其の四 水引屋の、百合紅葉
「いま、ご案内しますので。少々お待ち下さいね、源五郎さん」
夏の花が一輪挿しに活けられ、香ばしい茶葉の薫りが漂う店内。席は小さな卓席が四つと、小上がり席が一つ。客はペアの女性客が一組と、小上がり席に男性三人組がいる。
「お待たせしました。どうぞ、こちらへ」
ゲンは、千草に案内されて窓際の隅席へと腰掛けた。窓の下には、銀座街通りを行き交う小さな人々の頭が見える。まるで胡麻粒のようだ。
「いやー、高い! ・・・・・・おっかねぇな! こりゃ、あんまり窓際に寄りすぎんのは、高いとこ苦手なやつには、よくねぇべなぁー」
ゲンは目を瞑って、ぶるりと一回、背を震わせた。
「どうぞ、源五郎さん」
千草はゲンの前に、江戸切子のグラスに入った冷茶と、小角皿に乗った小さな饅頭を置いた。
「ん? ・・・・・・あ、どうも。頼んでないけど、いいんかい? なんだか何から何まで悪いなぁー」
「いいえー。むしろわたしが、なんか無理に誘ってしまった感じですから。お礼の一つですよ」
「あ、いやいや。そんなのは本当に、気にしなくていいよぉ! 俺が一人でこんな洒落た店に来ることはまず無いから、千草さんのお誘いは、すっごくありがてぇことだんべ!」
「そう言っていただけると、嬉しいです」
千草は胸の前で丸盆を抱え、にこっと笑った。
「では、ゆっくりしていって下さいね」
「ああ、ありがとうなー」
ゲンは微笑んで、さっと手を挙げて千草に応えた。
千草は上機嫌のまま、水屋の中へ戻ってゆく。軽快な鼻歌が、その奥からゲンの耳へと届いた。
* * * * *
「・・・・・・――――戦後の復興が著しいな、銀座街は・・・・・・。あの大空襲から、わずか数年で」
小上がり席にいる三人の男性客のうち、弥勒ぼくろのある坊主頭の男が、ぽそりと呟いた。
「押忍! そうでありますな! 自分もそう思うであります!」
詰め襟姿の男性客が、その男に威勢のいい相槌を打つ。
「どうしますかい? 舞台を・・・・・・変えますかい? 銀座街の他にも、場所はありますぞい」
パンチパーマで剃り込みの入った強面の男性客は、小声で坊主頭の男に囁いた。
「・・・・・・いや。ここでいいんだ。舞台はこの銀座街が、一番いい・・・・・・。ここで決定だ」
「押忍! そうでありますな!」
「そうですかい。・・・・・・しかし、残念ですなぁ、戦火も免れて残った建物も多い街ですのになぁ」
「だから、いいんだ。・・・・・・それに、この水引屋はな・・・・・・」
そこへ、窓際席から立ったゲンが、にこやかに近づいてきた。
「よぉ! やーっぱりそうだ! おめぇ、板内だべ? いっやぁ、ひっさしぶりだなぁー」
詰め襟の男とパンチパーマの男は、むむっと唸って、座ったままゲンをじろりと睨む。
板内という坊主頭の男は、腕組みをしたままゲンの顔を不思議そうにじっと見ている。
「・・・・・・。・・・・・・む? ・・・・・・早乙女・・・・・・ではないか? うむ、早乙女源五郎に違いない!」
「ああ、そうだ! おめぇが東洋江建築を辞めた時以来だから、会うのは二年ぶりだんべか?」
「それくらいだな。久しぶりだ。・・・・・・ところで、何してるんだ? こんな店で、昼間から」
「え? あー、まぁ、俺だって息抜きしてぇんだわ。お誘いを受けたんでな。ははは!」
「・・・・・・先日、島村にも街中で会ったぞ? あいつは東洋江建築の社員服を着ていたが・・・・・・。早乙女、お前はなんで浴衣なんだ? 勤務時間中ではないのか」
「あ、ああー、これかっ? まぁ、俺ぁ文化人のような暮らしになったってわけでなー」
「文化人だと? ・・・・・・。お前・・・・・・辞めたのか、東洋江建築を?」
「ま、まぁ、余計な詮索はやめるべ! やめ! やめ! 同期だし、細かいことは無しだべ!」
ゲンは適当に笑って誤魔化し、板内の肩をばしんと叩いた。
「押忍! 板内団長! この者は何者ですか! ふざけているし、馬鹿にしているであります!」
「何なんですかい、団長? こいつは一体、何なんですかい! 気に食わぬ調子ですぞい!」
板内は腕組みをしたまま、「落ち着け」と言い、いきり立つ二人の男をやんわりと止めた。
「こいつは早乙女源五郎。東洋江建築で、身共の同期だった男だ。この水引屋の建設にも、一緒に携わった男さ。久々に会ったが、以前よりもちゃらんぽらんさが増しているようだな、早乙女!」
「ちゃ、ちゃらんぽらんだぁ? はっははは! 相変わらずカタブツで毒舌だな、板内は!」
ゲンはまた、板内の肩をばしばしと叩いている。
男二人はぐっと拳を握って立ち上がろうとしたが、板内は掌を出して二人が立つのを抑えた。
「早乙女。身共はな、近々この国に華を飾る舞台のため、黒曜団という組織の頭になったのだ」
「黒曜団? 舞台? まさかおめぇ、東洋江建築から独立して、劇団でも始めたんかや?」
「劇団・・・・・・? ・・・・・・。・・・・・・まぁ、そういうことにしてもらっても構わぬがな・・・・・・」
「なぁんだよ、勿体ぶって! すげぇなぁ! 俺と同じ年齢で、劇団の長かよぉ! ほーぉ!」
「親方・・・・・・か。・・・・・・早乙女。こいつらはその、黒曜団の仲間だ。先程の無礼は、許せ」
板内は二人へ、「自己紹介せよ」と言う。
二人はゲンを睨んだまま、すくっと立ち上がって背筋を正し、自己紹介を始めた。
「押忍! 自分は志國館師範学校、四回生ッ! 黒曜団ッ、副木孝丸と申すッ!」
「おれは立波太郎ッ! 黒曜団の燃ゆる弾丸とは、おれのことですぞい! お見知りおきを!」
副木と立波は自己紹介を終えると、ぎろりとゲンを睨むようにして、またその場に座った。
「こういう男たちだ。・・・・・・改めてになるが、身共は黒曜団の長、板内黒祐太である」
板内は拳で自分の左胸をばしんと叩き、目をきらりと光らせ、自己紹介をした。
「黒曜団っちゃ、威勢がいいんだな! 板内。劇団運営は大変だろうが、まぁ、がんばれよ!」
ゲンはケラケラと笑っている。それに相反して板内たち三人の目は、全く笑っていないようだ。