ミーナ伝記 その5 男爵夫妻
5 男爵夫妻
ミーナに対する婚約の申し出に、男爵夫妻はすぐには決められないという返事で時間稼ぎを図った。しかし、ソディ―子爵家は婚姻による時間をかけての乗っ取りが目的ではなく、産業そのものを今すぐに奪う事が目的であったため、待つことはできないと圧力をかけてきた。自分達の後ろにはケネット侯爵家があると言い切っての脅迫で全てを圧し潰そうとしたが、王都でレヤード伯爵家に目をかけてもらえた豪の夫妻が、そのような脅迫に屈する事はなかった。
半年後、最後の機会だと言って、婚約の申し出の書簡を送ってきた。
「パパ、とりあえず政略結婚を受けた方がいと思う。」
「何を言うの、ミーナ。政略結婚だとしても、この年齢差の結婚では、染色産業を奪った後に、男爵家を潰すか、捨てるか。いいえ、男爵家はどうなってもいいの。ミーナが大切に扱われると言うのなら、政略結婚を受けてもいいと思っているわ。でも、そのつもりはないのよ。」
「でも。」
「ミーナ、いいかい。向こうの長男の子供は2歳で、いずれ子爵家を継ぐ嫡孫。その子との婚約であれば、ミーナの幸せになる可能性があり、子爵家に吸収される形になっても構わないと思っている。だが、向こうは、もう一度19歳になった次男との婚約を要求してきた。ミーアの幸せを考えるつもりが全くないのだ。もちろん、我が領民の事を考えているはずもない。断固として拒否するしかない。」
「でも、ケネット侯爵家はとても強い勢力だと、ケントさんが、言っていました。」
「ソディ―家は、ケネット侯爵派閥ではあるが、昔からの付き合いがある訳ではない。この婚約についても、ケネット侯爵は知らないだろう。知っていても現段階で介入する気はないのだろう。介入するのであれば、ケネット侯爵の添え状があるはずだからな。それにケネット侯爵家にしてみれば、うちのような勢力の小さい男爵家を取り込む必要はないのだ。ソディ―家や伯爵家を取り込んでいるのだから、その周辺の男爵領の事も支配下に入れていると考えているだろうからな。」
「うん、分かった。でも、実力行使してきたらどうするの?」
「その時はママが戦うわ。これでも騎士になれるだけの実力はあるから。心配しなくてもいいわ。」
「パパよりも強いの?」
「・・・・・・。」
「ママの方が強い。とにかく、年齢的につり合いが取れない婚約は誰であっても受けるつもりはない。だから、ミーナは、自分の幸せを一番に考えるんだ。分かったか。」
「分かったけど。後になって不幸になる事も。」
「ミーナ、考える事は大切だけど。先の事を見通す事はできないのだから。その時、その時で一番良いと考えた選択をすればいいんだ。」
「はい。分かりました。でも、もし、ケネット侯爵家が動いてきたらどうするの?」
「その時は、レヤード伯爵家を頼る。きちんと先の事も考えている。」
そう言い切ったゲルマニア男爵は、ソディ―子爵家からの攻勢を悉く粉砕していった。
ソディ―子爵家は最初の一手に失敗すると、ケントが率いていた商業団を襲撃するという強硬策に出たが、これは護衛に付いていたエリザベスに一蹴された。若き青騎士として二つ名を得ていた女騎士は圧倒的な速さで敵を打ち倒すと、捕縛した子爵家長男を街道上で晒した。
男爵家と子爵家の全面戦争であると子爵家当主はいきり立ったが、行動に移す事はできなかった。襲撃直後から、子爵家の強盗行為に関する問い合わせが周辺の領地からあったからだった。
ゲルマニアは、ケントの配下にいたモスをスパイとしてソディ―家に送り込んでいた。男爵家側の情報を与える事によって、襲撃の日と場所をコントロールした上で、罠にかけたのだった。周辺の貴族達の領土に送り込んだ商人達に、噂話と言う形で襲撃の情報を流させる事で、子爵家の動きを封じ込めた。
本来の目的は、ケネット侯爵家が襲撃犯の子爵家を支援できないようにする事であったが、街道の安全を望んでいる周辺の領主たちが動いた事で、ソディー家は手詰まりになった。この状況になってからでは、ケネット侯爵家に添え状を依頼する事も出来なくなった。
対魔獣戦で活躍する騎士に命のやり取りをさせる行為は、イシュア国の全ての人間から批判されるものであって、襲撃は脅しのためで、相手の命を奪うつもりはなかった。などという言い訳をしたところで、どうにもならなかった。
この完全封殺に成功した男爵夫妻が、安定した領内経営を続ける事ができたのは半年間だけだった。ミーナの実父実母の命を奪った流行病が、再び彼女から養父養母を奪った。
男爵夫妻が病に倒れた時、ミーナは2人の病が流行病である事を領民に伝えて、屋敷へ入る事を禁止した。そのため、1人で2人の世話をし続けたが、二週間後に2人が病死した事をシスターに伝達した。
流行病で死亡した死体は、焼却処理が決まっていたため、領内唯一の施設がある教会で灰とされた男爵夫妻は、男爵家代々の質素な墓地に埋葬された。領内の誰もが夫妻の恩恵に感謝し、涙を零していたが、ミーナだけは涙を流すことはなかった。
葬儀が終わった夕刻、教会のシスターの部屋にミーナが入ってきた。
「どうしたの、その格好は?」
茶色の農作業着姿のミーナは、荷物袋を背負っていた。手には2枚の書類が握られていた。
「言い争っている時間がないかもしれません。これを受け取ってください。」
「・・・・・・。」
