3話:もう1人の?
広場を抜けて、レストラン街を通る。
市場より人の数は減ったように思うけれど、活気溢れるお店が立ち並んでいて、この辺りのレストランは、前の私が家族や友人と何度か訪れたこともあり、馴染みのある通りだ。
私は、レストラン街に薫る料理の匂いに食欲をそそられながら、我慢、我慢、と奥の住宅街へと向かって歩いていった。
◆
「この住宅街で、売り歩くような場所っていったらこの辺りだと思うのだけれど……」
目の前に広がるのはたくさんの家々が並ぶ住宅街。ここより先まで行くと、道はどんどん狭まり入り組んでくるため、物を売る商人は、この辺りに商品を広げていることが多い。
軽く見回しただけでも十数人の商人が、道端で様々な物を売っていた。しかし、その中に目当ての石鹸売りはいないようだった。
「木の箱を担いでいる男の人なんて見当たらないわね。もう少し、この辺りを歩き回ってみようかしら」
「ちょいと、そこの娘さん。」
そうしてまた、歩き出そうとした私に後ろからしわがれた声がかかる。
「えっ? 私ですか?」
「そうじゃ、そこの娘さん。さっきからふらふらとこの辺りを歩いているが、何か探し物かい?」
振り返ると、目尻の皺を深くして微笑んだお婆さんが、こちらを伺うように立っている
「ええ、実は。ジェルバの万能石鹸という商品を売り歩いている男性を探しているんですわ」
「はて? ジェルバの万能石鹸……どんな汚れもたちまち落とす、主婦御用達の、かの有名な石鹸ならあそこの木の下でまだ年端も行かない童が売っていたと記憶していたが。探し人は、あの童ではないのかの?」
不思議そうな顔をしたお婆さんは、少し遠くに見える大樹を指差している。
「まあ! 体調不良のお父さんの代わりに、木箱を担いで売り歩いている、と聞いたものだから、力持ちの男性かと思っていましたわ」
「そうじゃったのか、それならあそこの童がその石鹸売りじゃ。探し人が見つかってよかったのお」
「教えてくださりありがとうございました! お婆さんがいなければ、居もしない男性を探し歩くとこでしたわ」
そうお礼を言って、お婆さんと別れる。
お婆さんはさっきと同じように微笑みながら、手をひらひらと振っていた。
「ねえ、あなた。ジェルバの万能石鹸を1つ買いたいのだけれど、ここで売ってくれるのかしら?」
お婆さんが指さしていた大樹の下、木箱にもたれ掛かるようにして座っている少年に向かって、声をかける。
「もちろんだよ! 父さんの代わりに、ここで、僕が商品を売ってるんだ!」
顔を上げてこちらを見た少年は、嬉しそうにそう言って笑うと、木箱の扉を開けて、中から紙の包みを取り出した。
「その包みはもしかしてジェルバの万能石鹸かしら?」
「そうだよ! これを1つサイズに切って、売るんだ!」
そう言って少年が、手のひらの2倍はありそうな大きな石鹸の塊を包みから出すと、ナイフを使い、慣れた手つきで石鹸を切り分ける。
そうして、ちょうどいい大きさに切った石鹸を紙に包むと、こちらへ差し出してくれた。
「お金はこれでいいかしら?」
少年の手から石鹸の包みを受け取ると、木箱に立て掛けられている板に書いてある、石鹸一つ分のお金を少年の手のひらに乗せる。
「んーと、いち、に、さん……うん! これで大丈夫!」
硬貨を1枚ずつ数えて、金額を確認すると少年は満足そうに頷いた。
「それじゃあ、これは頂いていくわね」
目当ての石鹸を買ったことだし、この後はヴィクトールの別邸まで行く用事もある。そろそろ向かおうか、と少年に背を向けようとしたその時。
「んー……? ねえお姉さん。お姉さんって、さっきもここに来たお姉さんだよね?」
少年の一言に踏み出そうとした足の動きが止まる。
今、この少年はなんて言った……?さっきも来た……?
「私は、今初めてあなたと会って、今初めてあなたから石鹸を買ったわ。もし、さっきもここに来た人がいたとしたら、それは私じゃないわ。人違いよ」
「そんな筈ないよ! お姉さんの、綺麗な栗色の髪の毛も、透き通った空の色みたいな目の色も、ちゃんと覚えてる! お客さんの顔は忘れないよ!」
少年は、人違いだなんて、心外だとでも言うようにそう続けた。
「そうだ! さっき会った時、父さんの代わりに売り歩いてるって話したら、この花をくれたでしょう?」
少年はそう言うと、木箱の上に置いてあった花を持って、こちらへ見せてくる。
「これは……」
「何の花かは分からないけど、お姉さんが手に持ってた花を綺麗だなって思って見てたら、頑張ってるご褒美ね、って言ってくれたでしょ!」
……そんな筈ない。
でも、もし本当に私が、グロリア・ナセールがもう1人いるのだとしたら──
「ッ確かめないと……!」
「お姉さん? どうしたの、」
少年の言葉を聞き終わらないうちに、私は、その場から駆け出した。
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