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みんなで私の背中を推して  作者: 多手ててと
前編:高校生編
83/284

83.敗因分析

「負けました」


98手でこれ以上粘れないことを確信し静香は投了した。


「ありがとうございました」


静香が公式戦2敗目を喫したのは、大学入学共通テストが終わった2日後に行われた、王者戦 1次予選の準決勝だった。海老沢先生に負けて以来、再度始まった連勝は20でストップした。


5時間の持ち時間はまだ2時間近く残っているがいくら考えてもひっくり返す手をひねり出すことはできなかった。場所は海老沢先生に負けたのと同じ関西将棋会館。そして相手は月影六段。12月の星雲戦で静香があっさり勝って拍子抜けした相手だ。


「いやあ、ホンマな、年末に対局した時はええとこなかったやろ。あの時関西戻ったら、あっちの先生方にエライ責められてな、大変やってんで。お前はタイトル挑戦者としての自覚があるんかってな。俺かて2回連続で負けたら、めちゃ恰好悪いし、来月御厨との番勝負あるやん? それに弾みをつけたいからなあ。必死やったんやわ」


月影六段は対局直前まで対局室に現れなかった。多分ギリギリまで集中してらしたのだと思う。それに比べ静香はどこか慢心していたところがあったと思う。


「いや、かなり最初の方から劣勢で、その後も終始月影先生ペースでした。成す術無かったです」


相手はタイトル挑戦者だ。負けて当たり前の相手だ。たった一度短時間の対局で勝ったからって、このタイトル戦の予選でも勝てるだなんて、何様のつもりだったんだ。


静香は新大阪から新幹線に乗って今日の敗因とこれからの事を考えた。


一番の敗因は当然ながら静香が弱く、相手の方が強いことだ。まずここをなんとかしないといけない。入試が良い結果、悪い結果、そのどちらで終わったとしても、やっぱりこれまでパソコンとばかり向かい合っていた研究をなんとかしないといけないかもしれない。


幸い候補は何人かいる。相手がどこまで本気なのかはさておき、御厨先生も、先ほど目の前にいた月影先生にも声を掛けられたことがある。今は受験があるので無理だけど、一息ついたら思い切って声をかけたら、もしかしたら良い返事がもらえるかもしれない。


現実的なのは櫛木さんや、あの時歓迎会のように迎えてくださった、関東の若手棋士のみなさんだ。ただ、あの後も何度か将棋会館などで会った時に話をしたけれど、研究会の話は出ていない。


御厨先生、月影先生、それに関東の若手棋士、彼らに静香が何を提供できるだろう? 研究会は修行の場ではあるけれど、プロなのだからお互いになにかメリットがあって初めて成立する。静香が提供できるものはあまりに少ない。


この問題はとりあえず先送りして、他の問題を考える。


次の問題はやはり慢心だろうか。これは今後も自分を戒め続けるしかない。まず月影先生ほどの相手に対して、ろくな研究ができていなかった。つい最近対戦したこともあるからだけど、数字と、得意戦術と、最近の棋譜をさらっと見たぐらい。それすらも最近勝った相手だという色眼鏡で見ていたというのがある。


月影先生の一番の特徴は後手番に強いということだ。これは先手で弱いということではない。将棋は基本先手に有利なボードゲームだ。これは数字にきっちり出ている。だいたい先手の勝率は0.53ぐらいだからこれは有意な差だ。例外はゴキゲン中飛車などの後手側で強力な力を発揮する戦術が流行し、その対策が確立するまでの期間ぐらいだ。


またこの差は、長時間の棋戦で、またタイトル戦などの高いレベルの棋戦でより顕著になる。そんな現代将棋において、月影先生は先後どちらでも勝率がほぼ同じだ。


静香自身でいうと記録上は先手の方が弱い。海老沢えびさわ先生にも、今回の月影先生に負けたのも静香が先手の時。だが、これはまだ有意というべきではないと思う。もっと対局を、もっと敗北を重ねてからようやく統計として見えてくることだと思う。


あと月影先生は特定の棋戦に力を入れて来る傾向がある。棋奥戦では挑戦者になるほどの実力者だけど、順位戦はまだB2。今の成績のままだとおそらく来季はB1に上がるだろうけども実力的にはA級にいてもおかしくない。だが、さっき負けた王者戦も今回は二次予選シードすらとれず一次予選から出場している。


あと静香の課題は時間の使い方だ。それはすなわち体力の問題でもある。今日の棋戦は持ち時間は5時間。チェスクロック方式だから同じ持ち時間の竜帝戦より、体感的には短いけれど、それでも長期戦だ。


これまで順位戦や、竜帝戦など持ち時間の長い棋戦では序盤に有利な形を作ることができたから、途中で寝て体力を回復させることもできた。だが今日は序盤が終わるぐらいから少しずつ悪くなっていた。結局時間は2時間ぐらい余らせてしまったのだから、焦らず途中で1時間ぐらい仮眠した方が良かったと思う。


つまり静香は持ち時間が長い棋戦であれば、相手が弱くないと勝てない。棋戦によって持ち時間の長さは違うけど、どんな棋戦でもより上位の予選や本戦、そして番勝負と勝ち上がっていくたびに、持ち時間は長くなることはあれ、短くなることはない。


長い持ち時間の使い方。そして場合によっては仮眠の取り方についてもっと考えなければいけない。


多分、考えれば他にも反省点はいろいろあるはずだ。受験はある。芸能のお仕事もある。だが、プロならだれしも何らかの事情を抱えながら将棋を指している。もっと強くならないと、そう思いながら静香は東京までの残りの時間を寝ることにした。



この日の対局は静香に多くの教訓を残した。だが静香はこの対局に限って言うならば考え違いをしていた。本局の静香の最大の敗因は月影六段に対するリサーチの甘さだ。月影が女性棋士に対する勝率が、他の棋士に比べると比較的低いことに気が付いていなかったことだ。そこをわかっていれば静香がこと月影六段に負ける可能性はほぼ無かった。


本日の対局でも、月影に対する自分の長所を完全に潰してしまっていた。もし静香が、テレビに収録されている対局のように、ダサ眼鏡を取るか、せめてルイッチから支給されている眼鏡をかけていたら、もしノーメイクではなくてスポンサーのプレーン化粧品から支給されているナチュラルメイクをしていたら、髪を三つ編みではなくて綺麗に整えていれば、もし対戦前に月影拓也六段を見つけて話しかけることができていれば……本局は、まだ歴然とある棋力の差も、持ち時間の使い方といった不利な要素をすべてをひっくり返し、月影六段の実力を完全に封殺し、前回同様あっさりと勝てていたはずだ。


その点では月影には運があった。静香が容姿をダサ目にしていたからだ。そしてもちろん努力もしていた。月影は対局開始直前まで、男子トイレに隠れていたからだ。本来ならば、すぐにでも話しかけたかったが、月影はその欲求を我慢してトイレに留まった。それが月影の勝因となった。

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