今宵ノ悪夢物語「幸運の壺」
今宵ノ悪夢物語「幸運の壺」
いつの頃からか、
私の前には、あの壺があった…
半世紀以上も続いた父の会社は、業績も良く順調な経営だった。
しかし、まったく想定もつかない不祥事が続き、あっという間に倒産に陥った。
売却される社屋、処分される土地、みるみるうちに我が家の財産が減っていった。
そんな時、
火災が起きた。祖父の煙草の不始末だった。几帳面な性格の祖父だったが、その時に限って消し忘れたそうだ。
家族は、全員無事だったが屋敷は全焼。貴重な骨董品を失った。
そして、
元気の良かった母が、原因不明の病にかかった。手術、入院、回復の兆しは皆無。未だに意識が戻らない。
絵に描いたような、不幸の連続。
何故、起きたんだ、
どうして、私ばかり不幸になるんだ、
考える
考える…
ある時から、
仏壇に見たことのない壺があった。
古びた赤銅色の壺。
父も祖父も、憶えがないと言う。
聞けば、祖母が焼け跡から見つけ出してきたらしい。
先先代が、
「困ったことがあったら、この壺を飾れ。そして、壺の中の水がいっぱいになった時、幸運が訪れる」と、
私は、壺の中を覗いてみた。
ほんの少し、水があった。
一体、後どのくらい水がいっぱいになったら、幸運が訪れるのだろう。
気が遠くなる、
その幸運が訪れるまでに、私たち家族は崩壊してしまうんじゃないのか?
じっと、壺を見つめる…
また不幸があった。
祖父が死んだ。
心筋梗塞による死亡だった。
寝室で、狂ったように暴れて死んだ祖父。
葬式の夜、
私は、あの壺を覗いてみた。
増えている、
壺の中の水が増えていた。
まだ、四分の一か、
まだまだだな…
半年後、
父が自殺した。
借金を苦に首を吊ったのだ。
その姿は、張りつけにされた罪人の様に、醜い顔をしていた。
壺はどうだ、
私は、あの壺を覗いてみた。
増えている、
壺の中の水が三分の一ぐらいになった。
まだまだだ…
財布を失くす、
仕事をクビにされる、
アパートを追い出される、
小さな不幸が、次々と起きた。
まだ足らない、
もっと不幸なことはないのか?
そうだ、母を殺そう、
病院、
静かに眠っている母。
シューッ、シューッ、
人工呼吸器が動いている。
私は、ゆっくりと近づき、人工呼吸器の弁を抜いた。
ピーーー警報が鳴る。
心電図の波線が乱れた。
医者が、慌てて駆けつけて来る。
「AEDの用意」叫ぶ医者。
ピッピッピッ、ドン、
激しく揺れる母の身体。
ピッピッピッ、ドン、
再び、激しく揺れる母の身体。
ピィィィィィィ……
……
「残念です。お母様はお亡くなりにました」
あの壺を見てみた。
増えている!
半分になった。
最近、僅かしか増えてなかったので、嬉しかった。
あと半分か、
キキーッ、ドン、交通事故。
左大腿骨筋断絶、
片足が不自由になった。松葉杖が離せない。
あの壺を見てみる。
増えていた、
六分目だ。
「慢性肝炎と肺気腫ですね、」
医者に言われた。
「根気強く、治療をしていきましょう」
クックックッ、クッ、
笑いが込み上げてきた。
「どうしたんですか?」医者。
「いや、何でもありません。クックックッ、クッ」
もっと不幸になれ、
もっと不幸になれ、
もっと、もっと不幸になれ……
あの壺の水は、
とうとう、
九分目まで、増えた。
あと少しだ、
あと少しで幸運が訪れる。
どれだけ時間がかかったのだろう。
すっかり年を取り痩せこけた私は、今や、寝たきりになっていた。
足は棒の様に細くなり、肋骨は浮き出ている。
ずっと、不幸を積み重ねて来たからだ。
もう少しだ、
もう少しで壺が、いっぱいになる。
何か不幸はないか?
何もない、
私の回りには、もう、不幸になるものが何も無かった。
そうだ!
私が死ねば、あの壺はいっぱいになるはずだ。
必ずいっぱいになるはずだ、
私は、震える手で柱に縄を縛りつけた。
そして、
ゆっくりと、首をかける。
ググッ、
バタン、
ピチャン、
あの壺から水が溢れた。
とうとう、水がいっぱいになったんだ。
これから幸運が訪れるぞ、
やっと幸運が訪れるぞ、
とびっきりの幸運が訪れるぞ、
楽しみだ……