ミーナ伝記 その7 第2学校
7 第2学校
イシュア国王都の北西部ある王城、その周辺に広がる貴族住宅地の一角にレヤード伯爵家があった。オズボーン公爵家の片腕と呼ばれる伝統ある伯爵家は、武勇によって騎士爵から次々と陞爵していったため、地方領の広さは男爵家と変わらないが、王家及び公爵家から十分な褒賞を受けている名門貴族だった。
その主であるサムス・レヤードは34歳の剣士で、9年前の暗闇の暴走では、夫人共々公爵家の補佐を務めて勇名を馳せた。その伯爵が、旧友の男爵家を救援に行くと屋敷を飛び出してから、1か月後に戻ってきた。
「伯爵様、お帰りなさいませ。」
「客人を連れてきた。」
馬上の伯爵の後に続いていた馬車から、赤毛赤目の少女が降りてきた。
「ミーナと申します。ゼムス様。」
「はじめまして、ミーナお嬢様。レヤード伯爵家の家令を務めております。ゼムスと申します。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
「ファラとエリスは?」
「お嬢様の部屋で勉強をされています。」
「そうか。2人に伝える事はしなくていい。応接間で3人だけで話がある。」
「はい。畏まりました。」
ハミルトン男爵家が断絶する結論に家令は驚いたが、説明された理由には納得できた。ただ、養女として迎えるのだとの予測は当たらなかった。その点は伯爵らしくないと思ったが、庶民のための第2学校でメイドとしての技能を学び、将来は伯爵邸で雇用するという方針を聞いた時、いずれ養女として迎え入れる考えを持っているのだと理解して、主人に対する諫言はしなかった。
伯爵家家令ゼムスは6歳女子であるミーナの対応が、子供のものではない事に驚いたと同時に、物事を理解する速さや、考える深さにも驚いた。
「この店を見ても良いですか?」
「裁縫道具の店ですね。上手なのですか。」
「6歳にしては上手だと言われます。」
伯爵邸で1時間程話をした後、家令は庶民となる少女と共に第2学校へ向かった。入学手続きを済ませる事が伯爵から与えられた仕事だと思っていたが、手続きも含めて、全てを少女が1人でこなしていた。子供1人だけだと信じてもらえないから付き添いが必要で、その役目が家令の主な任務だった。
それともう1つ、学校近くの案内もゼムスの仕事だった。そして、そのことを良く理解している少女は、学校の寮に向かう途中、様々な店をゼムスに案内してもらっていた。
「隣の店も見てもいいですか?」
「もちろんです。」
国内最大の都市である王都が珍しいのだろうと普通に考えていたが、少女の見せる行動の全てが特別なように思えた。各店舗で品物を次々と手にするのだが、購入する事は無かった。寮に入ってからでないと、身の回りの物でさえ買う事はできないのだから、そこに驚く事は無かった。驚いたのは、手に取った品物を真剣に鑑定していた事だった。少女の頭の中が見える訳ではないが、商品を見る眼差しには、商人のような鋭さが宿っていた。
「次の店は、食材の店ですが。個人へのバラ売りと言っても、袋売りの店です。」
「見たいです。」
大豪邸を持つ商人や貴族を相手にする食材店であるため、寮で1人生活をするミーナが購入する機会はないはずだった。しかし、彼女が訪店を望むのであれば、何か意味があるのではないかと家令は考えた。
「ゼムス様、ご注文ですか。」
「いや、注文はまた、土の日に来ることになると思う。」
「そうですか。良い食材が手に入りました。」
「お勧めはありがたいが、今は手持ちの金がない。それに、別の用事があるのでな。」
「こちらのお嬢さんは。」
「ミーナと言います。今度、伯爵邸で使用人として雇ってもらう事になりました。」
「メイド、お嬢ちゃんが。」
「第2学校に入学して、そこで学び終えたら、お屋敷で働かせてもらう予定です。」
「おお、なるほど。エリスお嬢様、御付きのメイドといった所かな。」
「はい。そうなれるように頑張ります。」
「元気だな。受け答えもしっかりしているし。」
「ありがとうございます。あの、ここの皿に乗っているのは、手にしたり、食べてもいいのですか。」
「ああ、うちは商品を袋で売っているんだが、初めてくるお客さんは、品質を確かめたいだろうからな。こうやって、手にしてもらえるようにしているんだ。」
「少し触って、食べてもいいですか。」
「お、ミーナは、料理に興味があるのかな?」
「はい。料理は得意です。」
小麦粉を1摘みしてから、感触を確かめて、少し口に含んでいる姿は、商人の仕草と同じだった。
一通りではなく、学校から寮に着くまでに通った店の全てに入ったミーナとゼムスはようやく学校寮へと辿り着いた。
地方から出てきた商人の子供達を対象とした寮に入る事になったミーナに対して、ゼムスは自身の役割を説明した。週に一度ミーナの所を訪問するように伯爵から命令があったため、土の日の午前中にここに来ることを伝えたゼムスは、困ったことがあったら必ず屋敷の方に連絡を入れる事を何度も確認して屋敷へ戻っていった。
