れてないニャ」
「まだ治ってないんだから抉らないで」
「ごめんニャさい」
思わず低い声が出てしまった。走馬灯で見たフラウムの悲鳴は、私に無力というレッテルを思い出させた。もう二度とあんな顔を見たくない、させたくない。此処の子供達だって無事に脱出させてみせるんだから。
「それにしてもローズとマリーは大丈夫かしら……」
「リーダーを見つけたローズは、マリーと一緒に書類を探してるニャ。結構バラバラにあるみたいでぇ、集めて隠すのに苦戦してるらしいニャ」
「そこまでやってくれてるのね。ありがとう」
「どういたしましてぇ」
生前からの付き合いだけれど、この子達の賢さには惚れ惚れしちゃうわね。ネモには此処から私と一緒に行動してもらいましょう。〈作戦決行〉
「なぁんかすっごい派手派手な仮面つけてるニャ、服もキラキラでうずうずするニャ……」
「……行っちゃダメよ?」
裏手の納屋から移動して今いるのはオペラホールの舞台袖。袖幕から客席を覗くと、とにかく豪華に着飾った参加者たちが椅子に座っている。なんとか開演には間に合っているようでほっとしたけど、ローズとマリーが戻ってくるまでは行動できそうにない。植物の種でも座席周辺に撒いておけば、草属性の魔法で蔦を伸ばして観客を絡めて捕まえておくとかできるのに。
「あっ、それくらいできるじゃない」
「どうしたニャ?」
「埋土種子よ。土の中には発芽せずに生きたまま土に埋まっている種子があるの。それらを発芽させて蔓の伸ばさせる。一緒に巨大化させてしまえば、床なんかあっという間に突き抜けさせられるんだから。蔓が太ければ拘束を解くのも難しくなるし」
「でもそれだったら、捕まえられなかった人間たちが逃げるかもしれないニャ」
「それもそうね。あまり大事にはしたくないから、床を突き破らさせるのも却下しましょう」
新築のオペラホールを壊すのはなかなか心が痛むわね。建設した人たちにも申し訳ないし……
「それは別にいいと思うニャ。おねえちゃんなら直せるニャ」
「もちろんできるわ、やりたくないだけ。目立っちゃうじゃないの」
「昔の魔法使い特有の引きこもり性格だニャ」
「……お黙りよ」
でもそうね、ほとぼりが冷めて建築再開しようか考える時期になったら一気に直すってのもありかもしれないわ。夜中にこっそりやってしまえばいいもの。でも魔法陣がかなり大きくなるし
光も出るから、人目は避けられないでしょうし。
「あっ、はじまるニャ」
ネモの声で意識を現実に戻す。いつの間にか客席側の照明が落とされている。ステージの上を見れば、スタッフが声高らかにオークション開始の宣言をしていた。同時に観客席から拍手と口笛が聞こえてくる。身なりは豪勢にしていても、こういうところで中の醜さが露わになる。そもそもこんなものに参加する奴らにまともな奴なんて一人もいないのよ。嫌になるわ。
「あれすごいキラキラだニャ! ここにいる人間たちが首につけてるもといっしょのニャ!」
「ネックレスね。前半は貴重品で後半は奴隷オークションってところかしら?」
予想通り、初めの方はアクセサリーや絵画、曰く付きの書物や剣など普通のオークションのようだった。そして休憩を挟んで後半戦開始のベルが鳴る。スタッフが改めて後半開始の宣言をしようとしていたところに、他のスタッフが慌てて入ってきた。
どうやら私が抜け出した事に気づかれたらしい。牢から出てどうするかを考えることに必死になって、牢が開かないようにするのを忘れてしまっていた。最近物忘れがどうも激しいのよね、やっぱり歳かしら?
