1話:逆行した日
「皇女暗殺未遂の大罪人グロリア・ナセールの処刑を行う!」
何処か偉そうな白い髭のおじさんが声高らかに宣言する。
罪状を否定する間もなく連行された私には、なんでこうなったのかなんて皆目見当もつかないし、全く身に覚えがないけれど、硬く手首にかけられた縄と目前に迫る断頭台が私の命の終わりを告げていた。
断頭台に上がり、言われるままに首を差し出す。
執行人の手が振り上げられ、処刑場が静寂に包まれる。
一瞬ののち、勢いよく振り下ろされた手。
あぁ、どうやら私はここまでみたいだ。
嫌な音と共に、栗色の艶やかな長髪が、命が、宙に散った。
◆
……て! ……ア!!
なに……?うるさい……もういいでしょ……
……リア!! …起き……い!
私は死刑を呑んだんだから…もうほっといて……。
「グロリア!!! 早く起きなさい!」
「んえっ?!」
えっ何事?私はさっき断頭台の上で処刑された筈よね?なんでまだ生きてるの……というかここはどこ。
「やっと起きたのね、全く何度も何度も呼んでるのにちっとも起きてこないんだから。洗濯に買い物にやらなきゃいけないことが沢山溜まってるのよ!」
ふくよかな体型の女性が私に掛かっていた布団を剥いで小言を言う。
「あの、あなたは誰ですか? それに私さっきまで処刑場にいた筈じゃ……」
「何あなた、まだ寝惚けているの? いいから早く顔洗って朝食食べなさい」
意味も分からず目の前の女性に問いかけると彼女は怪訝そうな顔をしてそう答えた。
しばらくして、私がベットから足を下ろして立ち上がるのを見た女性は、用は済んだとばかりに踵を返して廊下の先にあると思われる階段を降りていった。
◆
いきなりだけれど私はいま、街の市場に来ている。
結局あの後、女性のあとに着いて行くように階段を降りて、言われた通り顔を洗って、木のテーブルの上に用意されたパンと目玉焼きとサラダを食べた。
シンプルだけどなかなか美味しかった。
そのあと、食べ終わった食器を片付けに台所らしきところへ向かったところで、先ほどの女性におつかいを頼まれて街の市場まで来たというわけだ。
「うーん、なんだかよく分からないけどとりあえず状況を整理したいわね」
街の市場の入り口、噴水のある広場の真ん中で腰に手を当ててそう1人呟いた。
私の名前はグロリア・ナセール。
20歳の秋、皇女暗殺未遂という罪状を引っ提げた役人に連行され、あっという間に処刑された──はずだった。
死を覚悟して意識が途絶えたと思ったら、知らない家のベッドの上で、知らない女性に叩き起こされていたんだから頭の中は大混乱だった。
そうして、朝食を食べながら不自然にならない程度に探った感じだとどうやら、あのふくよかな女性は私の母親で、あの家は生まれた時からずっと暮らしている正真正銘の私の家だという。
もしかしたら、処刑された未練で魂かなにかを飛ばして見ず知らずの少女の体を乗っ取ってしまったのかもしれない、そんな怨霊みたいなこと……と一瞬考えて青褪めた。
しかし、姿形は処刑されたグロリアと全く同じだし、名前も一緒、さらに私が処刑された日よりも前の日付。
これは、やってもない罪で処刑された前の私を憐れんだ神様がくれたもう一度生きるチャンスなのかもしれない!と結論づけることにした私は、手に提げたバスケットを軽快に揺らしながら市場の通りに入って行った。
グロリアが市場の通りに向かった丁度その時、広場の噴水を挟んだ反対側、彼女に瓜二つの女性が市場に背を向けて歩いていった。
◆
賑やかな市場を物珍しそうに見渡しながら、グロリアは目当てのものを探して歩く。
「うーん……買い物リストに載っているジェルバの万能石鹸ってのはどこに売っているのかしら」
前回の人生では市場手前の広場までは来たことがあったけれど、買い物をするときは週に2回家の近くに来る物売りのおじさんから買っていたからこの市場に来るのは初めてなのよね……。
「こういう時は市場にいる人に聞くのが確実よね!」
グロリアの視線の先には果物のかごを持ったご婦人がいる。すごく優しそうな雰囲気だし、まずはあの人に聞いてみようと足を踏み出した。
「あのー、すみませんジェルバの万能せっけ……ん!??」
右手を挙げて、ご婦人に声を掛けたグロリアの言葉は最後まで発せられる前に途切れた。
目の前でご婦人の果物かごから美味しそうなりんごと、お金を入れる巾着のようなものを盗って走り去る男の存在があったからである。
え……ちょっと、何!?
