其の五 しっかりしてるお嬢さん
「ありがとう存じました。またのお越しをお待ちしております」
千草が、笑顔で深々と頭を下げている。板内たちは、勘定を済ませ帰っていった。
板内との話を終え、ゲンはまた窓際の席に戻った。
「やーれやれ、板内の野郎も相変わらず仏頂面だなぁ! 固すぎて、話してるこっちがおかしくなっちまうべや」
ゲンは饅頭をばくりと頬張り、それを茶で流し込む。
「・・・・・・今のお客さんたち、源五郎さんのお知り合いだったんですか?」
「ん? あー、俺が東洋江建設っつう会社にいた頃の、同期だったやつだよ。黒曜団っていう劇団の頭になったんだと。俺にはよくわかんねぇ世界だなー。この日本に、華を飾るだなんてよぉー」
「あのお客さんたち、ここ最近、よく来るんですよ。あの席でいつも、お茶を飲みながら何か難しいお話をなさってるんです」
千草は布巾でゲンの隣卓を拭きながら、小上がり席のほうを見て話す。
「あいつは、会社でもそうだったんだよ。変わった野郎でなー。いつも仏頂面して、小難しい言い回しでモノ言うもんだから、上司も同僚も嫌んになっちまってさ。俺ぁ気にしなかったけどな」
「まぁ、そうなんですか? でも、あのお客さんには、独自の考え方がきっとおありなのですよ。わたしには、よくわからないことでしょうけど・・・・・・。考え方は各々違いますからね」
「千草さんは、いろんな方面からモノを考えられるんだな。・・・・・・確かに、そうだよなぁ」
ゲンは笑って、空になったグラスと饅頭の乗っていた皿を千草へ渡した。
「いやぁ、とにかく今日は悪かったね千草さん。うまかったよ、饅頭もお茶も!」
「良かったぁ。すみません、この程度のお礼しか出来なくて・・・・・・」
「いやいやいや、気遣い無用だべよ! じゅーぶん、感謝の意は俺に伝わりましたかんね!」
「・・・・・・じゃ、お茶とお饅頭とで、一万両いただきます」
「え! お、お礼って・・・・・・言ってたから・・・・・・てっきり。・・・・・・か、金とるんけ?」
ゲンは思わず、目を丸くした。慌てて財布の中身を数えている。
「ふふっ! うそうそ! 冗談ですよ。源五郎さんは恩人ですから、お金などいただけません」
「な、なぁんだよぉ! 焦ったべなーっ! ・・・・・・なかなか、イタズラ娘だなや千草さんは」
「ふふふっ。・・・・・・また、いつでもいらして下さい? わたし、平日はここにいますので」
「おぅ、わかった! ・・・・・・だけどなー、俺みてぇな野郎がこんな洒落た茶寮に入るのは・・・・・・」
ゲンは照れを隠すように、笑いながら髪をわしわしと掻き乱している。
「源五郎さんなら・・・・・・わたしは歓迎しますよ。それに、源五郎さんの話し方が・・・・・・」
千草は話し終える前に丸盆で顔の半分を隠し、丸い瞳でゲンをじっと見ている。。
「ん? 俺の話し方? いったい何だや、千草さん」
「源五郎さんって、お国は野州じゃございませんか? 違ったらごめんなさいですが」
「やしゅう? あー、よくわかったなや! そう、栃木だよ。俺ぁ栃木から出てきたんだ!」
「やっぱり。そうでしたか! 初めからその話し方を聞いて、もしかしたらそうかなぁ、と」
「そんなに訛ってっかや、俺?」
「懐かしい訛り方ですよ。ふふっ。故郷を思い出します」
「そうけ! ・・・・・・って・・・・・・え? じゃあ、千草さんも、故郷は栃木なんかや?」
「ええ。そうですよ」
「たまげた! 全然訛ってねぇべや! てっきり、東京の人かと・・・・・・」
「苦労しましたよ。東京に来て、初めは、お国言葉がどうしても出てしまって・・・・・・」
「よかんべや、別に! 俺を見てみろよぉ! なぁーんも、恥ずかしいこたぁねーぞ!」
「ふふっ。・・・・・・源五郎さんを見てると、確かに、そう思えてきちゃいますね」
千草は穏やかな笑みを見せ、ゲンと話を続ける。
「この店は・・・・・・千草さん一人で?」
「いいえー。戦後に水引屋へ一緒に入った子が、あと二人います。いま、商店街へ買い出しに行っているので店にはいませんが。わたしは、お雇い店長的な感じです。楽しいからいいですけどね」
「そぉなんかぁ。いや、雇いだろうがヤドカリだろうが、店長ってなぁ、大したもんだべ!」
「そんなそんなー。小さな店ですし、大したもんなんてこと、ありませんよぉ」
「謙遜も上手だなや、千草さんは。・・・・・・ところで、栃木のどこなんだい? 俺ぁ、宇河宮の西にある、北柏沼村っつうとこの出なんだけどよー」
「あら、奇遇ですね! 北柏沼村なんですか。わたしの実家はその西隣の、上陽向村なんです」
「上陽向なんけ! いやぁ、偶然だなや! ・・・・・・東京へは、どうして?」
「わたし、十人兄妹の五番目なんです。上には、兄と姉が二人ずついまして。実家の神宮司家は上陽向で一番の庄屋なんです。長兄が継ぐ予定なんですが、わたしは五番目三女ですし、どうせなら地元に残るのではなく、一度は東京に出てみたいと思って・・・・・・。戦争も一応、終わりましたし」
「兄妹の五番目・・・・・・。そうだったんかぁ。そんな立派な家の出たぁ、こりゃまいった!」
「そぉんなことないですよぉ。・・・・・・でもわたし、東京に出て良かったと思ってます。地元では知ることの出来ない経験に溢れているし、たくさんの人がいるからこそ、様々な出会いもあって」
「さっきの進駐軍の連中みたいな、ダメな出会いもあるから、そこは気をつけねーとな」
「はい、そうですね。・・・・・・わたしは若輩者ですから、判断も甘いし、いろいろ迷惑も・・・・・・」
千草は少しだけ、複雑そうな表情を浮かべた。
「まぁ、そう気にすんなや千草さん。俺ぁもういい年齢だが、そんな野郎だって、モノ知らずで適当でいい加減だ。気にすることなかんべや。俺なんかより、ずーっとしっかりしてらぁ」
ゲンは、千草に朗らかな笑みを見せ、浴衣の袖をばさりと振って謎の小踊りを見せた。
「・・・・・・ふふっ。あはは! もぉー。変な踊りしないでくださいよ、源五郎さん」
「お。笑顔に戻ったな! ・・・・・・ところで失礼を承知でだが、俺は二十七だけど、千草さんは?」
「わたし? ・・・・・・今年、十九になります。昭和五年の生まれですので・・・・・・」
「じゅ、十九っ? ・・・・・・俺より、八つ下なんかや。・・・・・・しっかり、しすぎてらぁー」
ゲンは自分の額をぺしんと叩いて笑う。千草は上目遣いで、その笑顔をずっと見つめていた。