其の十 訪問者たち
島村を担いで歩くゲンの遥か前方から、三人組の女性が歩いてくるのが見える。
「ほんと、ひーっどいね! あの客、もう出入り禁止にしようよ、ちーちゃん!」
「チーは優しすぎるよ! あたいがもしあんなことされたら、お勘定はいらないからとっとと帰りやがれーって、塩でもぶっかけて追い出しちゃうよ」
「そうだよそうだよ。あたしだったら、箒持ってきて、ひっぱたきながら、二度と来ないでぇって叫んじゃうなー」
「はぁー。そうは言ってもねぇ。あのお客さんたちに、わたしが点てたお茶が合わなかったのは事実だしさ。お客さんの気分を悪くさせたことで、水引屋全体にも迷惑かけられないし・・・・・・」
「ちーちゃんのそういう気配りは、いいところでもあるけど、弱みでもあるよねぇー・・・・・・」
「しま子。だからあたいたち同期が、しっかりとチーを支えてやらないと!」
「二人とも、ありがとう。・・・・・・はぁ。でもなぁー、今回の騒ぎで、水引屋の常務にも怒られちゃったし、わたし、店長として自信なくしちゃうなぁ」
「元気出して、ちーちゃん! ・・・・・・ほら。今から、例の人のとこへ行くんだからさ」
「あたいもしま子も、その人と初めて会えるね。チーが惚れたその殿方って、どんな感じなのかねーっ! 楽しみだわ!」
「家にいるとは限らないけど・・・・・・。いてくれると、いいな」
俯いて道の石畳へ視線を落としていた千草は、風呂敷包みを抱えたまま、ふと視線を上げた。
「・・・・・・ん?」
そこには、ゆらゆら揺らめく陽炎の向こうから、島村を抱えて歩いてくるゲンの姿が。
「げっ、源五郎さんっ? それに、島村さんも!」
慌てて、千草は小走りでゲンのもとへ駆け寄った。しま子とかつ子も、遅れて駆け寄る。
「お、おぅ! 千草さんけぇ! ・・・・・・ちょっと、いろいろあってな・・・・・・」
「どっ、どうしたんですか! 島村さん、そんな傷だらけで! とにかく、手当てしないと!」
「じゃあ・・・・・・俺んちまでもうすぐだから、家で、お願いできっかな?」
「はい! わたし、一緒に行きますから」
「よかったな、島村! 千草さんも、手当てしてくれるってよ!」
「わ、悪かっぺ・・・・・・。ゲン。・・・・・・おまえの邪魔、しちまうなぁ・・・・・・。あぁ、なんか、眠い」
「ばぁか言ってんじゃねぇ! とにかく、もうすぐだ。頑張れ、島村!」
しま子とかつ子は、何が何だかわからないといった表情のまま、千草と共にゲンの家までついていった。
* * * * *
島村は、顔のあちこちに冷えた布巾を当て、畳の上に転がってぐっすり眠っている。
「いったい、何があったのですか?」
アザと傷だらけの島村の腕へ軟膏を塗りながら、千草は心配そうな目でゲンを見つめる。
「こいつ、進駐軍の米兵に、いいように見世物にされたんだ。・・・・・・ぼくしんぐっつぅ米英どもの拳闘なんかにぶち込まれて、慣れねぇ規則に縛られて、殴られまくって・・・・・・」
千草は桜色の唇をぐっと一文字に閉じ、ゲンの話を聞いている。しま子とかつ子は「ひどいもんだねぇ」と小声で囁き合う。
「千草さん。それにお友達のお二方も。・・・・・・こいつはね、太平洋大学空手道部の同期なんだ。不器用だけど、自分に厳しく一生懸命な努力家でよ。大戦が始まる少し前の学生時代、ひたすら真面目に文句も言わず、キツい基礎稽古を他部員の何倍もこなしたほどの、気骨ある男なんだ・・・・・・」
三人は、何も言わずにゲンの話を聞いている。
「空手っちゃ、お三方はよくわかんねぇと思うが、沖縄発祥の武道なんだ。過酷な鍛錬を積んで自分の拳足を鍛え上げ、突き、蹴り、打ち、受けの技を駆使して身を守る、そういうもんなんだ」
しま子とかつ子は、顔を見合わせて表情をしかめた。千草は黙って聞いている。
「拳を握って相手とドンパチ技を打ち合う『組手』っつぅもんがあってな。他の大学と競う学生試合では、島村は俺に次いで、太平洋大学の部員内では極めて強かったんだ」
「・・・・・・。その、お強い島村さんが・・・・・・」
千草は正座したまま、眉尻をやや下げ、口を開いた。
「・・・・・・こんなひどいことになるまで、やられてしまったのですか?」
「ああ。・・・・・・だから、あまりにも許せねぇから、俺が島村に代わって飛び入りで参加し、その米兵はぶっ飛ばしてやった! 敗戦国とされた国の人間ってだけで、蔑まれるのは気に入らねぇ!」
