92.レッドカーペット(5)
千夜が3人連続で勝ったため、周囲がざわめき始めた。
『チェスの日本の女王だって』
『ああ、じゃあ強いよね』
この辺りはきっちり訂正しておかないといけない。
『違うわよ、私はジャパニーズスタイルのチェスのプロなの。欧米のチェスは素人よ』
そんなやりとりをしている間に、4人目が千夜の前に座る。この人はカントリーミュージックの大御所。先ほどの対局の間、元凶のローガンとごにょごにょ内緒話をしていた。幸い今回も白を取れたので今回も「クイーンズ・ギャンビット」で行く。でも5手目で定石を外してナイトを飛ばした。
5.Nf3 Nbd7 6. e3 h6 7. Bh4 0-0 8. Rc1 c5 9. Bg3 cxd4 10. exd4 dxc4 11. Bxc4 Nb6 12. Bd3 bd7 13. 0-0 Bc6
ここまでのやり取りだけでもさっきのロックスターより強いことが判る。そしてどちらもややディフェンシブ。それなりに梃子摺ったけれど、問題ない。13手目には千夜もキャスリングを使った。
24. Bxf8 Kxf8 25. d5 exd5 26. cxd5 Qxd5
ここまでくるとxが付いていない手の方が少ない。この時点で千夜の残っている駒は8個、相手は9個。お互いにクイーンを残しているが、千夜はビショップとルーク、そしてキング以外の4つはポーン。しかもすべての駒が自陣の3段目までにいる。一方相手は、クイーン、ナイト、ビショップ、キングでポーンが5つ。そして相手は4段目まで駒を進めている。一見不利に見えるかも知れない。
だが千夜は迷わずノータイムで指す。
27. Re1 Ne5 28. Qe3 b6
千夜はキャスリングしたルークをずらし、クイーンをe列に並べる。相手もやる気満々だ。
29.Bxf5 Qxa2 30 f4 Nc4 31 Qe8#
29手目に相手のポーンをビショップで払ったら、今までそのビショップを利かしていた a2 のポーンがタダになったのでクイーンに食われた。だから、紐が無くなった、ナイトをポーンで食べようとしたら逃げた。
これでしかけは完成。そこに e1 のルークのひも付きのクイーンを一気に相手のキングの横に放り込んでチェックメイト。
『うわっ、俺自分のアルバム用のとっておきの曲を出すの? マジかよ』
さて、5人目は誰かな?
『ようやくエンジンがかかって来たようだな。じゃあ俺がやるよ』
出た。この場の元凶、ローガン=パーキンス。千夜は現在4連覇中の Gramaph Queen's Cup のタイトルホルダーだ。ここで勝ったら クイーン queen だ。この国に来てから連日寝不足の千夜はなんだかよくわからない状態になっていた。
『私が負けたら Gramaph queen の称号はあなたに上げるわ』
『ありがとよ、俺が負けたら俺の人生最大傑作になる曲を我らが女王陛下に捧げると誓うよ。さてまず白黒を決めようじゃないか』
千夜は当てずっぽうで白と答えたが、ローガンが持っていた駒は黒、ローガンが先手の白になる。千夜は後手番だ。
『これでローガンの勝ちだ』
3戦目に千夜に負けたロックスターが言うので、千夜は聞いていた。
『ローガンってそんなに強いの?』
『少なくともミュージシャンで彼とまともに指せる相手は誰もいないよ。ましてや白を取ったんだからね』
他のセレブリティたちもそれに続けて言う。
『黒なら女王様の「クイーンズ・ギャンビット」も使えないしね』
『ローガンはプロ相手に勝ったことすら何度かある』
それを聞いた千夜はローガンに告げた。
『そう、プロには負けた方が多いのね? じゃあ私に負けても別に落ち込む必要ないわよ?』
『じゃあ言葉じゃなくてチェス盤でそれを教えてもらおうか』
そう後はもう指すだけだ。
1. e4 c5
はい、また「シシリアンディフェンス」。
2. Nf3 e6 3.c4 a6 4. Be 2Nc6 5.O-O Nf6
慎重な出だし、お互いにまだ相手の駒を取っていない。
6.Nc3 Qc7 7. a3 b6 8. d4 cxd42 9. Nxd4 Bb7
8手目で初めて相手のポーンを取って交換。あまりにディフェンシブな戦いに見えるかもしれないがお互いに攻めるチャンスを窺っている。
10. Be3 Bd6 11. h3 Be5 12. Qd3 h5 13. Rfc1 Bh2+
13手目でビショップを相手陣地に単独で突っ込ませて初のチェック。もちろんあっさり交わされる。
14. Kf1 Ne5 15. Qd1 Nxe4 16. Na4 Nc5 17. Nxb6 Qxb6 18. Nf3 Qc6 19. Bxc5 Bf4 20. Be3 Bxe3 21. fxe3 Ng4
17手目にナイトとポーンの交換これでコマ数的には少し有利。だけどこのナイトも先が見えていて、20手目に簡単に取られる。そろそろ終盤になっていい手数だがまだ先は見えない。そのビショップも交換。やっぱりそろそろ終盤と言ってもいいかな?