突然のことに混乱する頭で考える。
男の背中はもう遠くになりつつあるけれど、このまま窃盗を見逃すなんてこと……できるわけないでしょう!!
「ちょっと待ちなさい!! そこの方!! 盗んだものを返しなさいー!!!」
これまでにないほど声を張り上げたグロリアは、男を追いかけて走り出した。
◆
膝と肘がヒリヒリと痛む。
砂埃が舞って、視界が霞む
さっきまで窃盗をはたらいた男を追いかけていた自分が、なんで地面と仲良くしているのか───
数十秒前
グロリアが追いかけ始めて暫くして、遠くにあった男の背中がほんの少し近づき、彼女がもう一度声を張り上げて男を呼び止めようとしたその時、地面にある何かに躓いたのか男が盛大に転んだ。
その場に伸びる男の姿。
今だ! 今なら追いついける! 捕まえられる!
……と息巻いて、全力で走っていた足をさらに加速させたその時、足がもつれた私は盛大に転んだ。
もう一度言うが、盛大に転んだのだ。
痛いやら恥ずかしいやら……。もう少しで捕まえられたのにまさか転ぶなんて思わないじゃない。
それでも早く起き上がってあの男が逃げる前に捕まえないと、そう思い、地面に伏した顔をあげ、男のいる前方を見る。
そこには、倒れた男の背中に膝を乗せ、押さえつけている金髪の男性と、その傍らに立つ黒髪の男性がいた。黒髪の男性が落ちている何かの包み拾った。どうやら男はアレに躓いたらしい。
よかった……誰かは分からないけど窃盗犯の男を捕まえてくれてる……。
大声出して追いかけた割に自分じゃ捕まえることもできずに転んでしまうなんて、なんと不甲斐ないことか……。
「はぁ、私って本当についてないわね……」
なんだか気分も落ち込んでしまう。
「──失礼、お嬢さん。どこかお怪我をしたのではないですか」
気付くと黒髪の男性が近くにいて、膝をついてこちらの様子を伺っていた。
「あっ! いえそんな大したことはありません。それより私が追いかけていたあの男、ご婦人のカゴからりんごと巾着を盗んだ人なんです。あと少しという肝心なところで転んでしまって……お二人が押さえてくれて助かりました、ありがとうございます」
さっと立ち上がり、不甲斐ない自分に代わって、男を見事確保してくれたことへの感謝を述べて一礼をした後、顔をあげて黒髪の男性と向き合う。
……よく見るとこの人、すっごく綺麗な顔立ちをしているわ。
陶磁器のように白く滑らかな肌。肌荒れとは無縁そうね。
切れ長な目は星が輝く夜空のような深い藍色。
少し長い黒髪だってとてもサラサラとしていて艶もある。
本当に──
「綺麗……」
「はい?」
「えっ……あっ! いえ、そのとても綺麗なお顔立ちをしていると思って……そのっ! だから、変な意味はないんです!」
まさか思っていたことが口から漏れてしまっていたなんて──
ぽーっと見惚れていたことがバレたようで、なんだかとても恥ずかしくなって、顔に熱が集まっていくような気がする。
「……ふはっ」
目の前の男性が思わずといったふうに吹き出した。
「ゴホンっ。あー、いえ失礼。顔を真っ赤にして慌てる姿がとても愛らしくて。許して下さい」
そう破顔して言う男性はさっきまでのキリッとした綺麗な顔立ちからガラリと印象を変えてとても可愛らしい雰囲気だ。
「──それはそうと、膝と肘から血が出ている。やはり先ほどの転倒で擦ったようですね。」
私の手首を掴んで見える高さまで持ち上げると、心配そうな顔をしてそう言った。
「ここから歩いてすぐのところに私の別邸があります。そこで手当てを。勇敢なお嬢さん」
「グロリア・ナサールです。私のことはグロリアとお呼びください。綺麗なお方」
「では、グロリアと。私はヴィクトール・フォーレ。呼び方は好きなように」
「ヴィクトール・フォーレ……この辺りでは聞かない名前ですわね。けれどとても素敵な名前。ヴィクトールとお呼びします」
「ええ、私は隣の国の生まれなので、確かにここらでは珍しい響きの名前かもしれませんね」
「あの! ヴィクトール様!!」
