便利は限界を作ってしまうこともある
私は演奏する音楽野郎です
ライヴ・・・つまり生演奏の現場のあの立体感のある醍醐味が好きなのです
やはり、これはライヴでのみ味わえることです
人生得したと思えることもよくあります
昔は好きなアーティストのレコード(古いですねぇ 笑)を聴きこみ、それぞれの曲の細部までも分析して、体にしみ込ませて、自分自身もカバーしてきたりしたわけです
譜面なんてないのが当たり前で、コード(和音)が解っただけで御の字でした
必死で耳コピ―をする・・・
ただし、耳コピ―するときは同じ場所を何回も聴くので、レコードではなくカセットテープに録音してそのカセットテープを再生したり、巻き戻したりして体得していったのです
これをやるとカセットテープ内のテープが巻き乱れを起こして寿命が短くなるのですけどね(笑)
まさにアナログな空間の響きを体にしみ込ませていたのです
特に私の場合はギターですので、流れている曲のギターを中心に聴いてしまうというある意味悪い癖があるのですが、そのオリジナルのギター演奏の音を聴いて、エレキギターなんかの場合は、どんな種類のエレキギターを使用して、ピックアップのセレクタースイッチはどこで、ギターアンプは何を使い、アンプのセッティングもこんな感じにしたらこんな音になるなぁ・・・とか・・・さらに、このフレーズのこの音は何弦の音やから、この辺りで弾いているはずだ!なんてとこまで追求するのです
同じ人間が弾いているのだから、指が動く範囲はそう大差ないはずですからね
そこから推察するわけです
言うなればカバーではなくてコピーですよね
なり切ると言うことです
何回も何回も繰り返して練習して、勝手に確実に表現できるようになるまで修練する
それの果てしない積み重ねが、日々技術力と表現力として積み上がっていくのです
それを引き出しが増えるとも言うのですけどね
さて、時代は進み、譜面もそこそこ手に入るようになりました
そんな時にTAB譜なるものが出てきました
これは音符が読めなくても、ギターのどの弦のどの場所を弾けばその音が鳴るかをギターの弦数に合わせた6本線とその各弦の押さえる場所であるフレットを数字で表記してあります
おお便利だ~!
なのですが~
残念ながら譜面がなくて耳コピ―していた私からすると、これは限界がある譜面だなぁと思うのですよねぇ
ギターはピアノと違って同じ音が、複数の場所にあったりします
例えばあの有名なドの音で言うとギターの場合5弦の3フレットと6弦の8フレットは、一般的な五線譜で書くと、同じ場所のドなのです
でもねぇ
TAB譜だと、5弦の3フレットの音はあくまでも5弦の3フレットの音で、同じように6弦の8フレットは6弦の8フレットという情報しかないのですね
TAB譜だけで表示されていたら同じ音だなんて気付かないですよね?
そしてドであることすら解らないですよね
最初から最後までそれが全てで弾いているなら、音は出しているけど、何もわからないまま弾いていることになります
つまりそこが限界なのです
アドリヴ(即興演奏)という音楽理論が必要な部分が理解できないのです
これって自分の演奏とは何ぞや?のレベルなんじゃないかな?なんて思ってしまうのです
確かにTAB譜は音符が読めなくてもギターを弾くことができる便利なものかもしれません、でもねぇそれ以上発展しない不都合なものでもあるのでは?
なんだかなぁ?
なんですよ