「……そろそろ行動しましょうか」
そう言って私はステージ上に向かって杖を振る。照明一つ一つに魔法陣が展開された途端、パリンパリンと鋭い破裂音を響かせながら照明が割れていき、床が揺れて蔓が伸びる。
今私がやったのは照明に内蔵された魔法石の破壊。照明に使われている魔法石には雷属性が付与されていて、どこかにあるであろうボタンを押す事によって照明のオンオフの切り替えが可能になるのだけど、手っ取り早く照明を落とすには魔法石を直接破壊したほうが早いってわけ。
案の定真っ暗になった会場には悲鳴と怒号が飛び交った。思わず体をびくつかせてしまった私は、走馬灯で見た父と母だった人間の悲鳴と怒号を思い出す。これも一生忘れられないし、慣れる気がしない。
逃げろ、どけ、邪魔、出口はどこだ、そんな声で満たされたオペラホールはまさに地獄絵図でしかない。出口はすでに太く強化された蔓によって封鎖されており、蔓に触った者はそのまま手足を絡め取られて身動きも取れなくなる。細い蔓が会場の床をどんどんと埋め尽くしていき、座席に座ったままの者も手足が拘束されていく。
「子供達の笑顔を奪った罪は重いわよ」
「おねえちゃんこわぁい」
だって怒っているんだもの。怖くて当然よ。ローズとマリーはまだ探してくれているのかしら? そろそろ戻ってくれてもいいと思うのだけれどと思っていると、頭上からニャーと鳴き声が聞こえた。ローズが主犯であろう男を拘束して引きずってきていた。あら? 私とぶつかったあの成金のおっさんじゃない。こいつなかなかに見る目があるじゃない
「ねえさん、主犯を持ってきたニャ」
「ありがとうローズ。マリーは?」
「おねぇ私はここニャ! ねぇ褒めて!」
「まとめて持ってきてくれたのね、ありがとう」
「えへへ!」
マリーが頭の上に乗ってくる。マリーの元気っぷりにはいつも助けられてる。ローズのしっかりさは私も見習わなければと思わされる。……やっぱり今日の私ってば感傷に浸りすぎじゃない? 本当にどうしちゃったのかしら。
「ねえさん、とりあえず警備隊に通報だけでもしたらどうかニャ?」
「そうね、そうしましょう」
ローズの声でまた現実に引き戻される。なんだかどんどんと思考が鈍っている気がするのは何故なの? 視界も、なんだか霞んでる、気がする……
「おねぇ大丈夫? フラフラしてるニャ……」
「……大丈夫、大丈夫よ。ごめんねマリー、ローズにネモも」
とにかくローズに言われたように魔法で救助要請をするためにオペラホールの真上に魔法陣を展開して、救助要請をするために炎属性の魔法を放つ。ドンッと大きな爆発音が聞こえたから無事に魔法が発動したようでよかった。途端に足がふらついてよろけてしまう。膝をつかないように小さくしていた杖を元の大きさに戻す。三匹の心配する声が聞こえるけど、もう若干聞こえにくくなってきている。体の中の魔力が枯渇しているとでもいうの? 魔力量まで子供化するなんて信じられないわ……
ぼやっとする意識をなんとか保ちながら周辺を見渡していると、ホールの正面出入り口を塞いでいた蔓がバリバリと音を立てながら引き裂かれていく。警備隊が到着したの? 炎属性の魔法を打ち上げてからそんなに時間は経ってないけれど…… もしかしたら近隣住民が騒動に気づいて連絡していたとか?
そうこう考えていると、ガチャガチャと鎧を鳴らしながら警備隊たちがゾロゾロと入ってくる。蔦に絡められている参加者とオークションスタッフを見て驚きの声がちらほらと聞こえる。
「おねえちゃん警備隊がきたニャ、もうだいじょうぶだから安心するニャ」
「現状を、伝えなきゃ……」
「無理は禁物ニャ、おねぇの魔力もう少ニャいニャ……」
「うそでしょ……」
「ネモがねえさんが死のうとしてるって言って、慌ててトリカブトとレジェネランを入れ替えたまではよかったけど、まさか体も魔力量も幼体化するとは思っても見なかったニャ……」
……ん?
「……ねぇローズ? もう一回言ってくれない? ちょっと聞こえなかったわ」
また声が低くなる。ちょーっと聞き捨てならない言葉が聞こえたわねぇ?
