其の十五 決闘! 空手 対 柔道
東京下町、蓮の葉がたくさん浮かんだ不座池の中央にある、弁天堂。
ゲンはそこに、島村、金藤の二人と共に来ていた。
「ふざけた野郎だぜ! こんなわけわかんねぇバカ手紙を、俺んちへ送りつけやがるなんてな!」
白い紙をくしゃりと握るゲンは、怒っている。
「先輩ぃ・・・・・・。勘弁して下さいよ。決闘って、犯罪なんですよ? 本官は、始まったら逮捕しなきゃならなくなりますよ」
「うるせぇ! 見てるけど、見てなかったことにすりゃいいんだよ!」
「そ、そんなムチャクチャなー・・・・・・。決闘の立会人を警察官が行ったなんて知られたら、もう、本官は免職確定ですよ! あー・・・・・・ほんと、勘弁して下さいよぉ」
「おい、ゲン。その手紙を送ってきた相手っていうのは・・・・・・?」
皺だらけになった手紙を、ゲンは島村へ渡した。それを開き、金藤と共に眺める島村。
『 不座池の弁天堂へ来い! 女性をめぐる男の決着は、力と力でつけるのだ! 青川 』
「青川ってまさか・・・・・・うちの会社の、主任だっぺか? ゲンが、ぶん殴った・・・・・・」
「だろうな」
「なっ、なんでまた青川が!」
「街中で百合紅葉の店員に会ってよ。・・・・・・千草さんに、見合い前に断られたらしいぜ。馬鹿野郎が。こんな的外れな考え方で自己中心的だから、慕われることがねぇんだよ、あのバカ!」
「え! た、確かにうちの専務が以前、青川は素敵な女性との縁談がどうの・・・・・・とは言ってたけどよ。・・・・・・そういうことだったっぺか!」
「なんだかよくわかりませんけどねぇ、先輩? 本官の立場も考えてくださいよぉ。女性問題の決闘の立会人なんて、そんな時代劇でもやらないようなことを・・・・・・」
「ちょっと黙ってろ金藤! ・・・・・・来たぞ。青川の野郎だ」
弁天堂へ続く池の木橋を、黒い柔道着に身を包んだ青川が、下駄の音を響かせてやってきた。
カラコロと音を鳴らし、青川はゲンの前で足を止めた。
「・・・・・・東洋江建築の主任が、クビにした俺に、何の用だや?」
「すっとぼけるな、早乙女! それがしは・・・・・・それがしはぁ!」
青川は、突然ぶわりと両目から涙を流し、木橋をどかりと殴りつけた。
「何なんだおめぇは! 人のことをこんなふざけた手紙で呼びつけておいて、いきなり泣きやがって! わけわかんねーべよ! ・・・・・・用が無ぇなら、俺は帰るかんな。酒でも買ってくかー」
「ま、待て早乙女! 手紙の意味はわかるだろう! それがしは、神宮司千草さんの人生をしっかりと受け止め、この先一緒に歩んでゆく気でいた! それがどうだ! あの方は、それがしなどには目もくれず、心に決めた人がいると見える。・・・・・・それは、お前なんだろう! どうだ!」
帰ろうとしていたゲンは、ぴたりと足を止めた。そして、目だけを青川に向ける。
「そんなのは・・・・・・千草さん本人に聞けばいーべよ!」
「やはりそうなんだな! おのれ! 思えば仕事現場でもそれがしの指示を無視し、好き勝手やっておったろう! それがしのことも殴りやがって! 烏丸専務がクビにしてくれたから良かったと思ってたが、また、こんな因縁でお前と関わるとは思ってもいなかった!」
「知んねーよ!」
「いいや、知ってるだろう! お前、あの神宮司千草さんとは、どういう関係なんだ! それがしは柔道の話で彼女と打ち解けようとしたが、上の空。きっと彼女の心にはお前が・・・・・・」
「うーるせぇっての! ・・・・・・要は、こういうことけ? おめぇは千草さんに相手にされねぇ。それはなぜなんだ。そうか早乙女源五郎がいるからか。なら早乙女源五郎を倒せばいい。それで強い自分に千草さんは振り向いてくれるはず。それなら決闘で仕留めてやるとするか・・・・・・」
「まことに・・・・・・その通りだ!」
「バカなんけ!」
ゲンは呆れている。金藤は蓮の葉の上にいるトンボを眺めている。島村は弁天堂を見上げ「相変わらず立派だっぺ」と独りでぼそぼそ言っている。
「バカと言おうが何だろうが勝手にしろ早乙女! それがしは、お前より強いことを神宮司さんに証明し、彼女と素晴らしき人生を歩む! 元 太平洋大学柔道部主将ッ、青川たかを! 参る!」
