表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゲンの拳骨  作者: 糸東 甚九郎(しとう じんくろう)
6/51

其の六  黄色い卵に緑の三つ葉

 東京、日歩里(にっぽり)の近くにある黄鶲(きびたき)(だに)地区(ちく)

 この一角にあるオンボロ長屋で、ゲンは一人暮らしをしている。


「しっかしまぁ、人生っちゃぁ、先に何があるかわかんねぇもんだべ! なぁ、島村!」


 古ぼけた丸ちゃぶ台を挟み、頬を赤らめたゲンは一升瓶をぐいと傾け、島村のガラスコップに酒を注ぐ。


「あわわ。おい、ゲン! こ、こぼれちまう! 入れすぎだっぺよ!」

「だーいじだっ! こんぐれぇは、飲めんべや! 太平洋大学空手道部時代を、思い出せ!」

「の、飲めっけどよ! もう、七杯目だっぺな! さすがに・・・・・・」

「いーいから! とにかく、せっかく来たんだ。飲もうや島村! 俺にぃ、付き合ってくんろ!」


 狭い四畳半の部屋に、灯りは小さな橙色の裸電球一つだけ。

 台所には、流し台の中に茶碗や歪んだ真鍮鍋がごちゃごちゃに浸されている。


「こんな暮らし、身体に毒だっぺ。・・・・・・以前の会社の宿舎だったら、もっといい住まいだったのによぉ。・・・・・・なぁゲン? やっぱり、会社に戻ってしっかりと・・・・・・」

「うーるせぇっての! 言ったんべ? 俺ぁ、あの会社とはソリが合わねぇんだよ」

「しかし、こんな生活では・・・・・・」

「しーんぱい、すんなや。いいか、島村? 俺ぁ、この東京で、素晴らしい出会いや縁ってぇもんをな、信じてもいいなぁと思ってきたんだよぉ・・・・・・」

「飲み過ぎだぜ、ゲン? 呂律が回ってなかっぺよ」

「毎日がよぉ、楽しいんだ。これからはよ! 俺ぁ、毎日、銀座街に通っても、いいんだぜー」

「何言ってんだよ。だいたい、ゲンは金持ってねぇだろ? 会社にいた頃、あんなに貯金もあったのにどうしたんだ? まさか、変な博打だのに使っちまったんじゃなかっぺな!」

「ばーかやろぅ。俺が、博打なんざ、やるかよぉ・・・・・・。・・・・・・実はなぁ、実家が空襲でやられちまってよ。・・・・・・家を建て直す、復旧費用に、仕送ってたんだよ」

「な! そ、そったら大事なこと、今まで一言も・・・・・・。だ、だいたい、ゲンの実家は田舎中の田舎だったはずだろ? そんなとこ、空襲なんかあったのか?」

「バカな敵兵がいたんだべな。・・・・・・軍需工場もでけぇ町場もねぇ田舎に、面白半分で焼夷弾をばらまきやがった敵機がいたんだよ」

「な、なんてこった! ・・・・・・それでゲンは、金が・・・・・・」

「まぁ、気にすんなや。もう、兄貴や親父が建て直した頃だろうしな」

「兄貴? おまえ、兄弟姉妹がいたんけ」

「ああ、いるよ。俺ぁ、六人兄妹の五番目だ。・・・・・・ただ、実家を継ぐ一番上の兄貴と俺、あとは年子の姉一人しか、生きちゃいねぇけどな・・・・・・」

「そうだったのか。・・・・・・ところで、おまえが五日前に銀座街で助けたお嬢さんってのは・・・・・・」


 安い酒とつまみのメザシ三匹で、二人は夜の入りまで語り合っていた。


 * * * * *


 こつんこつんと、戸を叩く音がした。


「ごめんくださぁい。夜分にすみません」


 部屋の中でゲンと島村は、その音の方へ目を向ける。


「おいゲン、誰か来たみたいだぞ。もう、夜八時も近いのに誰だっぺ?」

「どらっ、待ってろや島村。俺が出っからよ。おめぇは、飲んでろ!」


 ゲンは土間の草履を履き、玄関の戸をからりと開けた。


「どちらさんだや・・・・・・って、あっ!」

「こんばんは。・・・・・・突然尋ねてしまって、すみません」


 そこに立っていたのは、小さな風呂敷包みを抱えた、千草だった。


「ど、どうしてこんなとこへ! よ、よく俺んちがここだって、わかったなや?」

「東洋江建築を尋ねまして、いろいろと聞いて探しました。青川(あおかわ)さんっていう方が教えてくれて」

「青川? ああ、俺の元上司の主任だわ。あーのやろう、余計なことしやがるなぁ!」


 強い口調とは裏腹に、ゲンは顔がほころんでいる。


「誰だい、ゲン? ・・・・・・まさかそのお嬢さん、は・・・・・・」

「あ、お客様がいましたか。突然押しかけてしまって、迷惑・・・・・・ですよね」

「い、いやいや。気にすんなよ。こいつは島村(しまむら)大二郎(だいじろう)。俺の、学生時代からの友人なんだ」


 千草はゲンの後ろにいる島村へ、ぺこりと会釈をした。それに島村も、ぺこりと礼を返す。


「島村。これも縁だぞや! ちょうど、千草さんのことを話していたところだったんだよな」

「え? わたしのことを、ですか?」

「神宮司さん。ゲンのやつがね、なんだか、あなたのことをものすごく気に入・・・・・・」

「だぁーっ! し、島村! おめぇ、まだ酒飲み終えてねーぞ! さっさと飲んじまえ!」


 話を遮られた島村は指で丸メガネをくいっと上げ、ゲンに向かってにやりと笑った。


「はいはい。邪魔はしねーよっ。・・・・・・。くそー。とんでもねぇ美人を捕まえやがったな、ゲンめ・・・・・・」


 島村はなにか呟きながら、メザシを一匹ぱくりと頬張り、ぐいと酒を飲んでいる。


「ところで、今日はどうして俺んちに?」

「源五郎さん、数日お店に来てないから。あれからどうしたかな、と思いまして。ご飯・・・・・・きちんと、食べてます? もし、よろしければと思って、わたし、これを・・・・・・」


 千草は風呂敷を解き、氷袋が添えられた小さな器を二つ手渡した。


「あ! これ、卵で作る・・・・・・何だっけ? とにかく、貴重な卵のうまいやつ! すごいねぇ!」

「ふふっ。『茶碗蒸し』ですよ、源五郎さん。わたし、得意なんです。お口に合うといいんですが」

「千草さんがせっかく作ってくれたんだ。うまくないわけなかんべ! ありがたくいただくよ!」


 ゲンは茶碗蒸しを見て「ミツバがきれいだ」と笑っている。千草は「お早めにね」と言い、風呂敷を畳んで袖内へしまった。島村は飲みながら、二人の様子を微笑んで見つめていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
この当時は卵ってかなりの貴重品だったんじゃ…………。 このお嬢さん、惚れたね?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