其の十二 動くに動けず
翌日、ゲンは島村を連れて金藤のいる派出所を訪れていた。
「・・・・・・――――いや、だから無理ですってぇ、先輩! 本官にそんな権限ありませんよぉ」
「おめぇ、警察官だべや! 進駐軍の連中も調子込んで島村をこんなにしやがったし、板内の野郎らもあんな危ねぇこと言ってたのに、無理ですの一言で終わりなんかよ!」
「いや、そうじゃなくてですねぇ・・・・・・。あくまでも、その、板内って人らが『話してた』ってだけでしょ? それだけじゃ、何とも・・・・・・」
「金藤君よ、おらは進駐軍の連中に、殴られまくるだけの見世物にされたんだぞ? それについても、警察は何もしてくんねぇんだっぺか?」
「無理ですよぉ、島村先輩。ましてや進駐軍なんて、日本の警察じゃまともにいま手出しできません。MPあたりか、進駐軍の総司令本部の者でないと、捜査もおそらくは・・・・・・」
金藤は「まいったなぁ」といった表情で、ゲンと島村の前に湯飲みを置いた。
島村は「ダメか」と溜め息をついた。
「金藤? だったらよぉ、進駐軍のやつは俺がぶっ飛ばしてやったが、あれと同じように、板内のやつの目ぇ醒まさせるために、思いっきりぶっ飛ばしてやっていいかや!」
「先輩ー・・・・・・。そんなの本官が『はい、よろしいですよ!』なんて言うわけないでしょう?」
「だぁったら、俺らは黙って何もせず、耐えてろっつーんかや! ばか! 何のために警察官がいるんだよ、金藤!」
ゲンは机を平手でばしばし叩き、金藤へ怒りをぶつけている。
湯飲みは揺れ、中の茶が少し、こぼれた。
「あ―あー。やめてくださいよ、先輩ぃ。・・・・・・ばかと言われたって、規則だし、一介の巡査長程度の本官に、権限はないんですってば! だいたい、先に殴ったら先輩がブタ箱行きですよ」
「うるせぇ! 権限がないんなら、あるようにすりゃいいんだ! おめぇが前例作れ!」
「ムチャクチャ言わないで下さいよぉ。・・・・・・島村先輩ぃ、どうにかしてくださいー」
「金藤君よぉ、ゲンの言うことにも、一理あっぺよ。何とかしたい気持ちで一杯なんだよ」
「そんなぁ。確かに、まぁ、やられっぱなしだの、危ない発言を聞いただの、それで気持ちが動くってのはわかりますけどぉ。でーもなぁ、無理だなー・・・・・・」
「じゃ、何とかならんのかや? おらは、ゲンが板内らと話してたっつぅ時は寝てたから詳細はわかんねぇが、後から聞いた話じゃ、本当にとんでもねぇ内容のことって思ったんだっぺよ」
「いや、そうなんでしょうけどね。困ったなぁ・・・・・・。・・・・・・仮に・・・・・・仮にですよ?」
ゲンと島村はぐいと身を乗り出し、金藤の方へ顔を寄せる。
「仮に、その板内って人が考えていることが、本当だったとします。国をひっくり返そうとしている、と。・・・・・・しかし、その人たちが全然動き出しもしていないのに、本官ら警察が先に動員かけて、何もしていない市井の民を逮捕なんかしたら、どうなります?」
「どうなります・・・・・・って。板内らの凶行を未然に防げんだもの、よかんべや! 捕まえろよ!」
「はぁ。・・・・・・ところが、そうはいかないんですよ」
「なんでだや! おめぇしかいねぇんだよ、って警察権限で圧かけりゃ、それで済むべよ!」
「なんでだっぺか? なんで、そうはいかねぇんだ金藤君?」
「あくまでも本官たちは、事件が起こってからの対処になるのです。予測や思惑だけで逮捕だのはできないんです。・・・・・・やっぱり勘違いでしたのでーってなったら、大問題になっちゃいます!」
「なんっだや! お国を守るのが警察官なんじゃねぇのけ! ・・・・・・だめだんべ、これじゃ!」
「いや、だめと言われても・・・・・・」
「・・・・・・わかったっぺ。ゲン。あんまり金藤君を責めてもかわいそうだっぺ。金藤君には権限がないって言ってんだから、これ以上は・・・・・・」
「そうです、そうです。もっと言ってやって下さい、島村先輩」
「わぁーかったよ! もう何も言わねぇ。俺が悪かったっての!」
「いじけないでくださいよぉ。先輩、学生時代から短気なんだから・・・・・・」
「うるせぇ! おい、金藤! とにかく、俺はちゃんと伝えたかんな! 板内ら黒曜団ってのは、あぶねぇ奴らだ! ぜってぇ、あぶねぇ! 何かやらかすに決まってんべ!」
「はいはい。わかりましたってば。参考として、ちゃんと覚えときますよ」
ゲンはふんと鼻を鳴らし、湯飲みの茶を一気飲みして派出所から出ていった。島村は金藤に「悪かったね」と小声で謝り、ゲンを追いかけていった。
金藤は「国家転覆なんてありえないでしょ」と呟き、湯飲みを片付けた。
* * * * *
「待てってば、ゲン。・・・・・・おい、ゲン!」
早足で歩くゲンを、島村は急いで追いかける。
「はぁ、はぁ。・・・・・・しょうがねぇっぺよ。金藤君はああ言うしか・・・・・・」
「島村。・・・・・・板内の言ってたことはおそらく、誰に言っても荒唐無稽なモンとしか思われねぇ」
「え? ・・・・・・ううん。まぁ、そうなっても・・・・・・仕方なかっぺなぁ。話が話だけにさ」
「おめぇは寝てたからわかんねぇだろうが、あの時の板内の目・・・・・・ありゃ、本気だった!」
ゲンは浴衣の袖をばさりと振り、腰に手を当てて遠くを見つめている。その先には、あの水引屋が建っている。
「ど、どうしたらいいんだっぺね・・・・・・。何が最善策かは、おらはもう、わかんねぇ」
「板内が本気でそう考えてるなら、未然に防がなきゃなんねぇ。でも、動かねぇ限り、警察は何もできねぇってことらしい。・・・・・・動き出してからじゃ、遅ぇっつーのに!」
「と、とにかく、祈るしかなかっぺ。板内らが、ばかなことを諦めてくれるよう、祈っぺ!」
ゲンは、ぎりっと歯ぎしりをした。
「(・・・・・・祈る、か。・・・・・・あの板内が、果たして諦めるなんてこと、するかどうか・・・・・・)」
しばらく佇んでいたゲンは、島村に「メシでも食うべ」と言い、ゆっくりと歩いていった。