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ミーナ伝記(公爵家物語外伝)  作者: オサ
貴族令嬢
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ミーナ伝記 その3 教会

3 教会 


 ハルミトン男爵領の教会はヴェグラ教の精霊ジフォスを祀っていたが、それは形だけだった。日課として、その美しい木の精霊の木造に祈りを捧げるシスターでさえも、宗教的な権威を信じていなかった。神の力でさえ打ち払う事ができなかった魔獣を駆逐したのが、イシュア国を作った人間の戦士たちであるという現実がある以上、ヴェグラ教の宗教家達がどれだけ熱弁を奮っても、失笑以外の物が返ってくる事は無かった。

 その教会を切り盛りするカトリーヌは、領民達の信望を集めていた。それは、イシュア国における教会の役割の1つである孤児院で献身的に働いていたからだった。自身も孤児として教会で育ち、そのままシスターになった彼女は、自分がそうだったように子供達に文字を含めた様々な知識を教えながら育成していた。それは手間のかかるものではあったが、彼女はその方針を貫いた。単純労働力を必要とする農業が主軸である男爵領では、目に見える利益を生み出しにくい教育方針ではあったが、いつの日かこの教育が男爵領の発展の土台になると信じていた。

今、その土台にミーナと言う異質な幼児が得た知識が加わった事で、男爵領に1つの産業が興された。

「年中組は木の実を集めてきてちょうだい。年長組はここを開拓するのだけど。できるの?」

「できるよ。」

「だいじょうぶ。」

「ミーナの指示通りに溝を作る作業は僕達がやるから大丈夫だよ。シスターの方は大工さん達の改築作業を監督してよ。」

「分かったわ。何か分からない事があったら、すぐに中の私を呼ぶのよ。」

「はーい。」

「ミーナ、任せるわよ。」

「分かったの。」

 男爵令嬢の肩書と豊富な知識量があったため、年長組の孤児達でさえ幼女に従っていたと、シスターは考えていたが、実態は少し違っていた。普段から男爵邸から持ってきた食べ物やお菓子を孤児達に分け与えていたミーナは、彼らにとって雇い主の立場を既に確保していた。しかも今回の件で、商人ケントが孤児院に契約金の前払いをした事によって、子供達の食事事情が大きく改善した。これによって、ミーナが雇い主の立場を失うことになった。

しかし、その代わりに、ミーナが指示していた木の実集めと樹皮剥がしへの不満が、子供達の中で尊敬の念へと転換したため、男爵令嬢の指示は絶対的な命令として子供達に伝わるようになっていた。


 本に書いてあることを真似ただけ。

 偶然見つけただけ。

褒められる度にこう応えていた幼女ミーナは謙遜していた訳ではなかった。知識が無ければ何もできないのは事実だったが、知識があってもミーナ1人では何もできなかった。農家で働くことができない年中組に協力してもらわなければ、木の実も樹皮も集める事はできなかった。大人と同じ作業ができる年長組にやってもらわなければ、樹皮を煮詰めての染色実験をする事は不可能だった。

幼くして実の両親を失ったミーナは、その事を今の両親には言っていなかったが、きちんと義父母という存在を理解していた。そして、血縁とは言え男爵夫妻に愛を持って育てられている事が幸福である事を実感していた。自分は誰かに助けられて生きているという認識が、ミーナ・ハミルトンの出発点であった。

誰かに生かされているのだから、自分も誰かを生かす存在にならなければならない。そして今、ミーナは知識を見つけ出すという一点において、誰かを生かす存在になり、それは1つの成果を上げようとしていた。

「ミーナ、ありがとう。」

「ん?」

「皆に仕事をくれた事よ。」

「うん・・・・・・。ここからはどうすればいいの?」

「ちょっと貸してみて、ここはこうすればいいの。分かった?」

「分かった。」

 教会の作業室で、ミーナはシスターから刺繍を学んでいた。染色した糸を使っての刺繍は、裁縫上手の女性達にとって良い小遣い稼ぎであり、肉体労働力が極めて小さい5歳児にとっては、技能があるという条件を満たせば、最高賃金を得る事ができる労働だった。

ミーナは5歳児にしては肉体的成長が早い上、字の習得が早かったためか、思考力も5歳児のものではなかった。そして、シスターが一番驚いているのは、行動と思考の両方がとても速い事だった。瞬く間に、教えた事を素早く正確に再現できる手先は、器用という言葉だけで評価する事はできなかった。15年間の鍛錬の中で身に付けた自身の技能をすぐに習得して、自分よりも早く刺繍を差していく姿は、天才という表現でしかシスターは語る事ができなかった。

