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ゲンの拳骨  作者: 糸東 甚九郎(しとう じんくろう)
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其の十一  ゲンの思いと、千草の思い

 しま子とかつ子の二人は逃げ帰ってしまったが、千草はそのまま家の中でゲンと島村の手当てを続けていた。


「・・・・・・源五郎さんは・・・・・・その・・・・・・」

「ん?」

「なぜ、その、空手というものを、やってみようと思ったのですか?」

「んんー?」

「・・・・・・先程のお話の中で、拳をぶつけ合う・・・・・・って。それ、やはり、痛いですよね?」

「ああ。慣れねぇと、まぁ、痛かんべね。まっ、慣れても痛ぇもんは痛ぇんだけどさ」

「どうして・・・・・・そのような危険なものを?」

「どうしたんだ、千草さん? もしかして・・・・・・空手を身に付けてる俺が、怖いのけ?」

「いえ、怖い・・・・・・のではなく、わたしの全く知らない世界なので、その・・・・・・」


 千草は、やや上目遣いで源五郎をじっと見ている。


「なぜ・・・・・・か。・・・・・・こう言うと語弊があっかもしんねぇけどさ、初めは、喧嘩に強くなりたかったから・・・・・・ってのが本心だなや」

「喧嘩に・・・・・・」

「あ! でも、勘違いしねぇでほしいんだ! ・・・・・・空手は、技だけじゃなく、心も鍛えなきゃなんねぇんだわ。心がしっかりしてねぇと、そりゃただの凶器になっちまう」


 少し目を伏せていたが、千草は黙って、ゆっくりと頷いた。


「千草さん、聞いてほしい。・・・・・・俺はこの先、空手だのの武道は戦いのための武器ではなく、人を育てるためのものとして、変わってゆくと信じてんだ。実は島村も、俺と同じ向きの考えでな」


 ゲンは熱心に、千草へ語りかけた。千草はゲンの顔を見て、「決して危ない道へは、行かないで下さい」と、声を震わせて答えた。


「だいじだ! 戦後の今、進駐軍の総司令が武道禁止令なんか出しやがってるが、柔道や弓道なんかは今年、新たに組織化されるんだとさ。・・・・・・空手も、きっと、人を育てる健全な武道として生まれ変わるはずなんだ! 危ないものとされてるが、そんな猛獣みてぇなもんじゃねぇからさ」


 熱く語るゲンの目を、千草はじっと見つめている。そして一分後、口を開いた。


「わたしも、祖母に華道や茶道を習いました。『道』のつくものは、それを極めることで人としての格を磨くものだと教わりました。・・・・・・源五郎さんの空手は、決して凶器なんかじゃありません。同じように、『道』を人に説けるものだと、わたしはそう思っています」


 ゲンは、数回瞬きをして、千草の目をじっと見ている。


「先日、わたしは源五郎さんの空手で助けていただきました。今日の島村さんだって、同じです。・・・・・・わたしは、源五郎さんは強い芯を持った、人助けのできる優しい人だと信じています」

「千草さん! わかってくれんのけ!」

「わたし、源五郎さんの話を聞いて、確信しました。あなたならきっとこの先、空手を基にして素晴らしい人を育てていけると思います。源五郎さんの空手は、広めるべきかと思います」


 正座を崩さず、腿に平手を二つ置いた千草は、きりっとした表情でそう言った。


「・・・・・・千草さん。俺は、こ・・・・・・」


 ゲンが千草へさらに何か言おうとした時、がらりと強く玄関の戸が開いた。


「取り込み中、申し訳ないな。・・・・・・邪魔するぞ、早乙女源五郎・・・・・・。話がある」


 入ってきたのは、板内らの三人。

 千草は目を見開いて板内らの顔を見ると、すぐに視線をゲンの方へぱっと向けた。


 * * * * *


「・・・・・・――――で? 珍しいな、板内が俺んちへ来るなんざ。何だや、話ってぇのは?」


 ゲンは自分の後ろへ千草を隠すようにして、玄関に立つ三人の前へ出た。

 板内は、土間にある古ぼけた木箱へどかりと座る。副木と立波は、土間へ直接正座をしている。


「身共は見ていたぞ。先程、お主が拳一撃で米兵を倒し、島村を救ったのをな」

「ん? そうけ。なぁんだ、板内もあの騒ぎの中にいたのけ! ・・・・・・で、それが何なんだ?」

「東洋江建設の社員時代、お主が太平洋大学空手道部の主将だったと、身共は島村に聞いたが?」

「ああ、そうだよ」

「単刀直入に訊くぞ。お主、いまのこの時世を、何と心得る?」

「なんだよぉ。おめぇの言い回しは時代劇みてぇで、わかりにくいんだよ! ・・・・・・敗戦国って意識を植え付けられて、まったく気の抜けた国になったとは思ってんべや」

「なるほど。・・・・・・そうか」

「全部がダメだとは思ってねぇが、まぁ、気にくわねぇことだらけだ!」

「なるほど、なるほど」


 板内は目を瞑ったまま、腕組みを崩さずに頷いている。


「おい板内? おめぇ、何が言いたい?」

「・・・・・・早乙女。お主の空手の腕を用いて、またこの国に華を咲かせてみたいとは思わぬか?」

「は? 空手で花? 何言ってんだおめぇ?」

「早乙女。・・・・・・身共は憂いておるのだよ。・・・・・・我々は、負けてはいないのだ。日之本の大和国に生きる男児として、つわものに溢れる強き善き日本国を取り戻さないか?」