22. hxg4 hxg4
21手目でナイトをただ捨てするがこれは布石。
23. Ne1 Rh1+ 24. Kf2 g3+ 25. Kxg3 Rxe1 26.Qxe1 Qxg2+
23手目で端のルークを突っ込んで2回目のチェック。さらにポーンで連続チェックをかけるがこれは払われる。だがこれは計算のうち。26手目でルークでナイトを払うがそれはクイーンに食われる。だが、これで相手のクイーンの利きを制限する。
だが駒損している。チェスでは駒の数をマテリアルというが、結構不利。相手は駒が10あって、そのうちキング、クイーン、ビショップの他ルークが2つもいる。
千夜は9駒しかない上にキングの他はクイーン、ビショップ、ルークが1つづつだけ。しかもこちらの駒は3段目までしかいない。誰もが不利だと思っているだろ? でもここからが Queen である千夜の本領発揮だ。26手目にクイーンでチェック。ていうかこれで詰み筋に入った。
27. Kf4 g5+ 28. Ke5 Qe4+
だが、ローガンは自分が詰まされたことにまだ気が付いていないのかな、当然千夜は連続チェックで相手のキングはどんどん逃げ場を失くす。
29. Kf6 Qf5 + 30. Kg7 Qg6 + 31.Kh8 0-0-0 #
白き王は逃げる。こちらは黒い女王で追う。逃げ切れると思っているのかもしれない。だが千夜は31手目でこれまで居玉だったキングを右にふたつ動かした。e8 から c8へ。
『はっ?』
ローガン=パーキンスの呆れたような声がする。千夜が間違ったと思ったのかもしれない。
何?、何やってんの。周囲に群がるギャラリーたちがざわめく。
続けて千夜は a8 のルークをキングを飛び越えて d8 へと持ってくる。
『チェックメイト』
千夜がそういうと大きなどよめきが起きた。クイーンサイドキャスリングによるチェックメイトだ。キャスリングは普通、キングに近いルークと行うのが普通だ。先手の白から見て右側のキングサイドで行われる。「キャスリング」と言えばキングサイド。これが当たり前。
キャスリングは、王を守りやすくルークで攻撃しやすくするので、普通は序盤に実施されることが多い。そうすると手数の少ないキングサイドで行うことが必然的に多くなる。
だが逆側、クイーンサイドでしてはいけないというルールはない。実際の対局でも、たまには行われることがある。キングサイドだと、間のビショップとナイトの二駒を前に上げればよいが、クイーンサイドだと、それに加えてクイーンも動かさないといけない。そしてどちらもキングは2マス移動するが、ルークは通常の2マスではなく、クイーンサイドキャスリングだと3マス移動する。
だから例えば相手の出方に合わせて中盤まで残して置くという方法もある。実際千夜も23手目にキングサイドのルークを動かした時までは、どちらのサイドでもキャスリングできる状態にしていた。
棋譜だと 0-0 がキングサイドのキャスリング、0-0-0 がクイーンサイドのキャスリングだ。
だが、この最終盤にクイーンサイドキャスリングでチェックメイトするなんてことはほぼあり得ないだろう。もちろん反則ではない。千夜は立ち上がるとまだ茫然としているローガンの肩を叩いた。
『史上に残る名曲が献上されてくることを期待しているわ』
このセリフで Gramaph Queen's Cup は千夜の防衛で終わった。我ながら芝居がかったセリフだと思うけど、この混沌とした空間にはお似合いではないだろうか?
『かしこまりましたよ、女王陛下』
ローガンの捨て台詞を千夜は背中で聞いて軽く手を挙げる。
ギャラリーたちの輪が割れて、女王のご退席のための道を作り、拍手が沸き起こる。繰り返すが彼らひとりひとりが多くのファンを持つ有名ミュージシャンたちだ。
さて、予定より随分と遅れてしまった。さっさと明石さんと合流しなければならない。先ほどまでの対局は放映されていない……でも日本のテレビクルーが連絡してくれているであろうことを願った。
5局目の棋譜はチェスではとても有名な対局の棋譜を流用しています。実戦では途中で投了したので「クイーンサイドキャスリング」によるチェックメイトにはなっていません。将棋で言うところの本譜以降は……って奴ですね。それ以外の対局は将棋同様ソフトで自作です。
それでは8月から、またよろしくお願いします。おやすみなさい。