「ソディー家が乗っ取りに来ると思います。私は1ヶ月ほど、森林に隠れます。生活できるように準備はしてあります。」
「この書類は・・・。」
「男爵家を廃絶するための書類と、男爵家の財産の全てを教会に、孤児院に寄付する旨が書かれた書類です。その写しです。正式な書類は王都のレヤード伯爵に送ってあります。」
「男爵家については、私が何かを言える立場ではないけど。伯爵が来てくださるのであれば、森林に隠れなくても良いのではないの?」
「廃絶が決まるまでは、私が当主だから、届け出を無効にする宣言書を書かされることで、
乗っ取られてしまいます。」
「ケントさんたちを襲うぐらいだから、ミーナにも何かをする可能性はあるわね。でも、皆の家とかに隠れる事はできないの?」
「私を捕まえて、無理にでも宣言書を書かせる事をする人たちです。領民たちが隠しているとなれば、脅すだけでなく、領民を切ると思います。私の事を追及されたら、森林に逃げ込んだ事をそのまま伝えてください。皆が痛めつけられるのは嫌なんです。」
6歳の少女とは思えない深紅の瞳に宿る意思を感じ取ったカトリーヌは、了解の旨を伝えて送り出す事しかできなかった。
葬式から3日後、男爵夫妻の死亡情報を手にしたソディ―家が30名の戦士達と共に男爵邸に乗り込んできた。
屋敷及び屋敷内の全ては、教会へ寄付した物である。
玄関の前に立てられた木の板に書いてあった内容を無視して、屋敷内を捜索したが、そこが無人であり、男爵令嬢ミーナの姿はそこにはなかった。教会のシスターを問い詰めるまでもなく、訪問したソディ―家の兄弟たちに、ミーナが残した2枚の書面を見せた上で、教会に隣接する森林に逃げ込んだ事を伝えた。
子供達が木の実と樹皮を収拾する森林地域を探索したが、ミーナを発見する事はできなかった。シスターはさらに奥の方へと行ったはずだと主張したが、6歳児が未開の森林地域に入るはずがないと、ソディー家はシスターの言葉を信じる事は無かった。
男爵領内のどこかに隠れているはずという誤った判断のもと、一軒ずつ探索をしたが、居ない者を見つける事ができなかった。苛立った兄弟が領民を脅し始めた時、カトリーヌが前面に出て言い放った。
「私達は、誰が領主であっても、今の生活ができれば良いのです。ハミルトン男爵家に恩はありますが、書類にあるようにミーナは男爵令嬢である事をやめる事になります。私達がミーナを隠していても、何の得もありません。だから、教会も皆の家もミーナを見つけたいというあなた方の要望通りに協力しているのです。そのように脅されても、森林の奥に行ったとしか答えられません。」
「協力すると言うのなら、森の捜索を手伝え。」
「いくら頂けるのですか。」
「ん、ああ。なぜ、金を出さねばならない。」
「捜索に加わった者は、働くことができなくなります。今の男爵領では働いた分だけ、お金が手に入るようになっています。その分を支払ってもらわない限り、手伝う事はできません。あなた方が新しい領主だと言うのであれば。」
「もういい。我らだけで森を探索する。奥のどこかに小屋なりがあるはず。そこを発見すればいい。」
「そのような場所はありません。」
カトリーヌを無視した兄弟が部下たちと共に森林地帯に捜索に入った。
ミーナが森に入ってから10日後に、ソディ―兄弟は森林の捜索を開始した。初日は領民のアドバイスを無視して、日没直前まで森林内を捜索していたため、多くの部下たちが暗闇に飲み込まれてしまった。そもそも、人探しを予定していなかった上、鬱蒼とした森林内での探索をする準備はなかったのだから、捜索は遅々として進まなかった。
さらに12日後。
「ミーナァー!レヤード伯爵様が来てくださったわ。」
1時間おきに、森の中にシスターの声が響いていた。
「ミーナァー!レヤード伯爵様が来てくださったわ。」
3度目の絶叫と共に、カトリーヌの背後の木から茶色の布に包まれている少女が出てきた。
「シスター。」
「ミーナァ、ああ。」
木々を避けて辿り着いた先でぎゅっと抱き締めながら、シスターは涙を零していた。薄暗い中で、顔色が分からながったが、声には張りがあり、抱き締められた体には脱力した感じは全く無かった。
「具合悪い所はない?」
「大丈夫です。」
「お腹は空いているわよね。」
「朝は大きな果物と干し肉を食べたから、大丈夫。」
22日間の森林生活は、ミーナにとっては過酷なものではなかった。男爵家にある水の魔石、火の魔石、光の魔石を持っていたため、飲み水が不足する事は無かった。火の魔石は煙を出すのを避けるために使用しなかった。暖を取るためには、光の魔石を利用した。証明として使用する光の魔石は、ほのかに熱を発するため、それを利用してミーナは夜間の寒さを凌いでいた。そして、食事の方は荷物袋に入れた干し肉と、現地調達する木の実で賄ったため、飢えるような事は無かった。
「疲れていない?おんぶしてあげるわ。」
「歩いていく。足場が悪いから、おんぶするのは無理だと思う。」
「そうね。」
赤目赤髪の少女が生還した事を領民たちはただ喜んだが、救援に来たレヤード伯爵は驚愕していた。6歳の男爵令嬢が、食料と水が十分にあったとは言え、長期に渡り、森林の中で孤独な生活をしていた事が信じられなかった。
幼い頃から才能を開花させて、大人顔負けの実力を持つ子供は過去にも存在していたが、大人でさえ逃げ出したくなるような苦難に、自らの意思で立ち向かう子供の話は聞いたことが無かった。