ヴィクトールと2人で話しているところに、先ほどの金髪の男性が駆け寄ってくる。
「あぁ、マティスか。先の盗人はどうした」
「騒ぎに気付いた衛兵がすぐに来たのでそのまま引き渡しました。それと、男が盗んだモノなんですが……」
マティスと呼ばれた彼がその手に持っていたのは、ひとつのりんごと巾着。そして、どこか真剣な表情で巾着を開けてその中のものを取り出した。
「これは……」
中から出てきたのは何かの紋様が描かれた懐中時計。少し古いものだがとても高価そうに見える。
それを受け取ったヴィクトールも少し驚いている。
「ヴィクトール様!! マティス!! ここにいらしたのですね」
私が走ってきた方向、後方から果物カゴを持ったご婦人が息を切らして駆けてくる。
「大変なことが起こりました。お預かりしたものを盗まれてしまったのです。 見つからなかったら……なんと謝罪をしたらいいのか……」
かなり焦った表情で話出したご婦人は矢継ぎ早に話を続けた。
「ああ、そうだ! 盗んで走り去った男と、それを追いかけた女性がこちらの方向へ向かったのです! ヴィクトール様、マティス。それらしい2人を見かけませんでしたか?!」
ヴィクトールとマティスの2人は目を合わせると、手に持っていた懐中時計をご婦人の前に差し出した。
「落ち着きなさいイザベル。王家の懐中時計はここにあります。」
「あら本当、どうしてヴィクトール様が持っていらっしゃるのですか?」
ようやく落ち着きを取り戻したらしいイザベルと呼ばれたご婦人は、そう言うと不思議そうに首を傾けた。
「こちらの女性、グロリア・ナサールが素早く追いかけてくれて、盗人が追い詰めたられたところを、私とマティスが捕まえたんだ」
ヴィクトールが私の手を引いて、イザベルさんの前でそう説明すると、彼女は今気付いたというように驚いた顔をしてから、音がするほど勢いよく頭を下げた。
「気付くのが遅れて申し訳ありません。グロリア・ナサール様。あなた様が、勇敢に盗人を追いかけて下さったおかげで、とても大切なものを取り戻すことが出来ました。本当にありがとうございます」
「いえ、結局私は、捕まえることができませんでしたから。けれど、大切なものを無くさずに済んだようで、良かったですわ」
「グロリア、この懐中時計は私にとってもとても大切なものなんだ。私の別邸で改めて御礼と、その怪我の手当てをさせてくれないか」
「まぁ! よく見たら何処もかしこも擦れて、血が出ているじゃありませんか! それに、お洋服も破れてしまっていますわ。ヴィクトール様の言葉の通り、別邸まで参りましょう。」
怪我─という単語を聞いて大きく目を見開いたイザベルさんが、私の両手を握って熱心に訴えてくる。
うーん…ここまで言っていただいてお断りする、というのもあまり良いことでは無いわよね。
「えぇ、ではお言葉に甘えさせていただきますわ」
「ではグロリア、私の首に右手を回して」
「えっ?」
「その足では別邸まで歩くのは大変だろう。だから私が連れて行く」
そう言うやいなや、ヴィクトールは、私の膝裏に右腕を差し入れて、背中を左腕で支えるように横抱きに持ち上げると、なんて事もないようにスタスタと歩き始めた。
「えっ、ちょっ、ヴィクトール! 私ちゃんと1人で歩けますわ!」
こんなに至近距離で男性を見つめることなんて、いままで一度もなかったから、すごく、すっごく恥ずかしい!!
もう降ろしてほしい、という気持ちを込めてヴィクトールに訴えかけたが、そんな言葉聞こえていないとばかりに彼は足を止めようとしない。
「グロリア様、ヴィクトール様は一度すると決めたことは意地でも曲げないお方ですの。ですから、このまま運ばれてくださいね」
斜め後ろから顔を覗かせたイザベルさんが笑顔でそう言ってヴィクトールと私を先頭に、4人でヴィクトールの別邸へと向かったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
初めて筆を取った作品な為、拙い部分もあったことかと思いますが、宜しければ評価、ブクマのほどお願いいたします。