魔法
ステラはシリウス王子の乳母になった。
一歳を過ぎたシリウス王子に乳を与えるだけの仕事で離乳食を与え始めた為にステラは居なくても構わないのではないかと思った。
食事の合間に何度か乳を与えた。
飲み終わるとステラをじっと見つめて安心したように眠る。
寝付くまで暫く抱いてベッドに連れて行った。
その後は特にやる事はない。
シリウス王子が次に乳を欲しがるまでは侍女の手伝いをした。
シリウス王子の侍女は5人。
侍女頭は侯爵家の奥方様で一番歳が上でステラと同じ歳頃の娘と息子がいると教えてくれた。
王城から程近い貴族街に屋敷があり主人である旦那様が住んでいるそうだ。
「マーカス侯爵家は王城から一番近いのよ。ステラが通うなら家の屋敷の別邸にご家族毎引越してこない?ご主人が騎士団に通うのも近いし他にも子供達を預かっているのよ。
昼間は家庭教師が来ているから一緒に習うといいわ。」
そんな美味い話は裏があるに違いないと思い主人と相談してみますと言っておいた。
だがいつものように王城からの帰り道に見た空の星は吉兆を示していた。
侍女頭のルイーズマーカス侯爵夫人は一緒に居て安心感がある。
他の侍女からの信頼も厚い。
侍女達はみな美しく貴族の娘だそうだ。
お仕着せを着ているが所作はさすが貴族のマナーが行き届いて優雅だ。
1人だけ平民出身の女性がいて彼女の家族は侯爵邸で働いているそうだ。
それを聞いてステラは迷った。
近ければ家族と過ごす時間も増える。
働き出して10日が過ぎた頃、このシリウス王子の居住区へ国王がやって来た。
「相変わらず辛気臭いな。もう少しマシな女達は居なかったのか?ルイーズ、お前がもう少し若ければな。まあいい。王子を産んだ妃はもう此処へは来ぬ。教育係を今のうちに探しておけ。」
「畏まりました。」
侍女頭のルイーズを筆頭に侍女とステラは跪き頭を深く下げた。
(辛気臭い?)
侍女達は皆若く美しい。
どの娘も淡く美しい髪を持ちバラ色の頬とさくらんぼの唇をした見目麗しい者達だ。
いつも控えめに優しく笑みを浮かべた侍女達が震えていた。
国王がお付きと護衛を連れて帰るとひとりの侍女が座り込んだ。
その娘の背中をルイーズが優しく撫でる。
「ステラ、あなたにお話があるの。」
ステラは通いが許されている。
それは様子見の今だけだろうと言われた。
そのうちに理由をつけられて王城から出られなくなる。
家族とも引き離される可能性もある。
「王室に逆らえないの。」
ステラにも解っていた。国王の傍若無人を。騎士団の夫からも聞いていた。
有名な話だ。
若い娘を次から次へと妃に迎え子を産ませていると。
大臣の奥方様も離縁させたれた挙句妃に召されたと聞いた事もある。
「貴方の家族を護る為にマーカス侯爵家へ来て欲しいの。家の旦那様なら守れるわ。貴方は私がここで守ります。今日すぐにでも話をして。侯爵家から迎えに行く準備は出来ているわ。」
魔法だ。
このルイーズ様は魔法が使える。
恐らく認識阻害の魔法が私達にかけられている。
だから国王が辛気臭いと言ったのだ。
「わかりました。すぐに主人と子供達に話します。あの、シリウス王子の母君様は何故いらっしゃらないのですか?」
「王子を産むという役目を果たしたからよ。彼女は結婚を目前に控えて王城に連れて来られたの。産んだら帰して貰う約束の上でね。」
「ではお役目を果たしてご実家に帰られたのですか?」
「そんなのは嘘よ!帰れるはずなんてないわ!」
侍女のひとりが興奮気味に叫ぶと泣き出した。
「私見たのよ、帰される寸前で殺された娘たちを、何人も見たわ。」