「だから、おめぇはバカなんだよ! 千草さんが、強いだけのやつに振り向くわけねぇべ!」
ゲンは呆れた様子で、頭をがしがし掻いている。
青川は気にせず「覚悟!」と叫び、ゲンに向かって突進してゆく。
「あー、始まっちまった! 金藤君、一応、見ててやるとすっぺよー?」
「島村先輩。本官は、何も見てません。何も知りませーん。池の蓮が、きれいだなー・・・・・・」
我関せずな金藤をよそに、島村はゲンと青川の二人を両目に映している。
* * * * *
「ぬおおおおおおおお! や、やっと捕ったぞ・・・・・・早乙女ぇ!」
五分後、無駄のない足捌きで逃げまくっていたゲンを、青川はやっとの思いで捕まえた。
「はいはい、よかったね」
「そうやって、余裕でいられるのも今のうちだ! 学生時代の恨み、今日こそ晴らすぞ!」
「恨みもウナギもねぇだろ! だいたい、おめぇに恨まれる筋合いねぇべ! 俺ぁ、おめぇに一方的な勝負を挑まれまくって、辟易してたんだぜ? ・・・・・・今日この時間も、なんだかなー」
「ぬかせ! 学生時代は運良くお前に軍配が上がっていたが、その後、それがしは先に会社に入って社会人としてはお前より上の地位になった! お前は終戦後、それがしよりも一年遅く会社に入ってきたんだったな! 何をしてたかは知らんが、今、それがしはお前より、全てが上なのだ!」
「何を、って・・・・・・俺ぁ空手の腕を磨くため、一年間、野試合や武者修行をしてたんだ」
青川は「とにかく覚悟だ!」と怒鳴り、ゲンの奥襟と浴衣袖を両手でがっしりと握り込んだ。
次の瞬間、「ぬぁい!」という気合いと共に、青川は強烈な大外刈りをゲンに仕掛けた。
ゲンは、どすんという激しい音と共に木橋に叩きつけられた。そのものすごい衝撃は橋桁から池に伝わり、水面は大きく波紋が広がった。ゲンは、木橋の上で大の字になって動かない。
島村は「あー」と、どこか気の抜けた声を上げている。金藤はまだ、蓮の葉を見つめている。
青川は道着の襟を正すと、「強い男が、彼女に相応しいのだ」と得意気な顔で転がっているゲンに向かって言い放った。
「島村、お前もそこで見ていただろう! これで証人もできた。早乙女よりもそれがしの方が強いということが確かに・・・・・・」
「・・・・・・青川。そっち見てみー。まだ終わってなかっぺよ」
「な、なに!」
島村は丸メガネをくいっと上げ、笑いながら指差した。その方向には、まるで布団から朝起き出すかのように、むくりと身体を起こしたゲンの姿が。
ゲンは立ち上がり、首をこきこきと左右に鳴らしている。
「おめぇの柔道は、整体にゃもってこいだべ。東洋江建築なんか辞めて、整骨院でも開いた方がいいんじゃねぇのけ?」
「な、なんだと! それがしの大外刈りは、かつて、学生選手権や全日本選手権で一本を取った技なのに!」
「ふうん。そうけ。・・・・・・何にせよ、先に手ぇ出したのは、おめぇだかんな? おい金藤! これは正当防衛っつうやつに、なるんだべ?」
金藤は「そういうことにしときます」と適当に答え、池の鯉や亀を眺めている。
「うぬー。・・・・・・なぜなんだ! どうしてお前は、倒れない?」
青川は、汗をだらだらと垂らし、わなわな震え始めた。
「なぜなんだ、どうしてお前は倒れない? ・・・・・・下の句つけてやっから、理解しろ!」
「な、なにぃ! おのれ早乙女! ぬああああぁい!」
やぶれかぶれで、両腕を大きく広げてゲンへ突っ込む青川。
島村は「やめときゃよかったのに」と、溜め息の後に小声でぽそりと呟いた。
「ええぇーーーいああぁっ!」
裂帛の気合い一閃。
青川の顎先、胸元、みぞおち、金的の四箇所へ、ゲンの正拳が一瞬のうちに叩き込まれた。
次の瞬間、青川はずずんと音を立て、木橋の上に倒れ、沈黙。
「下の句はな・・・・・・『心が曇っちゃ、技もキレ無し』ってことだべ。そういうことだ、青川!」
浴衣の襟元を直し、裾を直し、ゲンは島村と金藤に「飲みにでも行くか」と声をかけた。
「先輩ー・・・・・・。本官は、池を見てただけですかんね? 決闘なんか、見てませんかんね!」
「おぅ、そういうことにしてくれや! ・・・・・・さーて、どこに飲みに行く?」
がしりと島村と金藤に肩組みをしたゲンは、ケラケラと笑って人混みの中へ歩いていった。