ゲンはボサボサ髪を手でぐしゃぐしゃと掻き、「情けねぇ国になったもんだ」と、顔に怒りともどかしさを浮かべた。
すると、しま子とかつ子は千草の袖をくいくいと細かく引き、家の外へと連れ出そうとする。
「なに? ・・・・・・源五郎さん。すみません、ちょっと席を外します・・・・・・」
「ああ。つまんねぇ話しちまって悪かったべ。少し、足を伸ばしてくるといいぞぉ?」
二人に連れられ、千草はからりと戸を開け外へ出ていった。
* * * * *
「ちょ、ちょっと、ちーちゃんっ? あ、あの人が、例のその人・・・・・・なのっ?」
「うん」
「どこが銀幕俳優よ! どこが素敵な男性よ! ぜんっぜん、想像と違う! 浮浪者みたいで!」
「い、いや、銀幕俳優っていうのは勝手にしま子が・・・・・・」
「何でもいいわよ! チー? 悪いことは言わないわ。あの人はダメよ! 家の中もゴミ溜めみたいだし、男のやもめ暮らしで髪も服もヨレヨレじゃない! しかも、空手なんて不良やヤクザのやるもんらしいよ! あたいの故郷の親が、以前、そう言ってたんだから!」
「昼間っから、お酒みたいな臭いもしてるよね、あの人。・・・・・・しかも、進駐軍の米兵と喧嘩するなんて、ちょっとアブないおかしな人だよ! ちーちゃん、たぶらかされてない? 大丈夫?」
「たっ、たぶらかされてるだなんて! しま子! 人聞きの悪い・・・・・・」
「チー? きっと、チーはあの男に利用されてるのよ。あんなヨレヨレでだらしない男が、水引屋の花小町とまで重役に言われてるチーと、釣り合うわけ無いじゃない!」
「で、でも。源五郎さんはね、わたしと同郷で・・・・・・」
「それはどうでもいいことよ? それに、同郷だなんてのも、ペテンにかけるための手かもよ?」
「あの人、ゴロツキよきっと! だいたい、東洋江建築の社員が、こんなオンボロ長屋に住む?」
「いや、だからそれはー・・・・・・源五郎さんは今もう、東洋江建築の社員じゃ・・・・・・」
「チー? あたいやしま子はあんたと同じく地方から出てきて、水引屋へ入った同期でしょ! あたいは静岡、しま子は長野、チーは栃木・・・・・・」
「戦後の苦難を分かち合える同期なんだよ、ちーちゃん? ・・・・・・あたしもかつ子も、ちーちゃんが変な男に弄ばれると知ったら、黙ってられないんだよー」
「だ、だからぁ! 二人とも誤解してる! 源五郎さんは、良い人だもん! 二人は、わかってないのよ!」
千草は頬をフグのようにぷうと膨らませ、また、家の中へと入っていった。
「・・・・・・あーあ。ちーちゃん、意固地になっちゃってまぁー・・・・・・」
「しま子? どう思う、あの源五郎って人」
「どう、って・・・・・・。いやいや、ありえなーい! あたしの好みは、やっぱり、銀幕俳優!」
「大丈夫かな、チー・・・・・・。恋は盲目・・・・・・って言うから」
「そうそう、かつ子? 知ってる? 社内で小耳に挟んだんだけどね・・・・・・ちーちゃん、うちの重役と付き合いがある東洋江建築の主任社員と、縁談がありそうなんだって・・・・・・」
「ええ! うっそぉ! 最高じゃない! それ、本当?」
「ほんと、ほんと! 他階の売り場にいる子たちが、御手洗いで話しているの、聞こえてさ!」
「大会社の主任と・・・・・・ゴロツキでヨレヨレの男じゃあ・・・・・・結果は火を見るより明らかだわね・・・・・・。あの源五郎って人、定職にも就いてなさそうな感じだし」
「かつ子。でもさぁ・・・・・・ちーちゃんの様子じゃ、いまお見合いしても・・・・・・」
「頑なになっちゃってるしねぇ。でも、あんな男と一緒になるより、チーは絶対そっちの縁談を成功させた方がいいと思う!」
そんな話をしている二人のところへ、ずしゃりという足音とともに、三人の男が現れた。
「・・・・・・お主たち確か、あの茶寮の店員。早乙女源五郎の知り合いか? 奴は今、家の中か?」
それは、ぎらりと鋭い目を光らせた、板内だった。傍には副木と立波もついている。
「え? ひ、ひいぃ! し、知り合いじゃないです! あたしたち、よくわかりませんーっ!」
「なんだと? 身共はお主らが早乙女源五郎と、こっちへ来るのを見ておったのだぞ! おい!」
板内のその怪しく鋭い殺気のような雰囲気に、しま子とかつ子はぶるりと身を震わせ、「失礼いたします!」と一目散に逃げていった。