「私も見たわ。見せしめに態と遺体を転がしておくのよ。王家らしい汚いやり方だわ。」
きっとこの娘達も攫われて来たのだろう。家族の元へ帰る希望もなく唯ひたすら働いているのだ。
ルイーズは自分の娘の様な彼女達を庇い貧相に見える魔法を掛けて守っているのだ。
「ルイーズ様が魔法
「しっ」
ステラは別室に連れて行かれた。
「使えるのに気付いたのは貴方が初めてよ。もしかして貴方も?」
「わかりません。使った事がないのです。」
「そうなのね、何か解らないけれどきっと貴方にも使えるはずよ。さあ、時間がないわ、わかるでしょう?信用してもらうのにもっと時間が必要だったけれど若様の母君が殺されたから貴方が家に帰るのは難しくなった。引き止める為に貴方の家族が犠牲になるかも知れない。すぐに家の屋敷内に逃げて。」
ルイーズの手引きで旦那と子供達は無事に侯爵家に移り住む事が出来た。
この先気まぐれな王家から何をされるか解らない不安がひとつ消えてステラと夫は安堵した。
認識阻害魔法のおかげで容姿が劣っている様に見えるシリウス王子の侍女達は国王からも国王の側近の大臣達からも相手にされず目立たぬ様大人しく過ごしていた。
ステラは変わらず通いが許されている。
まだ一歳にならない末娘のルーナには乳が必要なのでホッとしていた。
数ヶ月経った頃ふいに国王がやって来た。
「そこの地味な乳母、お前は王子に乳を与える役目だな。」
「はい。」
「王子に与える乳を娘にも与えているそうじゃないか。お前の乳は王子の物だろう?」
ステラは何と答えればのか解らない。
「王子に乳がいらなくなるまでお前の娘は王城で預かる。」
国王の預かるなど信用できる訳がない。
ルイーズはルーナをすぐに連れて来るようにと言った。
マーカス侯爵家の片隅で夫も長男も長女も怒りに震えている。
ステラはいよいよ家族と引き離されるかも知れない。
夫と子供達を順番にきつく抱きしめながら星に願いを込めた。どうかまた会える日まで無事でいられますようにと。
小さな小さなルーナを皆んなで代わる代わる抱っこした。
キスに願いを込める。
マーカス侯爵様がやって来てルーナを撫でた。
「やはり貴方達は私と同種ですな。ステラに結界を張って貰えたのだな。」
「結界?」
「無意識か、珍しい魔法だ。暫くは様子見だな。命の危険はないだろう。こちらは味方もいる。王宮にはルイーズがいる。全く先が見えないのがこの赤子だけだ。」
「いつも不思議な星周りなのです。命の危険はありません。大きな力がいつも周りを囲っていますから。」
「そうか、星を読むか。ならば暫し流れに身を任せよう。」
小さなルーナは王妃の侍女が連れて行った。
数多いる妃の中で何番目の妃かも教えて貰えなかった。
ルーナは誰かの侍女が暫く世話を焼いていたが故郷に我が子を残して国王に召された何番目かの妃に引き取られて行った。
彼女はルーナを見つからない様に隠して育ててくれたが国王との子を授かるとルーナが邪魔になり実家から連れて来た護衛に捨てて来るように命じた。
護衛は王宮を出ると馬車に乗り魔物が住むと噂の森の入り口にルーナを置き去りにして去って行った。
ルーナは一歳の誕生日を迎える直前だった。
ステラはシリウス王子を膝に乗せていた。乳を飲む事も無くなったがステラが口にスプーンを運ぶ役目をしていた。
父の愛も母の愛も与えられずに育つこの王子はステラに懐いている。
夕食を食べ終えた王子を抱きながら空を眺めて悟った。
(ルーナが消えた。でも死んではいないわ。神聖な何かに保護された。)