ミーナ伝記 その8 孤児
8 孤児
王都にある庶民のための第2学校は、オズボーン公爵家の全面的な資金援助によって建設、運営がされていた。これは公爵家が王家に匹敵する資産を持っているから実現できた事ではあるが、歴代の公爵が篤実家だったからではなかった。
公爵家の任務は、王都の東部にある3つの魔獣の巣に出現する魔獣の討伐と、全土に点在する魔獣の巣の管理であった。平時は、魔石を生み出す鉱山に等しい魔獣の巣も、25年に1度発生する暗闇の暴走によって、死神を出現させる拠点へと変わる。その死神との戦いでは、公爵家の戦士達が命を賭ける事になるが、その賭けの結果に生存はほとんどなかった。公爵家に従う優秀な戦士達は盾の役目を担って死んでいく事になった。
25年周期で訪れる戦士の喪失、国力の減少、父を失った子供達の大量出現、そういった負担によって生き延びた公爵家の人間は、次の戦いのために戦士を育て、国力を増加して、次の世代となる子供達を成長させなければならなかった。そうする事が、自身たちの盾を強力にして、次の世代の負担を減らす事になった。
その自然の摂理とも言える流れの中で、公爵家が生き延びた人々を育てるために財を費やすのは当然の事だった。第2学校も孤児院も、優しさや思いやりがあったから設立したのではなく、自己の血の継承のための投資であった。だから、公爵家の人間で第2学校に関する件で、感謝される事を望む者はいなかった。
「ミーナはどうですか?」
「とても頼りになります。色々な仕事を進んでいてくれています。あのくらいの年齢だと、自分より小さい子の面倒を見る事を好まない子もいるのですが。嫌な顔1つせず、手伝ってくれます。」
「困っている様子はありませんか?」
「聞いてはみましたが、困っている事はないとしか、言ってくれません。普通の子だったら、あそこまで手伝うような事はありません。」
「問題が無いようであれば、ミーナの思うようにさせてください。」
「はい。助かります。」
「学校での勉学の方はどうでしょうか?」
「字の読み書きは完璧です。亡くなられたご両親の教育が・・・。これは失礼しました。読み書きを学ぶ必要はないぐらいです。それで、メイドの授業を受けるようにしたのですが。覚えが早いと言うか、その。何でも、すぐにできるようになります。」
「そうですか。もし、本人が望めば、年上の子達と同じ授業を受けさせてもらえますか。」
「はい。分かりました。」
一週間後に孤児院を訪問したゼムスは、何となく予想していたものの、ミーナという少女の性能の高さを改めて聞かされていた。
「今日は、周辺の案内をする事になっているので、午後からは孤児院の手伝いはできない事は。」
「ミーナから聞いています。自分の時間を持つ事も大切ですから。」
「そうですね。」
この日、ミーナは前回紹介してもらえなかった伯爵家に出入りする商人達の店へと連れて行ってもらった。ゼムスは何のためなのかと尋ねようと思ったものの、彼女にとって必要な事であると納得して、質問などはせずに、彼女の要望をただ満たす事だけに注力した。
孤児院と学校、ミーナと交流する大人から、少女の評判が良かった。物わかりの良い働き者で、大人にさえ気遣いを見せるのだから、否定される要因は何1つ無かった。しかし、孤児院の子供達は皆がミーナを好意的に受け入れた訳ではなかった。
物心がつく前の小さい子達は、面倒を見てくれるお姉ちゃんを好きになったが、学校へ通っている孤児達は、ミーナを好きにはなれなかった。大人たちの誉め言葉を独占するだけでなく、一緒に居ると自分自身が負けている事がはっきりと分かるため、とても惨めな気持ちになり、その気持ちと折り合いを付けることができなかった。
同じ孤児なのに、ミーナだけが違っているように思えた事は、子供達の心に影を落とす事になった。
そして、ゼムスが度々ミーナに会いに来ることで、孤児達の嫉妬の炎は燃え上がろうとしていた。孤児たちの将来は、身につけた技能によってどこで働ことができるかで決まった。ゼムスがレヤード伯爵家の家令である事を知った孤児達は、ミーナが学校を卒業した後、レヤード伯爵家で働く事が決まっている事に嫉妬した。
オズボーン公爵家の右腕と呼ばれる名声を持っているだけでなく、使用人達を厚く遇する事で有名だったため、王都でメイドとして働こうと考えている女性達にとって、最上位の就職先であると言えた。