 板内は、奥に殺気の籠もった目で、ぎろりとゲンへ眼力で圧をかける。

 ゲンはやや首を左に傾けたまま、「どういうことだ?」と、板内を目力で押し返す。


「板内。・・・・・・おめぇ、黒曜団って劇団の長なんだろ? 何だ? 役作りに没頭しすぎておかしくなってんのか?」


 それを聞いた副木と立波は声を揃えて「馬鹿者め」と呟いた。


「なに? バカたぁ、どういうことだ!」

「押忍! 板内団長! この愚か者に、説明をして宜しいでありますかッ?」

「構わん。・・・・・・簡潔に用件を教えてやれ」

「押ー忍っ!」

「うるっせぇな! 俺んちは狭ぇし、奥では島村も寝てんだ! 静かにしやがれっつーの!」

「よく聞けい! わが黒曜団が劇団のわけがなかろう! 黒曜団は、板内団長が新たに日本国を強く生まれ変わらせるために結成した、秘密結社であーる! とくと理解せよ!」


 副木は直立不動でそう叫ぶと、また、土間に正座をして押し黙った。


「ひ、秘密結社だぁ? そんなバラしたら、ぜんぜん秘密じゃねぇべ! 何なんだおめぇらは!」

「早乙女。身共が聞いた話では、お主は戦地でもその空手で敵兵を薙ぎ倒したという。お主自身が兵器のようなもの。黒曜団にお主が加われば、この東京から国を作り替えることも容易いはずだ」


 その言葉の最後の部分を聞いて、ゲンの表情がくわっと変わった。


「板内ぃ・・・・・・。俺の解釈が間違ってねぇなら、要は、こういうことけ? ・・・・・・・俺に・・・・・・国家転覆の片棒を担げってことか? 国を作りかえるって・・・・・・そういうことなんだろ!」

「聡明であるな、早乙女。・・・・・・もちろん、無償とは言わん。莫大な報酬も用意できるのだ」

「大馬鹿野郎か、おめぇは! 突然家に押しかけてきたと思えば、何をバカなことを!」


 ゲンはボサボサ髪をぶわりと揺らし、板内へ「帰れよ」と強く言った。


「ま、突然の話だ。そう言うだろうとは思っていた。よく考えてくれ」

「考えるもカンピョウもねぇよ!」

「報酬は、初任の任務で三十万円だ。悪い話では無いと思うぞ?」


 板内は、ゆっくりと腰を上げ、ふっと不敵な笑みを浮かべてゲンの顔を見ている。

 すると奥から千草が出てきて、おそるおそるゲンの横へ立ち、口を開いた。


「源五郎さん。絶対にいけません、こんな話。・・・・・・そんなことに源五郎さんが加わるはずないとわたしは信じています」

「女子供が板内団長の話へ口を挟むな! 身の程をわきまえろ、女ッ!」


 千草を威圧するように叫んだ副木。しかし、千草は毅然とした態度で、副木に言葉を返した。


「お言葉ですが! あまりにも不躾ではございませんか! 非常識です! 他人の家に突然押しかけ、国をひっくり返すだなんて話、誰が乗るとお思いですか! あなた方の態度や姿勢は、暴力的なものを感じてなりません。源五郎さんの空手は、人を助けるためのものです。人を守るための道を説くものです! 源五郎さんは、あなた方の凶行なんかに、手を貸す人ではありません!」


 思わぬ千草の剣幕に、一瞬たじろいだ副木。立波は額に青筋を浮かべ「この女が!」といきり立っており、今にも千草へ飛びかかりそうな顔だ。


「副木、立波! よせ。今日のところは、ここまでにするのだ。・・・・・・邪魔したな、早乙女」


 板内は二人を引き連れ、帰ってゆく。千草は緊張の糸が途切れ、その場でふっと力が抜けた。


「ち、千草さん! だ、だいじかっ! ・・・・・・いや、驚いたぞ。あんな急に・・・・・・」

「す、すみません。わたし、どうしても黙っていられなくて・・・・・・。源五郎さん・・・・・・わたし」


 倒れそうな千草を、ゲンは両手でがしっと支えていた。

 台所の蛇口からは水がぽたりぽたりと落ち、流し台の中で丸い波紋が何個も広がっていった。


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― 新着の感想 ―
芯の強いヒロイン、だがこの手のヒロインはピンチを呼び込みそうだ。 まあ、それを打ち払ってこそのヒロイックだけど。
[良い点] やべぇ、、、。ゲンと千草、なんか勝手に俺の頭んなかでは眞栄田郷敦と浜辺美波のイメージで読んじまってるよぉwww
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