其の三十三 千草の駆け引き
「ほーぉ! 団長が認めている男、早乙女源五郎・・・・・・。ここで真打ち登場、ってわけでありんすかぁ! 役者は揃った、ってわけねぇ。ふふふふーぅ!」
六階から、檜垣は目下のゲンを見て高笑いしている。
「(げ、源五郎さんが来てくれたのっ? ・・・・・・助けてもらうまで、わたしも何とかしなきゃ!)」
千草は、ゲンの名を聞いて気を引き締め直した。身を捩って縄を解こうとするが、やはりその縛りは固く、抜け出せない。
「ね、ねぇ! 源五郎さんが、来てるのね? ねぇ、お願い! 一回でいいから、この縄を解いてほしいの。・・・・・・源五郎さんに、会わせて!」
「うるさいねぇ。そんな願い、わちきが聞くわけないだろぅ? 黙ってそこで、おとなしくしてなさいよ! あんたの見張り役をさせられるこっちの身にもなってみな! このぉ!」
檜垣は着物の袖から小さな金属製の「何か」を取り出し、千草の縛られた柱に向かってそれを高速で投げつけた。先の尖ったそれは、かかっと乾いた音をさせ、柱に突き刺さって食い込んだ。
千草は驚き、目を見開いたまま、固まっている。
「あ、あなたは・・・・・・いったい・・・・・・。な、何をわたしに・・・・・・投げたの・・・・・・?」
「そぉんな、妖か化け物かを見るような目はやめるでありんす。わちきはね、葦原に売られる以前は、遠い遠い故郷で童の頃から、忍びの技をしこまれていたのでありんすよぉ」
「し、忍び・・・・・・って、忍者ってこと?」
「あんたの上に刺さってるそれ、『くない』っていう手裏剣の一種でありんすよ。あんたの喉笛や心の臓へ投げつけることは、わちきには何の苦にもならぬ作業なのをお忘れ無く。うふーぅふ!」
千草は背筋をぶるっと震わせた。檜垣がその時見せた氷のような笑みには、溢れんばかりの殺気が染み出ていたのだ。
「わ、わたしを殺したりなんかしたら・・・・・・化けて出て、呪ってやるんだから!」
「どーぉぞぉ? わちきなら、あんたが化けて出ようが、何も怖くはないでありんす。わちきが故郷で磨いた檜垣流忍術は、そんなハッタリに動じるような胆力では、続けられませんのよ?」
「・・・・・・あ、あなたは、こんな恐ろしいことに荷担したこと、後悔はしていないの?」
「ぜーんぜん? わちきは、団長のためなら何だってするでありんす! この先、素晴らしき国を築き上げる板内黒祐太団長は、たった十九年というわちきの人生ではありんすが、わちきがこれまで出会った中で最高のお人なのでありんすよ」
千草は、目を丸く見開いた。
「じゅ、十九っ? あなた、十九歳・・・・・・なの? わたしと、同じ・・・・・・? ぜ、全然そうは見えないわ」
「・・・・・・あんた、幼く甘っちょろい見た目同様、きっとこれまで、ぬるま湯のような甘い人生を経てきたんでありんすねぇ? わちきと年齢が同じだなんて、言わんでくれません? 気分悪い!」
檜垣は千草を睨みつけ、また、くないを柱に向かって二本投げた。
「あ、危ないでしょ!」
「危ないように投げてるんでありんすが?」
「あ、あなたね・・・・・・。わたしをこれ以上傷つけたら、あの板内って人に、し、叱られるんじゃないのっ?」
千草のその言葉に、檜垣はさらにむっとした。
「あんたみたいな女が、団長の名を軽々しく呼ばないでほしいわ!」
「じゃ、じゃあ・・・・・・呼ばないから、その代わり、わたしのお願いを聞いてくれませんか?」
「はあーぁ? さっきから、何なんだいあんたは! わちきが、そんな願いを聞くわけ・・・・・・」
「お、お願い! お水を頂戴! 喉渇いて死んじゃうわ! そこの棚にグラスが入っているから」
「何故わちきが、あんたに水なんかを・・・・・・」
「わたしが飲まず食わずで干からびて、板内って人に、叱責されても知らないわよ?」
「ぐ・・・・・・。厚かましい女! 嫌でありんすなぁ! ま・・・・・・水くらいなら、問題ないか・・・・・・」
檜垣は戸棚からグラスを取り出し、水を注いで千草へ乱暴に渡した。
「わちきは、その一杯しかやらないよ! あとは、わちきの知ったことではないでありんす!」
檜垣はまた、窓際の方へ座り、外にいるゲンたちの様子を見張っている。
「(や、やった! ・・・・・・あとは、これを、何とかしなきゃ・・・・・・)」
千草は檜垣の目を盗み、自分の後ろにグラスをうまく回し、水を零してそれを空にした。
「(うまくいきますように・・・・・・)」
千草は檜垣の様子を窺いながら、膝と爪先で後ろに回したグラスを手前に寄せた。そして縛られて窮屈な手でグラスを持って、何度か床板に向かってそれを小さく叩き当てる。
「ちょっと、あんた? ちょっと!」
「えっ! あっ、はい! ええと、何ですか?」
慌てて千草は、グラスを横に隠し、檜垣の方へ目を向けた。
「この茶寮、何か、つまめるものはないんかえ? 茶菓子の類いは、どこ!」
「あ! え、ええと、それなら、水屋の・・・・・・。そこの奥の部屋が水屋で、そこの戸棚に・・・・・・」
檜垣はぶっきらぼうに「そうかい」と言い、水屋の方へ入って茶菓子を探し始めた。
「(び、びっくりしたなぁ。・・・・・・よ、よし! あの人、あっちに行ったわ!)」
また、千草はグラスを持って小さく床に叩き当てた。
すると、グラスの先にぴしりとヒビが入り、音を立てずにぱかりとそれは静かに割れた。
「(や、やったぁ! ・・・・・・な、何とかこれで、うまくいくといいんだけど・・・・・・)」
千草はグラスの底を持ち、鋭く割れた部分で腹の縄を少しずつ、扱き始めた。少しずつ、少しずつ、欠け部分を縄に当て、細かく動かす。
きらりと刃物のように光るグラスの欠け口は、縄をじわりじわりと細かい草片へ変えてゆく。
「(い、良い感じ! この調子で、少しずつ、少しずつ・・・・・・)」
水屋の方へちらちらと気を向けながら、千草は縄をグラスで扱く。
檜垣は「しけた茶菓子しか無いでありんすな!」と、水屋の中で愚痴をこぼしている。