同じ孤児であり、同じ不運や苦しみを分け合って、慰め合いながら生きている自分達の中に入ってきた赤目赤髪の少女は、存在そのものが眩しく輝かしかった。彼女に嫉妬の炎をぶつけようとしていた時、眩い輝きを放つ赤目の少女に、孤児たちも照らされて輝くことになった。
「これはプレゼントです。」
「ハンカチ?」
「はい。刺繍をしてあります。」
「どうして、私にくれるの。」
「皆にもプレゼントする予定です。」
「どうして、プレゼントをくれるの。」
「孤児院の皆にお世話になっているからです。本当はすぐにプレゼントをしようと思ったのですが。皆の分の刺繍糸を買うために、刺繍したハンカチを店に売らないとならなかったので、時間がかかってしまいました。」
「そう。」
6歳も年下の小さな少女から受け取ったハンカチに刺してある刺繍は大きな花柄で、まるで貴族のお嬢様が持っているようなハンカチだった。
孤児院でお世話になり、学生を続けている孤児達には、自分の所有物と言うのがなかった。着ている服も卒業していく孤児達のお古であり、体が大きくなると、今持っている服は下の子達へと渡していった。そんな中、高級品だと思える物をもらって嬉しくないはずがなかった。
「ありがとう・・・。」
「喜んでもらって嬉しいです。」
物をもらってすぐに対応を変える孤児もいれば、受け取ってお礼を述べたものの、苛立ちを消す事ができない子供達もいた。
「幼児たちのお世話ができると、働く場所で、赤ん坊のお世話役を与えられるかもしれないから。大人になる前にお世話役を与えてもらえれば、その場所で信頼されるようになるかもしれない。」
「刺繍が上手になれば、刺繍したハンカチとかを買い取ってもらえるようになる。刺繍が苦手でも、裁縫はできる方がいい。古着も手直しすれば、高く古着屋で買ってもらえる事もあるから。これ以上着るのは難しい服は、使える部分の布を切り取って、手直しの材料にするといいよ。」
ミーナから贈り物をもらった子供達は、今まで内側で燻っていた劣等感や嫉妬心を表に出すようになった。それは、自分もミーナのようになりたい。ミーナが持っているものを自分も欲しいという願望となって、お手本である赤髪の少女に向かっていった。
そういう剥き出しの欲望にミーナは丁寧に応えていった。それは優しい対応ではなく、得手不得手をはっきりと指摘した上で、その子の一番優れている部分を延ばす道へ誘導するものだった。
単にミーナがアドバイスを与えているだけであれば、大人たちもそれ程驚きはしなかったが、赤目の少女には人を見抜く力があるように、孤児たちを力が発揮できる場所に的確に導いていた。彼女の導き方は熟練の商人のような人材配置を見るようだった。
裁縫が得意な孤児と言っても、売れるレベルの品物を作るためには練習が必須で、練習には糸と布が必要だった。ミーナが稼いだお金で買ってあげる事はできたが、そのような安易な方法をミーナは選ばなかった。孤児たちにとって大切なのは、自立する方法を得る事で、誰かに助けてもらう道を歩むことではないとミーナはよく知っていた。
赤髪赤目の少女の刺繍に目を付けた洋服店は、時折服への装飾として刺繍を依頼する事があった。そことの関係を作ったミーナは、孤児達の中で刺繍が得意な者には、仕事の一部を手伝ってもらって、僅かではあったが収入を分け与えた。そして、刺繍が苦手な孤児たちを洋服店に引き連れて行って、店舗清掃をさせてもらった。未熟な孤児達とは言え、第2学校でメイドとしての教育を受けている子供達は丁寧に掃除をすると、その代価として、裁断した時に出る端切れや糸くずなどのゴミを手に入れた。そのゴミをミーナは買い取る形で、彼らにも報酬を行きわたらせた。
ゴミを商品に変える事は流石のミーナでも無理だったが、このゴミによって裁縫が得意な孤児達が十分に練習をする事ができるようになった。
時間が経つと、清掃に来る孤児達に愛着を抱くようになった縫子達は、余ったお菓子をくれるようにもなった。店主の方も、ミーナの刺繍入りの服を高価で買い取ってもらうルートを構築していて、かなりの利益を手にしていたため、ミーナが連れてきた孤児達を嫌うような事もなく、可愛がるようになっていった。