「ローズが口滑らせたニャ! ローズが言っちゃったニャ!」
「マリーだまってニャさい! ネモは逃げニャいの! 怒られる時は道連れニャんだから!」
「ローズゥそれはあんまりだニャ……」
「……起きたら三匹ともお仕置きなんだから!」
そう言った途端私の体は硬直して床に倒れてしまった。三匹がの焦りっぷりがボヤけた視界越しに見える。声はもう聞こえない。ただ一生懸命に鳴いて警備隊たちを呼ぼうとしているのは見えた。
しかし、私の元に来たのは警備兵じゃなかった。何かを言っているような気がするけど、聞こえなかった。ただすごく懐かしい気分になった。誰かが私の顔を覗いている。とても綺麗なジャケットに身を包んでいる男の人。髪は若干黒色かかった赤色で、あの子、フラウムに似てる。気のせいかもしれないけど、本当にそっくりで、走馬灯で願ったことが叶ったとすら思えてしまう。
「フ、ラウム。フラン、あなたにもう一度、会えてよかった。私は、幸せ者ね……」
その言葉を最後に、私の意識は暗闇へと消えていった。
「……女の子?」
長い黒髪の少女が倒れている。三匹の猫たちが鳴いて知らせてくれた。見間違えるはずもない。かつて自分を拾って育ててくれて、魔法も教えてくれたお師様の愛猫たち。ローズ、ネモ、マリーだった。その三匹が倒れている少女の周りを守ように囲んでいる。
「まさか、そんなことが……?」
この少女がお師様とでもいうのか? だが……
「公子様、誘拐された子供たちの保護が完了いたしました。子供達がいた部屋の鉄格子に魔法がかけられていたのですが、公子様その少女は?」
「この子は俺が個人的に引き取る。そこに転がっているのが主犯だろう。周りに置いてある書類の回収も忘れないように」
「はっ!」
近づいてきた警備隊に手短に要件だけを伝えて現場を後にする。少し後ろをついてくる三匹は本当にこの少女を心配しているようだった。魔力の少なさが心配になるが、この子がお師様? 疑わしいが、魔力の気配が似ているなどそのようなものではなくて……
「……またお会いできる日を、心待ちにしていました。お師様」
外に待機させていた家の騎士たちと合流する。少女を抱いた俺を見て驚いた顔をしている。
「フラウム様、そちらの少女は……」
「子供たちを守った人だ、丁重にしろ。公爵邸まで運ぶ、馬車を呼べ」
「はっ」
近くで待機していた馬車が目の前で止まる。座席に毛布を敷いてそこに寝かせ、杖も発見された鞄も忘れずに馬車に乗せる。そして後ろで並んで待機していた三匹に向き直り、俺は言う。
「ローズ、ネモ、マリー、久しぶり」
「やっぱりフランだ! フラン! フラン! あたしたちのことを覚えてたニャんて!」
「うれしいニャ、フランがぼくたちのことを覚えててくれてぇ」
「ねえさんは魔力が枯渇してるだけニャ、休めば元気になるニャ」
口ぐちに好き勝手言うあたり、本当にあの三匹のようだ。
「わかってる、公爵邸まで安全に運ばせるから。ほら君たちも乗って、なにもないとはおもうけど、道中お師様のお守りを頼みたい」
「わかったニャ。ネモ、マリー先に乗りニャさい」
「フランはどうするニャ?」
「俺はちょっと調べたいことがあってね」
そう言って俺は子供達がいた納屋のある方を見る。黙って納屋の方を見ている俺が気になったのか、お師様の反対側に置いた毛布を気にいるの形になるように弄っていたネモが話だす。
「子供達がいた牢屋とぉ、おねえちゃんがいた牢屋にかかってる魔法はぁ、おねえちゃんがかけたんだニャ」
「ネモ、バラしちゃだめニャ。フランはそれを見に行きたいんだニャ」
「え、バレてたの?」
自分が考えていたことをネモの隣で寛いでいたマリーに、的確に当てられて思わず体が硬直してしまう。
「あたしに隠し事ニャんてできニャいのニャ」
「まいったなぁ……」
お師様の魔法跡を見ようとしていたのがバレてしまったので、俺の調べたいことは解決してしまった。二匹の目は、お師様を一人にするのか? と言っているように見える。
