76.独占インタビュー(する側)(3)
「最近はインタビューを受けることの方が多いので、インタビュアーになるのは少し緊張しました」
まだ記者達も残っている中、千夜は御厨先生と談笑する。
「そう? 全然そんな風には見えなかったけど。ところで舞鶴さんにお願いがあるんだけど」
「はい、なんでしょう?」
千夜はもしかして研究会の話かな、と期待した。
「今日は自宅からこれを持って来たんだよ」
御厨先生が大きなバックパックから出したのは千夜の写真集、それも2冊ともだ。
「先生、これめちゃくちゃ重くなかったですか?」
「重かった。だから今日はタクシーを使ったよ」
ですよね。
「えっと、私の自信過剰でなければいいんですけど、こちらにサインを、ってことでよろしいですか?」
「うん。1冊目の方は舞鶴さん、2冊目は天道さんでお願い。あと、僕の名前は称号無しのフルネームでもらえれば嬉しいかな」
ああ、これは嬉しいな。
「筆ペンは持ってないので、先ほど揮毫に使った筆でいいですか?」
「もちろん」
まだ残っていた取材陣のチーフの記者の指示でカメラマンがその様子を撮る。
「あっ、そうか。文秋さん繋がりですね。自分の仕事なのに気が付きませんでした」
千夜の写真集も、このインタビューが掲載される予定の雑誌「número」も、同じ出版社から発売されている。それに気が付かなかったのはプロとして本当に未熟だった。あまりに申し訳ない。
千夜は御厨先生に指定されるままに、1冊目には舞鶴千夜の、2冊目には天道静香の揮毫を書いた。千夜でも静香でも「御厨陽翔さんへ」と書くのにとても気恥ずかしいものがある。
「ありがとう」
そう言ってから、千夜を除く取材陣に声を掛けた。
「取材はここまででいいですよね?」
文秋社の記者さんがうなずいた。
「はい、御厨先生、舞鶴さんありがとうございました」
御厨先生は多忙の折にインタビューを受けてくれた方なので「先生」。千夜は文秋社に雇われたタレントなので「さん」これは当たり前。
「よし、じゃあ取材も終わったけど、この写真集の揮毫、乾くのにちょっと時間がかかるよね? その間さっきの盤面の続きをしない? 研究会というかVS(2人の棋士だけでやる研究会のこと)になるけど、その1回目として」
「あそこからですか?」
静香は先ほど片付けた局面を思い出す。御厨先生はインタビューの間ずっと話しながら、最初の相中飛車、そしてその後も、普通なら指さないであろう手をいくつも指している。先ほどのインタビューの最後にも、ご自分が不利な状況だとおっしゃっていた。
「VSして頂けるのはとてもありがたいのですが、それだったら最初からやりたいです」
静香は少々図々しいかなと思いながら、御厨先生に頼んだ。
「わかった。じゃあまずさっきの局面から指そう。その後、先後入れ替えて最初から指すのはどう? 時間は……どちらも1手30秒で」
そういって御厨先生が少し笑う。先ほど記者さんがおっしゃっていたように、普段テレビなどで見る御厨先生よりも柔らかい表情だ。まあ公式戦ではないから当然か。
「実はさっきの局面はまだ研究中の手を試してたんだよね。舞鶴さん?にあっさり粉砕されちゃったけど。だから最後まで指しきってみたいんだよね。もう一工夫入れたいところもあるし」
格上の方にこんな笑顔を見せられるとなかなか断れない。ちょうど半年程前か、静香がかなり有利な局面から指すというエンタメ番組があった。今回も余興だからそれなりに有利な状況ではあるが、今回は千夜が最初から指したものだ。静香にとっても前回との重みは全然違う。
「わかりました。私としても願ってもないことです。是非お願いします」
御厨先生は片付けたばかりの駒を再度将棋盤の上に散らしながら、記者さんに言った。
「取材は先ほど終了したかと思います。退席して頂いてもいいですか?」
それはやんわりした口調ではあったが、同時に有無を言わせないものでもあった。念のために千夜は御厨先生に聞いた。
「私のマネージャーの明石さんには残ってもらいますがいいですか?」
互いに初手の状況に駒を並べる。違いは横にチェスクロックが用意されたことぐらいか。
「それはもちろんいいに決まってるよ」
それを聞きながら、千夜は初手の5六歩を指した。すぐさま3四歩と御厨先生が応じる。その後はふたり無言で先ほどの対局、89手目の千夜の2一歩成に対し、90手目の同玉の局面まで再現された。
ここからは千夜ではなくて静香の仕事だ。今局面は結構静香に有利だ。だが有利すぎる程ではない。2八の静香の玉のすぐ前、2六に御厨先生の銀がいる。そして9八には竜がいて相手の駒台には飛、桂、香と歩が2枚いる。
だが、御厨先生の玉には隣に最初から動いていない香がいるだけで守りはかなり薄い。5五にいる静香の角の動きは殺されているが、それでも要所の3三にいる桂に睨みを聞かせているし、こちらの駒台には角、金、桂が1枚ずつ。
静香が相当有利なはずだ。このリードを御厨先生から守れるかってことだ。
「よろしくお願いします」
静香は早速2五に桂を打ち込んでさらに3三の桂をイジメることにした。だがそのあと飛車、香車を打ち込まれて王手をかけられる。静香は持ち駒の角を犠牲にして、相手の銀、香と交換。交換レートも悪くないし、上部への抜け道もできた。まだまだ静香のペースだ。
その後静香は30秒ギリギリまで考えて3三桂成とする。不成だと王手になるけど、その後が繋がらない。その後香2枚で連続王手をかけられる。香2枚と歩桂の交換というかなり有利な交換になったが、こちらの玉の前進を強要される。2五まで来てしまったので、もう入玉を狙うしかない。こちらは自陣に金3枚、銀2枚を置いてきてしまっているが、それらはすべて諦める。
それでもまだこちらが相当有利のはず。金銀すべてを諦めて133手目に静香は入玉した。自玉を守っているのが馬と成桂の2枚だが、これで凌げるはず。実際143手目で相手の香を交わした時点で御厨先生が投了した。
よし、前半は余興があったとは言え、現代最強棋士に勝った。
「ありがとうございました」
「いやあ30秒将棋なのに判断早いね、まさか金駒5枚見捨ててためらわずに入玉するとは思わなかった」
「いや、あそこまで引き離されたらもう戻れないですよね。手駒に桂香があったので、逃げ切れると思いました」
「うーん。さっきの話に繋がるけど、やっぱりソフトとは違うな。じゃあ2局目に行こうか」
「はい」
こうしてVSさせて頂けるなんてとてもありがたいことだ。なお2局目、静香は良いところなく負けた。