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ゲンの拳骨  作者: 糸東 甚九郎(しとう じんくろう)
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其の二十五  先輩後輩の縁なのか

 その後、夕暮れ時にゲンは千草と潮留(しおどめ)(しば)(はま)離宮(りきゅう)庭園(ていえん)を歩いていた。


「・・・・・・なんだか、とんでもねぇことになっちまったなや」


 ちらりと、ゲンは歩きながら千草の顔色を窺う。


「・・・・・・わたしが、世間知らずだからですよ。・・・・・・百合紅葉、続けたいけどなぁ・・・・・・」

「あんまり、気を落とさねぇで。・・・・・・世間知らずだなんてこと、ねぇべよー」

「いいえ。・・・・・・お店を続けることができなくなってしまい、しま子やかつ子にも、迷惑をかけることになってしまいました。・・・・・・百合紅葉を気に入ってくれていたお客様たちにも、突然のことに、何てお詫びしたら良いかわかりません。こういう時、どうしたらいいか、わかんないんです」

「千草さんー・・・・・・。千草さんは、きちんと、自分の意思をもって青川のことを突っぱねたんだべな? だから、そこまで気にしなくても・・・・・・。どうにかこうにか、なるようになるからよ」

「それは、そうですけど・・・・・・。わたしのことで、多くの人に影響が出てしまったことは、やはり心痛いですよ・・・・・・」

「う、うむむ・・・・・・。俺ぁ、千草さんが落ち込んでんのは、何だかよぉ・・・・・・」

「源五郎さんは、お優しい方ですよね。本当に。・・・・・・。・・・・・・。・・・・・・ところでー・・・・・・」

「え? あ、ああ。どうしたんだや? 何だべ?」

「さっき仰ってた、『一緒に帰らないか?』・・・・・・ってのは・・・・・・。・・・・・・そういう意味として捉えても、いいんですかね?」


 千草は、敷石をゆっくりと踏みしめながら、ゲンの方をちらりと見た。


「え! ええとぉ! そういう意味ってのは、まぁ、その、何つーかなぁ・・・・・・そういう意味だけど、あの場では、そういう意味としても・・・・・・」

「ふふっ。あははは。・・・・・・源五郎さんってば。何言ってるか、よくわかんないですよぅ」

「い、いや、すまねぇ・・・・・・。・・・・・・お、俺ぁ、千草さんさえよければ・・・・・・なんだがよ」


 ゲンは顔を真っ赤にして、池に映った夕日をじっと見ている。

 千草は空を見上げ、朱色に染まった雲を見つめて、「ありがとう」と呟いた。


「と、とにかくよ、俺ぁ・・・・・・一旦明日から栃木に帰るようだけど、またすぐ戻ってきて、千草さんの店に行くかんな! 今月末まで、だいじなんだよな?」

「はい。月末までは、わたしも普通にいつもの感じで、お店に出てますから。・・・・・・源五郎さんがまた、いつもと変わらぬ感じで来てくれるの、待ってますからね?」


 千草は、やや潤んだ目で、ゲンへ満面の笑みを見せた。


 * * * * *


 二人は並んで、庭園の樹木や池を見ながら、歩いている。


「千草さんはさぁ、以前、女学校に行ってたって聞いたけどよ? 地元の学校だったんけ?」

「はい。(かし)(ぬま)高等(こうとう)女学校(じょがっこう)です。・・・・・・もっとも、わたしが在学中の柏沼高女は、女学生も軍需動員されて近隣の工場で勤労団として働かされましたけど・・・・・・」

「俺らが戦地に行っている頃、千草さんらも、同じように戦ってたんだもんな・・・・・・」

「もう・・・・・・戦争なんてまっぴらゴメンですよね。・・・・・・わたし、元々、生まれつき肺が少し弱いみたいなんです。今は、何とか普通にやってますけど・・・・・・。軍需作業中に、何度か息が上がってしまったこともあって・・・・・・。終戦直前の夏前だったかな、作業が続けられなくなったら、勤労団の作業長に、思いっきり頬を叩かれたこともありました」


 千草は回想話をしながら、自分の左頬を指で何度かなぞった。


「その、作業長っちゃ、肝っ玉母ちゃんみてぇなオバヤンとかけ? 引っぱたくなんてよぉ」

「いいえ。県の中枢から来ていた、軍部関係の年配男性です。怖いおじさんでしたよー・・・・・・」


 ゲンは、「俺だったら蹴り入れてぶん殴り返してんなぁ」と、小声で呟いている。


「源五郎さんはどうでした? 太平洋大学に進む前は、やはり、地元の学校でしたか?」

「え? ああ。そうだなぁ。俺ぁ、(かし)(ぬま)中学(ちゅうがく)の出でよ。何だか学校の制度が戦後に変わっちまったみてぇで、今は、千草さんが出た柏沼高女と併合されて『(かし)(ぬま)高等学校(こうとうがっこう)』っつぅ男女共学の学校に去年からなったみてぇなんだわ。柏沼中学は、『旧制』中学校なんて言われ方でよ・・・・・・」

「え、そうだったんですか。わたし、地元を離れてからずっと東京にいたから、全然知りませんでした。・・・・・・そっか、柏沼高女・・・・・・もうないのかぁ・・・・・・」


 千草はやや残念そうな顔をして、遠くに飛ぶカラスを眺めている。


「お、俺も、兄貴から伝え聞いた話ではあるけどよ・・・・・・。まぁ、母校はそういう感じになっちまったんだなや。やはり、母校が無くなっちまったってのは・・・・・・」


 すると千草は、「ふふっ」と笑い、ゲンの方へ目を向けた。


「源五郎さん。気付いたんですが、よく考えたらわたし、源五郎さんの後輩になったんですね」

「え? ど、どうして?」

「だって、わたしの母校も源五郎さんの母校も、今、一緒になったんでしょ? 柏沼高等女学校は柏沼高等学校になりました。旧制の柏沼中学も、柏沼高等学校になりました。だから、今となっては、わたしたちはどちらも柏沼高等学校って学校の歴史上にいる、先輩後輩だと思いません?」


 ゲンは「そう言っていいんかや?」と首を傾げる。

 千草は「そういうことにしちゃいましょ」と笑っている。


「ま、いいじゃありませんか。これもまた何かの縁だと思いますよ。ね、源五郎先輩・・)? ふふっ」

「お、おいおいおいー・・・・・・。慣れねぇ呼び方しねぇでくれよぉ」

「ふふっ。源五郎さんも呼んでみたらどうです? 学生気分で、後輩を呼びつける感じで『おい、千草ーっ』ってね? それとも、しま子みたいに『ちーちゃん』って、呼んでみます? ふふっ」


 千草のその言葉にゲンは何かを頭の中に浮かべたが、ふるふると顔を横に振って雑念を解いた。


「ま、まったく! 年上をからかうとバチが当たんべ! ・・・・・・あ、歩くぞ、ほら!」


 ゲンは千草の手を引き、やや早足で歩き出した。千草は「ゆっくり歩いてよぉ」と笑っている。

 それから二人は日が落ちるまで、語りながら何度も芝浜離宮庭園内を歩き続けていた。


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― 新着の感想 ―
あ、源五郎ヘタレたな。
[良い点] 時代を感じる描写が多く、読んでいて同じ戦後の昭和にいる気がしちゃいます。 お二人とも、ひとつになった学校のそれぞれのOBOGだなんて、これも縁でしょうね。 いろいろ波瀾万丈な感じですが、…
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