「……俺も行くよ、ローズも乗って」
「そうこニャくっちゃ!」
「失礼するニャ」
「いざ行くニャ、フランのおうちへ〜」
ネモの言葉に少し眉を顰める。
「……俺は一度だって今住んでいる所を家だと思えたことはないのに」〈目覚めた場所は〉
「……………んぅ」
目が覚めた場所は見慣れない天井だった。背中に感じる圧力はとても心地が良くて、もう一度眠ってしまいたいほど。生地の薄いカーテン越しに入ってくる日差しはとても温かい。ベッドの隣には奪われたはずの鞄が椅子の上に置いてあり、倒れた時に手放してしまった杖が壁に立てかけてあった。
……知らない部屋ね。夢かもしれないから、もう一度寝ようかしら。と瞼を閉じようとすると布団越しに腹部へ痛みが疾った。
「ねちゃダメニャ! ダメニャねえさん!」
「……かはっ! ってローズ⁉︎ やめてお腹の上で、跳ねないで! 老人を、労りなさい!」
「今のおねえちゃんは、魔法が使える女の子ニャ」
「おててしわしわじゃないニャ。これでいっぱい遊べるニャ!」
ネモとマリーも一緒になって周りで跳ねる跳ねる。振動が気持ち悪い…… 確か私は魔力が枯渇して舞台袖で倒れたはず。なのにどうしてこんなにも豪華なベッドで寝ているわけ? そういえば意識をなくす前に誰かに抱えられたような…… フラウムみたいに黒っぽい赤色の髪の毛で。
そう考えていると、部屋の扉が勢いよく開く。まさに私が倒れた直後に駆け寄ってきてくれた男の人だった。マリーが呼びに行ったのか、その人の肩に乗っている。マリーがあんなに懐くなんて…… ローズもネモも全く警戒していないし…… どういうことなの? でもこの魔力の気配は……
「彼がねえさんを助けてくれたのニャ。誰かわかるかニャ?」
「ローズは心配性ニャ。おねえちゃんがわからないわけニャいのニャ」
「おねぇ?」
「えっと……」
私がしどろもどろになっていると彼から口を開いた。開いたといっても、何を言えばいいのかわからないような、言葉を選んでいるような感じだった。そして数秒後、言葉をまとめ終わったのかようやく話し始める。
「……俺は、フラウム。フラウム・ボルドレッド、です。君の、あなたの、名前を伺っても?」
あぁ、彼は、この子は気づいているのね。私が自分の六年間だけの育て親だって。魔法を教えた師だって。途切れ途切れになっているその言葉は、感情を押し殺しているように聞こえて余計に心が締め付けられる。顔も必死に微笑みを保とうとしている。
はぐらかさない、この子が名乗ってくれた。だから私も名乗らなければいけない。
「私の名前はソフィーリア、ソフィーリア・ラズリ」
「…………っ」
フラウムが息を呑む音が聞こえる。
「大きくなったわねフラン」
「……もういちど、もう一度お会いしたかったです、お師様」
フラウムが押し殺していた感情が一気に爆発する。
「私も会いたかったわフラン、元気で本当に良かったわ」
フラウムは私の手を痛いほど強く握っている。十六歳にしては豆の多い手、剣術を習っているのかしら? 立派な青年に成長したのね。誇らしい。
話したいことも、聞きたいことも、たくさんある。でもまずはフラウムが泣き止むまで静かに寄り添うだけ。今の私にはそれができるだけで充分。なんて素晴らしい目覚めなのかしら。
目の周りを真っ赤に腫れさせたフラウムが私を見ている。今すぐ氷嚢を作って渡してあげたいけど、魔力が回復しきっていない私には何もできない。とりあえず私がオークションの現場となったオペラ会場にいた理由、幼くなっている理由、オペラホールがあの惨事になった理由を、死のうとしていたことを省いて包み隠さず話した。フラウムは静かに聞いてくれて……
「……ふふっ、お師様の大雑把なところは、本当に相変わらずのようですね。安心しました」
なかったわ。ええそうよ、私は魔法と魔法薬のことしか頭にないの。教師として教壇に立っていた頃になってようやく人との接し方を学んだの。潜入作戦とかとは無縁の人生だったのよ?
