ミーナ伝記 その1 生誕
1 生誕
歴史学上、ミーナはイシュア国の女宰相を差す名前であり、女宰相以外にも様々な二つ名で呼ばれる事の多い女傑の名前である。彼女が生きた期間をミーナ時代と呼ぶ学者が現れるぐらい、大陸の歴史を大きく動かした人物であり、前にも後にもミーナなしと、ある歴史学の大家が書物に残した事もある。
ミーナの実績、言動の全てが歴史書に刻み込まれている。
だが、歴史を大きく変えたもう1人のミーナを良く知る者はいなかった。これまでの歴史書に彼女の事績を示したものは何1つなかった。
イシュア歴328年、南部地域の小さな男爵領でミーナ・ハミルトンは生を受けた。
父親は、男爵家の次男ガッシュ・ハミルトンだった。男爵位を継いでいる兄を支える温和な紳士で、男爵領の農民達をまとめていた。自ら農地を耕して領民と対話しながら領地の発展のために尽力していた。
母親は領地の庶民の娘ミルファで赤髪赤目の吊り目気味の気の強い女性だった。粗野ではなかったが、鍬を持って夫と一緒に働く彼女は、言う事を聞かない農民たちを叱責する事もあった。子供が生まれたことで、母性に目覚めて落ち着くであろうと言う周囲の期待に応える事は無く、ミーナが生まれた後も変わらずに気の強い女性だった。
この母親に似ている赤髪赤目のミーナが、気が強くなり過ぎる事を本気で心配していた農民たちは、2年後にその心配をする事がなくなって絶望していた。この年、南部で広まった流行病がガッシュとミルファの命を刈り取った。
父母を失った幼児だったが、男爵である伯父に引き取られる事になった。仲の良かった弟の忘れ形見を大切にしたのは、この時子供がいなかった男爵夫妻の養子になったからでもあった。
「あなた、ガッシュとミルファのためにも、この子を育てないとね。」
「ああ、2人のためにも。ミーナのためにも、頑張らないとな。」
ミーナがいずれ受け継ぐはずの男爵領は、この時の流行病で大打撃を受けていた。農民達を取りまとめていた弟夫妻がいなくなった上に、多くの大人達が流行病で死んでいた。農地があっても、そこから利益を生み出す労働力を大きく失っていた。魔獣の巣が無い男爵領は安全地帯ではあったが、魔石の利益が無いため、農業の不振がそのまま領地の経済状態を悪化する事になった。
「パパ、どしたの?」
「ん。」
100年以上も続く男爵家の屋敷は大きく、使い古された伝統のある建築物であったが、実態は生活に必要な数部屋のみ補強改装されているボロ屋敷だった。特別な高い椅子に座っていたミーナが、食卓で豆スープを飲んでいた父親に話しかけた。
「パパ、困った顔。」
「・・・そう見えるか?」
「うん。」
「困ってはいるが、どうにもならないからな。」
「ならないの?」
「ああ、パパの力ではな。」
「ママは?」
「ママも忙しくしていてな。朝ご飯を一緒に取れないほどにな。ごめんな。」
「うん。ママと一緒に食事できればいいね。」
3歳に満たない幼女が状況をしっかりと把握して会話をする事に違和感を持ったが、ゲルマニア男爵は異常性を理解する事は無かった。それよりも、弟夫婦から託された娘が自分達をよく見ていて、心配している事に申し訳なさを感じていた。
「ただ、しばらくは、すまないな。」
両親を失った孤児の世話をしているのは教会で、男爵家として必要な資金を出してはいたが、孤児が急激に増えたために、人でも予算も不足していた。それ故に、男爵夫人であるエリザベスが教会に住みこんで働いていた。
「パパとママは、他の人に頼めないの?」
この一言は男爵の脳裏に1人の伯爵の姿を思い起こさせた。王都学園で生徒として学んだ期間に出会った数少ない友人の中で、最も高潔で、頼りになる男性の存在を思い出した。王都から男爵領に戻る時、2度と王都には来る事はないから、今生の別れになるかもしれないと語って、別れはしたが、助けを求める事ができる人間は、友でもある伯爵しかいなかった。
男爵領の領主となった自分が頼れば、間違いなく手を差し伸べてくれる事を思い出すと、すぐに書簡を書いた。