95.自習時間
受験の翌日は星雲戦。そしてその次の日はオフ、というか学校がある。学校がオフってどういうことなんだ? 実際3年のこの時期は登校してもほぼ自習だけど、ここのところしばらく欠席を続けているので、色々と報告しておかなければならないだろう。そう思って静香は登校した。
静香は普段よりも早めに登校すると、その足で職員室に向かい、担任はじめ先生方に挨拶した。そのうち校長先生も来られたのでやはり同じように挨拶。3年生のこの時期に、取って付けたように受験の話題が出て来るのは正直どうかと思う。
それからいつもの教室に向かったが、生徒はまだたった3人しか来ていない。全員が女子だけど、静香と普段あまり話す子たちではない。それでも彼女たちは静香の傍に来て、祝福してくれる。
「天道さんすごかったね」
これは受験ではなく、将棋でもなく、グラマフ賞の件だろう。おそらく彼女たちは結果でしか知らない。だがそれが当たり前だ。受験生が海の向こうのあんな長いショーを見ているはずがない。せいぜいがニュースで見たとかその程度だろう。
「まあ運がよかったわよね。出来すぎって奴? 受験もこんな感じで済めばいいんだけどねえ。みんな調子はどう?」
一言で言うと、ぼちぼちでんなあ、って感じの答えが返って来た。そして1人だけ、もう推薦が決まっている子がいた。あまり家にいると親が良い顔をしないから、遊びに来ているのだという。
「天道さんは恵愛堂の1次試験は調子よかったみたいね」
静香は彼女たちに自分がどこの大学を受けるというような話は一切していない。だが間合塾の宣伝のせいで、一方的に知られている状況だ。
「おかげさまで。でも2次が元治大の1次と重複すると拙いのよね。加えて、私にとって2次は相当難しいのよ」
そういう話をしている間に他のクラスメイトたちもちらほらと登校してきて、その場はなんとなく解散になった。
自席で参考書を見直しているうちに、朝のホームルームが始まった。結局来たクラスメイトは男子2人に、静香を含めた女子4人だけ。いない生徒の一部は今日が入試本番で、他の生徒は自宅で追い込むほうが集中できるんだろう。
この閑散とした教室で夕方まで自習かな、と思ったところ、1限が始まる前に2組、3組の生徒がざあっと入って来た。他のクラスも女子率高いな。でもなにこれ?
1,2年生の時のクラスメイトたちが、静香いるじゃん、とか言いながら静香の隣に座った。
「これどうなってるの?」
「えっ、先週からこうだったけど。そっか、静香はこの状態になってから初登校か。いままで顔見なかったし」
理系の3クラスが集まったから、まばらだった教室がかなり賑やかになった。
「出席者少ないから、先週から2組と3組が一緒になったのよ。どうせやることは自習だし、複数の先生がいた方が質問とかしやすいからって」
「まあ実際は先生たちの手抜きだよね」
静香は教室を見渡す。元々理系は男子の方が多いのだけど、今この教室を見渡すとかなり女子高化している。
「本格的に受験が始まったからか、先週も女子の方が多くて男子がさらに少なくなったからなのか、今週からは1組も一緒になったのよ。まあ手の空いてる先生が次々に来てくれるから質問とかあれば便利よ? 他の教科のことでも伝えておけば、他の空き時間とかに教えてもらえるし」
なるほど。うまく考えられているのかな? まあやることは自習だしいいや。そう思いながら周囲を見ていると、勉強せずにスマホしたり、マンガを読んだりしている子たちもいることに気が付いた。推薦組かな。うらやましい。
「私から見たら静香の方が羨ましいけどね。受験に人生賭けてないでしょ?」
そして休み時間に、こうやって前のクラスメイトたちと話せるのも嬉しい。実際、静香は3年生になってからは、遅刻も早退も無しに、ちゃんと出席していた日の方が多分少ない。だから1組にきてからはずっとお客さんって感じだった。そして出席日数の規定のない高校で良かった。
「前も言わなかったっけ? それいろんなところでいろんな人が私に言うのよ。将棋でも、音楽でも、ドラマでもね。ひとつのことに人生賭けるのが偉い、っていう理屈がわからない。受験でも英語だけできるより、数学だってできた方が良いじゃない? あーあ。面談でも聞かれるんだろうな」
静香が愚痴をこぼすと、旧友たちは別の話題で盛り上がる。
「いいじゃん。だってジョシュと共演したんでしょ? 私の分のサインは?」
「私も、ケイトリンとハグしたい。いいなー」
ああ、やっぱりこういう方がいいな。
「もちろん私も知ってる有名人がいっぱいいたけど、なんか夢見心地でふわふわしていたなぁ。あれって現実だったのかな、って今でも思うわ」
数日前までアメリカにいたという事実には現実味がない。多分どんな旅行も、もっと言えばイベントは皆そうなんだろうと静香は思う。そして明日のこともまだ現実味がない。
天道静香五段は、明日の午前に夕陽杯の準決勝を戦う。相手は現在の最強棋士、御厨陽翔竜帝・名人だ。ほぼあり得ないが、もし勝てば午後に決勝がある。うん、やっぱり現実味がない。