作戦とかわかるわけないじゃない。無鉄砲だって笑われてもしょうがないわ。甘んじて受け入れますとも。若干惨めに思っていると、フラウムの方から冷たい空気が漂ってきた。フラウムの顔をよく見ると、怒っていた。
「それはそうとお師様、三匹から死のうとしていたと伺っているのですが。どういうことですか?」
「………………えっと」
よくないことが起こっていることは流石の私にもわかった。家出してこのかた、怒られたことなど一度もなかった私が、元教え子に怒られている。すごく屈辱的なことではあるのだけれど、私がやったことは誰かを悲しませることであったことに変わりはない。それはフラウムだけではなく、ローズ、ネモ、マリーの三匹だって同じこと。だから私を死なせないためにトリカブトとレジェネランの瓶を入れ替えたんでしょう。そんなことわかっているのに起きたらお仕置きだなんて、本当に私って馬鹿げてるわね。
「あなたが……」
「……俺がなんですか?」
固く閉めていた本音の鍵が溶けていく感覚がある。今まで弱音を吐くなんてことしたこともないのに。やっぱり精神状態も体に引っ張られているみたいね。目頭も何故か熱くなってくる。涙が溢れてしまう。抑えたいのに抑えられない。
「あなたが、連れ去られてしまって、守れなくて、悔しかったの。あなたがいなくなって、本当に寂しくて、悲しくて、生きている意味すら、わからなくなって……」
「お師様……」
フラウムの手が暖かい。だからどんどんと涙が溢れ出して止まらない。
「一人は、イヤなの。ローズ、ネモ、マリーがいるって、わかってるんだけど、それでも寂しくて、人の温もりというものが、恋しくって……」
「…………」
「あの時みたいに、小さなあなたを、抱きしめた時の、あの温もりが、忘れられなかったの。それが辛くて、だから死んで楽に、なろうとしたの。ごめんなさい、ごめんなさい……」
フラウムは静かに私の話を聞いてくれている。あぁ、ベッドシーツを強く握ったせいで皺ができてしまった。こんなに泣きじゃくってしまうなんて、私は本当に子供になったのね。
さっき私が泣くフラウムにやったように、フラウムも私の手を握って泣き止むのを静かに待ってくれた。フラウムの本当のご両親、ボルドレッド夫妻も見舞いに来てくださった。フラウムはご両親に私の正体を明かしていないのか、すごく可愛がってくださった。
そしてあのオペラホールがボルドレッド家が所有しているものということを教えられて、私はただ何度も何度も心の中で謝り倒していた。どうやらホールをあのようにしたのも私だって知らないみたい。フラウムはどこまで伝えてないわけなの?
やはり奴隷商の存在が近年問題視されていたようで、ホールなどを所持する家はかなり警戒して、ホールを貸してくれという申し出をされても断っていた家が殆どだそうで。調査が進まないのでボルドレッド家が名乗りあげてオークションの開催を許可したら、大当たりを引いたといった感じだったらしい。
直せばいいからと何度も言ってくれたボルドレッド夫妻には頭が上がりそうにない。
「……家族ってこんなにも温かい存在なのね」
「お師様のご家族はそうじゃなかったんですか?」
心の中で思っていただけだと思っていたのだけれど、全部口に出てしまっていたなんて…… 慌てて口元を抑えるが、隣でお茶の用意をしてくれていたフラウムの目が鋭いのなんの……
「……そういえばあなたには話してなかったわね、私の親は……」
あれ? 言葉が、出てこない…… なぜ? 話そうとしても口から漏れるのは空気だけで、口は魚みたいにハクハクしてみっともない。手は若干震えて、なんだか体の体温も奪われているような感覚に陥る。
「無理しないでください。お師様の体は、ご両親のことを言葉に出すと強張ってしまうようです。お師様の心に決心がついたら、またお願いします」
「……えぇ、ありがとう」
この子の気遣いにも、何度も救われてきたわ。この子は本当に優しい子ね。〈これは夢?〉
「元気全開! おねぇの完全復活ニャ!」
「マリー騒がしいニャ」
「おねえちゃん、これからどうするニャ?」
ボルドレッド家に保護されて何日かした日。魔力が完全に回復して怪我も治った頃。窓から溢れる日差しと、いつもの三匹の会話にホッとしながら身支度をする。フラウムとボルドレッド夫妻からいただいた服を前に考えている。ボルドレッド家に滞在している期間中にいただいた服は、どれもサイズがぴったりで、リボンとフリルがたくさんですごく可愛い。私が子供の時はこんな可愛らしい服なんてなかったから、この歳だけど着れて本当に嬉しくてしょうがない。