「楽しい?」

「うん、楽しい。これを売ってきてもらって、色々な食材を買ってきてもらうの。」

「そうではなくて、刺繍をするのが楽しいかを聞いているのよ。」

「楽しい。お花の柄が綺麗にできるのは楽しい。」

 子供らしい喜びを見出している事に安心したカトリーヌは、時折見せる子供らしからぬ真剣な赤い瞳が放つものが、子供が熱中する時の集中力であると理解していた。だから、自分に娘が居たらと考えながら、赤髪赤目の少女に生活に関わる様々な事を教えた。それは娘が成長する事に喜びを感じる優しい母親の教えではあったが、技能を尋常ならざる速さで身に付けるミーナにとっては、英才教育を施されるのと同じだった。

 半年も過ぎないうちに、ミーナの手業は師匠を越えていて、同じ時間で刺繍を刺した商品は4倍もの利益を生み出すようになっていた。

 

 教会は、孤児院であり、染色工場であり、学校であった。ミーナはここで、庶民として生きる女性の技能を次々と学んでいた。特に裁縫と料理は熱心だった。刺繍はお金を稼ぐ手段として有用だったし、美味しい料理は孤児院の子供達だけでなく、男爵夫妻も喜んでくれた。

 仕事はしっかりしていると言っても5歳の幼児である以上、両親に喜んでもらえる事は特別な価値を持っていた。初めての料理を褒められ、家事の手伝いを満面の笑みで褒められた事で、小さな家政婦は小さな男爵邸の差配者になった。

 男爵夫人エリザベスが、女性騎士として活動したのは短かったが、王都での学生生活は騎士になるための訓練に明け暮れていた。そのため、一般的な女性が身に付けている技能の取得は皆無だったため、全力で家政婦になり始めたミーナは、屋敷内の全てを母親から奪取していた。

 男爵と男爵夫人は、以前とは違った忙しさのため、屋敷内の家事をしている時間が無かった。本来は、男爵領の利益が増えたために家政婦や執事を雇う余裕はあったが、利益が出る仕事に人を回したいために、男爵邸の整備という利益が出てこない仕事をする人間がいなかった。

 その結果、大人に匹敵する実務能力を持った赤髪の少女が、屋敷内を取り仕切る事になった。どちらが母親なのかが分からないと冗談で揶揄われることはあるが、男爵夫人もミーナも現在の状況を喜んでいた。

「ミーナは、お家でも洗濯とかをしているの?」

「うん。してる。」

「そうなの。お二人ともお忙しいから、家事をしている余裕はないみたいね。」

「うん。忙しい。」

「そうよね。豊かになったのは良い事だけども、メイドを雇うという話はないの?」

「してくれる人が居るの?」

「今はいないわね。どこの家も、作業する分だけ利益が出せる仕事が目の前にあるから。メイドになる人はいないわね。」

 貧しさを克服するために仕事を探していた状況から、利益の出る仕事が溢れた状況に変わっていたが、その分領内が人手不足になっていた。孤児院から子供達を引き取りたいと申し出る人々が爆増したが、孤児院そのものが染色工場に変わっていたため、その労働力を減らす訳にはいかずに、2年前まではありがたい申し出を、今は全て断っていた。

「ミーナは家事がつらい?」

「つらく、ないよ。本を読む時間が減っているから、本を読みたいの。洗濯とか料理とかは楽しいよ。」

「ケントさんが他領から人を連れて来てくれるみたいだから。」

「人を連れてきても、布の染色作業を増やすから、他の所の手伝いは増えないと思うの。」

「うーん。そうね、ミーナの言う通りかもしれないけど。移住してくる人たちがいれば、人では増えるから。来て欲しいわね。お金はある程度出せるから。」

 豊かさを贅沢に変えるつもりはなかった。豊かさを多くの人々と分け合って、お互いに支え合う領内を作る事が、カトリーヌの願いだった。自身が追い詰められた状況では誰かを助ける事はできない事を、孤児だった時から理解している彼女は、皆が幸せになり、その幸せを少しずつ他者に譲るという流れを作る事が重要だと考えていた。

本来であれば、孤児の引き取りを断る事などあり得ない事だったが、男爵領の利益産業である染色工場を止める事になる孤児院の労働力の低下を避けなければなららなかった。利益産業が不振になり、利益が出ないようになれば、領内全体が再び貧困に沈んでいくのだから、それだけは避けなければならなかった。

そう考えたシスターは、もうしばらく工場が安定して運営できるようになるまでは、今の体制を崩す事はしたくなかった。そして、数年後には孤児達が工場に雇用された状態で、引き取られる事になれば、より豊かな生活を手に入れる事ができるとも考えていた。


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