4日後の土の日の早朝、寮を訪れた伯爵家の家令は、そこにミーナがいない事に驚いたが、慌てるような事もなく、寮を管理する寮母に所在を尋ねた。その時に、一通の手紙を受け取った。
「部屋は未だ空けておいてくれ。戻ってくるかもしれないから。」
「はい。一月分の料金は貰っていますから。いつでも戻ってきてもらって構いませんけど。第2学校の孤児院でうまくやっているようです。」
「ああ、うまくやっているだろうな。」
恐ろしく口と頭の回転が速い少女であっても、6歳児に勝手をさせて良い訳がなかった。だが、結果として寮母は彼女の口と頭に説得されていた。そして、伯爵が養女にと望んでみたが、エリスのためにそれをしてはならないと説得されたという話を信じる気持ちになれた。
第2学校内にある孤児院の応接室で、家令と学生は対面した。大人用のソファーにちょこんと腰かけているミーナは、6歳には見えないが、8歳の子供以上の少女には見えなかった。つり目気味の赤目が鋭さを見せる時はあっても、笑顔の時の瞳は可愛らしいものだった。
「ミーナ、サムス様から自由にして良いとは言われたが、報告をしてもらわなければ困る事もある。」
「申し訳ありませんでした。」
「報告する必要があると分かっているのに、どうして報告せずに、孤児院の方へ住まいを移した。また、住まいを移した理由は何なのだ。」
「孤児院に移ったのは、家賃がかからないようにするためです。それに、ここだと学校に通うための時間がかかりません。図書館も利用させてもらえるので勉強しやすいからです。」
「なるほど、だが、孤児院では、小さな子供達の世話をする時間が増えて、勉強する時間が減るのではないか。」
「はい。ですが、将来はメイドになるのです。その練習だと思えば、孤児院で小さい子達を世話する事は意味があります。」
「それは分かった。報告が遅れたのはなぜなのだ。」
「事前に報告すると、反対されるからです。」
「その事を分かっているのだな。将来は伯爵家で働く事になるのだが、今は、サムス様の旧友の娘という立場だ。その娘さんを、孤児院に入れるのは、伯爵家としては認める訳にはいかない。友誼においても、伯爵家の体面においても、ミーナを見捨てるように見える孤児院へ入る事は認められない。」
「友誼や体面よりも、伯爵家にとっては、お金が大切だと思います。」
「・・・・・・。」
「お屋敷の中を少し見ました。ゼムス様の来ていた服装もよく見ました。見た物のほとんどが手直しをして使用していました。王都での評判も聞きました。領地は伯爵家としては小さく、あまり利益が出ない事。そして、その利益や軍部からの給付金は、領民や部下、使用人に手厚く配分するため、伯爵様、伯爵夫人、お嬢様の3人が伯爵家としては信じられない程に、倹約している事の聞きました。」
「その通りだ。伯爵家は貧しい訳ではないが、伯爵と夫人は倹約している。先の暗闇の暴走で命を散らした戦士達の妻子を養っているから・・・。だが、ミーナの王都での滞在費については、男爵の領地の者達が伯爵家にお金を送ってくれる事になっていると、伯爵からは聞いている。」
「それは嘘です。向こうを出る前に、お世話になったシスターが、伯爵様から、お金を王都に送る必要はないと言われたと教えてくれました。王都では伯爵家が面倒を見るから、そのお金は領民のために使うようにと。私が王都で気遣わなくて済むように、お金を定期的に送っている体にして欲しいと依頼されたのです。」
「伯爵様らしいと言えば・・・。」
「家賃の方は後でお返ししたいと思っていますので、できれば孤児院に移った事を内緒にしていただければと思います。」
「ミーナもか・・・。分かった。この件は内緒にしておく。だが、孤児院で生活するとなれば、不足する物もあるかもしれない。家賃の方は渡すから、必要な分は使えるようにしよう。ミーナが無駄遣いしない事は分かっているのだから。」
「必要ありません孤児院での生活に困らないだけのお金を稼ぐことはできます。」
「お金を稼ぐ?」
「はい。刺繍が得意で、それで稼ぐことができます。もう、刺繍を差したハンカチを昨日売りました。」
「売れたのか。」
「はい。」
「出来栄えが良くても、ミーナが持って行って買ってもらえたのか。」
「はい。ゼムス様と一緒に行った店なので、伯爵家に住み込みで働いている姉が作った事にして売りました。次に売りに行く時には、ゼムス様に一緒に行ってもらって、私が作った事でも買ってくれるようにと話をしてもらいたいと考えています。」
「もしかして、あの時、私と一緒に店に入ったのは、子供だと相手にされるまでに時間がかかるからなのか。」
「はい。」
この後、ミーナという少女が、1人で森林の中で逃亡生活をしていた事を伯爵から聞いた。家令は、彼女ならそのような事もできるだろうと感心すると同時に、この少女が特別な存在である事を理解した上で接する必要があると言い切った主の言葉を疑ったことを反省していた。