だけどこんな贅沢させていただくのも今日が最後。私はボルドレット家を後にして、元いた家に帰ろうと思っている。だから今日着るようにと用意された服は綺麗に畳んだまま、ベッドの上に置いて、本を売って手に入れたお金を使って買った服を着る。
「……あんなに人の温もりが恋しいとか言っておいて離れるとか、本当に私は天邪鬼ね」
フラウムは今日用事があるみたいなので、朝早くから出かけて行った。だからボルドレッド夫妻に挨拶をして出ようと思う。
案の定ボルドレッド夫妻は私が帰ることに疑問符を浮かべて拒んできた。どうかフラウムが帰ってきてからでもと提案してきたが、夫妻にも急用ができてしまったため、私の是非を聞けずにそそくさと出かけてしまった。
「好機、今がお暇する時よ」
この瞬間を見逃さなかった私は保護してくれたお礼、治療してくれたお礼、服を与えてくれたお礼、家に帰る旨を手紙に書いて帰路に立った。が、あのオペラホールがボルドレット家所有のものだと知ったあの日から、絶対に直してから帰るという執念が燃えていた。
「……外から見るとこんな悲惨なことになっていたのね」
元は豪華絢爛なオペラホールだったと思うのだが、私が埋没種子を発芽と巨大化させたことで扉やら窓から壁のヒビの隙間から蔦が外に出ていて、元の姿が想像できないほど酷い有様になっていた。屋根に至っては蔓が持ち上げてしまっている。……流石に強くしすぎたかしら?
工事はまだ始まっていないようで、人が不用意に入らないようにするために立ち入り禁止のリボンが設置され、リボンの前には警備隊とボルドレット家の騎士たちが見張をしていた。一般の人なら入れずに終わるどころか、立ち入り禁止のリボンに近づくことすら不可能だろう。
だが私は関係ない! だって隠匿の魔法で姿を消すことが可能なのだから! あの日ネモと話したように、私にかかればこんな大きな建物の修復でも、子供の手のひらを捻るように簡単。
不可視の状態になった私は、警備隊と騎士たちの間を縫ってオペラホール
「これがお礼になればいいのだけれど」
そう言って私は袖から小さくした杖を取り出して、元の大きさに戻す。カツンと地面に音を立てて杖を立てる。自分の身長の倍もありそうな杖をオペラホールに向かって振る。するとオペラホールの上に巨大な魔法陣が展開される。全てを一気に戻すために展開した魔法陣には、蔓を種子に戻す草属性の魔法、穴が空いた地面を埋める土属性の魔法、建物を直すための修復魔法。これを一気に展開しているわけだから、平均的な子供の魔力量になってしまった今の私には少しきつい。足元がふらつく感覚を覚える。だが治すと決めた手前、退くわけにはいかない。
「あっ君、いつの間に入ったんだ! 今すぐ魔法を閉じなさい! 危ないぞ!」
……流石にこんな大掛かりな魔法陣を展開すれば、バレるわよね。というかバレないわけがないもの。いつの間にか隠匿の結界も消えてるし。わざわざ敷地内に入る必要もなかったのだけれど、それはそれで惨状が見えないし、離れて魔法陣を展開する分魔力の消費が激しくなるから、致し方なかった。
地面の中に蔓が戻っていく。建物が沈まないように逐一地面に開いた穴を埋めながら、建物を修復していく。こんな大掛かりな魔法は、魔法学校を巨大地震から守った日以来なんだから。
「お師様⁉︎」
しかとその目に焼き付けなさい。五百年前の魔法使いからのお詫びと祝福よ。
「早く馬車を!」
オペラホールは完璧に直った。そしてこのホールが火災にあっても、大雨に降られても、一切の被害が出ない厄除けの祝福をかけた。これができただけで私はもう満足よ。
遠くでこちらに向かって走っているのは、フラウム? 用事があるんじゃなかったの? きっと騎士たちが呼んだのね。だってボルドレット家の建物だもの。これはまた、ボルドレッド家にお世話になるコース、決定、ね……
起きるとやっぱりそこはボルドレット公爵邸で、さっきまで私が使わせてもらっていた部屋だった。あんな大掛かりな魔法は、もう少し体が成長するまで使わないって決めたわ。
「お師様、起きられたんですね」
「ゔっ、フラウム、おはよう……?」
視線が冷ややかで怖い! もし完全に子供化していたら泣くことが確定しているわ! それくらいフラウムの視線が、笑顔が怖くて仕方がない! 口は笑ってるのに目が笑ってないの! いつそんな表情を覚えたのかしら!