不要になった古着の買い取りもしていた店主は、ミーナの刺繍で服が高額で売れた場合は、ボーナスとして商品としては売るのが難しい古着を孤児たちに贈ることもあった。ゴミでさえ活用できる孤児達は、手直ししたり、端切れにして小物を作ったりと、使える材料として使用した。
「僕達にもできる事は無い?」
女子達が元気に活動しているのを見た男子達も、ミーナに頭を下げて聞いてきた。男子には騎士や傭兵の道があり、それを目指す者は多かったが、それなりの財力がなければ装備を整える事ができないため、余程の才能がない限りは、孤児達は戦士の道を歩む事は難しかった。
その道を歩めない者は、学校で学ぶ技能を活かして就職をするのだが、どの道もある一定の技能がなければ進めないため、男子達には就職するまでの間に、金銭を稼ぐ事は無理だった。少なくとも、孤児院の職員たちはそう考えていて、いくらミーナでも無理だろうと判断していた。しかし、少女の構想力と交渉力にただ驚くだけだった。
ミーナが将来レヤード伯爵家に雇用される事は第2学校周辺では誰でも知っていた。家令ゼムスと一緒に街中を歩き、様々な商店に入る姿を見せていた事で、赤髪の少女の信頼度は長年の付き合いがある商人と同様だった。
その少女は、刺繍入りのハンカチを持参品として。男子孤児をそれぞれが目標とする就職先候補に連れて行った。そして、その店で下働きをさせて欲しいと依頼した。給金を貰える程の労働力ではないから、代価は求めないが、仕事場の見学を許して欲しいという交渉を行って成立させた。
職人を目指す孤児達にとって、現場を見る事ができる事は将来の財産になった。学校での技能訓練の効果が大きく上昇しただけでなく、職人たちと仲良くなることで、学校卒業後に就職し易くなった。
「王都の中や、郊外にある林の位置を教えて欲しいの?」
「そんな事を知ってどうするの?」
「木の実探しをするの。」
下働きとして王都内の様々なところを移動する男子達から、ミーナは情報を集めると、商品として市場に出回る事のない食べる事ができる木の実の在処を調査した。毎週太陽の日の朝になると、男子の孤児達は、少女であるミーナを小さな台車に乗せて、森林ツアーへと出かけた。
木の実を必要な分を確保した帰り道、小麦粉等を大きな袋ごと安く買い入れると、孤児達は皆でお菓子を作った。安い食材で作った物だが、それなりの味で完成したそれらは、孤児達の腹を満たす事にもなったが、ミーナが指示したのは、いつもお世話になっている人々に送る事だった。
大量の材料を確保しているのを見ている孤児達は、反対する事もなく、翌日からいつも行っている場所にいる大人たちにお菓子を送った。それらは高級品でも何でもなかったが、もらった大人達には高級品にも匹敵した。
孤児の生活が豊かではない事を全ての大人たちは知っているのだから、孤児達が自分達に何かを贈る事そのものには驚いたし、無料でこき使っている大人達は自分達が感謝されているとは思ってもいなかった。
居る場所がないから仕方がなく黙って働いていると考えていた大人達の中に、孤児達の行動に揺り動かされない者はいなかった。労働者でもある大人達も自分の生活が楽ではなかったが、お返しと称して様々な物を贈るようになり、家庭で不用品として価値がないと判断したものについては、何であっても孤児達に渡すようになった。
ゴミではあったが、様々な技能を身に付けたいと考える孤児達には、訓練用の資材になるものもあるし、うまく組み合わせて再生することに成功して、道具と化したものもあった。
ミーナは孤児達に生活力を付けさせるための訓練を施したと評価される事が多かったし、実際に訓練効果は高かった。しかし、赤髪の少女が心がけている事は、孤児達を孤児院以外の場所に連れ出して、人と人の輪の中に入れる事だった。
子供だけで生きていけない上、大人の力添えが必要である事を、ミーナはこれまでの人生の中で体験して、十分に理解していた。孤児達の不幸は両親に先立たれた事ではあるが、それは解決できないのだから、解決すべき問題は、他の大人たちと孤児たちの関係を作る事だった。
親がいないのであれば、他の助けてくれる大人たちを探せばよいのであって、孤児院と学校の中ではできないのだから、ミーナが一番したかったことは、大人と関りが持てる場所に孤児達を連れていくことだった。