「あなたがあんな魔法を展開してもう五日が経っているんです。俺も父も母も気が気じゃなかったんですから」
「…………ごめんなさい」
やっぱり年下に怒られるって屈辱的だわ…… でも完全に私が悪いから何も反論できない。
口をもごもごとしていると、フラウムがメイドを呼んでいた。呼ばれたメイドが持つトレイの中には封筒が入っていて、フラウムが受け取り、私の前で開いてみせる。封筒の中に入っていたのは……
「よ、養子縁組届け……?」
「はい、お師様をこの家の養子として迎え入れることが決まりました」
フラウムはさも当たり前のように、わたしに承諾のサインを書かせようとペンを渡してきた。
「両親から聞きました、俺がいない間に帰ろうとしたんですってね? どれだけ長く住んでいてもその体では不便で仕方ないでしょうし、薬草を採取しに行ったりでもしたら転んで怪我をするかもしれません。それに両親はお師様のことを本当に一人の少女だと思っています。俺を拾って育ててくれた人の若返った姿だなんて一言も言っていないので」
ぐうの音もでない、悔しい…… 実際に若返ったその日、森から出ようとして何度も飛び出た木の根に足を引っ掛けて転んでしまった。だからと言って養子になるなんて……
「あともう一つ確認とサインしていただきたい書類があるんです」
「……え?」
そう言ってフラウムがまた封筒から取り出したのは、魔法学校の編入希望書だった。この国にある魔法学校といえば、私が設立したあの学校しかない。
「じ、自分が作った学校に入れってこと?」
「はい、俺あそこの高等部二年なんです。両親も俺の目の届くところであれば安心だって言っていましたし、お師様がオペラホールを直したことは両親もご存知なんです。それだけの実力があれば、中等部から編入しても大丈夫だろうって」
「はぁ⁉︎」
これはあなたを守ためでもあるんですとしか言っていないフラウムの目には、若干の恐怖すら感じてしまう。あなた私と離別してから何があったの? 何を思って今まで生きてきたの?
私あなたが怖くてしょうがないわよ! でもこれサインしなかったらしなかったで、このまま軟禁状態にされそうね……
私は渋々握らされたペンを握り直す。はいはい、わかったわよ、サインすればいいんでしょう?
ヤケクソになりながら、私は二枚の書類にサインをする。
「……これでいい?」
「お師様の字は何度見ても美しいですね。では俺はこれを提出してきます。夕食時にもう一度お邪魔しますね」
そう言ってフラウムは部屋を出て行った。これからの私の人生、いったいどうなっちゃうのかしら……
急に来た寒気に身を震わせながら、私はもう一度寝ることにした。
「夢よ夢、これは夢よ、あんなにも可愛かったフラウムが、あんな厄介そうな男になってるとか絶対に夢よ! 絶対そうだわ!」
「おねぇ、夢じゃないニャ」
「現実を見ニャきゃ、ねえさん」
「寝てもぉ、起きてもぉ、ここは現実ニャ」
「お黙りなさい!」
本当にどうなっちゃうのよ、私最後の人生……
最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。
ソフィーリア・ラズリとフラウム・ボルドレッド。すでにお察しの方もいらっしゃると思いますが、この子たちは色が名の由来になっています。お気に入りです。
読み返していて、魔法に関する設定はもう少し詰めたほうがいいと思いました。イングランドの有名なあの魔法の世界が幼い頃から大好きなので、属性ではなく◯◯魔法のようにしてみます。
少しずつでも、ここに投稿する作品を増やしていければと思います。




