67.充実の秋
『さて、舞鶴さんの判定はいかがでしょうか?』
『じゃあ開けますね……B判定でした。どうでしょうね、これ?』
『東大理ⅢでB判定ってすごいことですよ?』
『いや、でもこの後皆さんスパートかけて来るわけじゃないですか。今の段階でこの判定ということは、かなり微妙じゃないですか?』
ここで唐突に千夜の「間合塾で充実の秋を」という唐突なアナウンスが入ってCMが終わる。「充実の秋」は先ほどの寸劇中のBGMのタイトルでもある。
千夜はアンリ=ルフェーブル監督による追加撮影を終わらせた後、タクシーの中でCMを見ていた。監督と千夜の予定がなかなか合わず、撮影は9月も末になってから行われた。ロケ地は大阪の外れにある、もう取り壊しが決まっている潰れたライブハウスだった。
「これCMとしても微妙ですよね?」
明石さんも千夜と並んで、タブレットの動画を見ていた。
「まあ、編集は代理店の方と広報の方でされているので……広報の方がOKされたのだからいいんじゃないでしょうか?」
まあそうなんだけど……。
「でも本当に進路どうしましょうね? 大学に受かったら大学に行っていいんでしょうか?」
「もちろんいいですよ。医学部だと相当に忙しくなるでしょうけど、棋戦の日程は連盟も考えてくれると思います。まあこちらの仕事はその分しわ寄せが来るだろうとは思います」
今、千夜が通学している聖瑞庵高校では、単位取得に出席日数は関係ない。大抵の高校だと出席日数が足りないと単位が貰えないところも多いと聞くので、たまたまだけどとても助かった。しかも3年になってからは将棋関係はすべて公休扱いになっている。芸能は欠席扱いだけど……。
大学も同じように公休してくれたらいいのだけど、それも大学側の判断による。座学だと出席できなくても自習で頑張れるけど、理系、特に医学部だとそのうち実習とかが入って来るので、棋戦や撮影と重なると相当のダメージになる。
「まあ受かってから考えろって話ですよね」
千夜はそう言って、スマホのテレビを消すと、窓の外を見た。見慣れた風景が流れて行く。
「そうですね。でも舞鶴さんなら大丈夫だと思います。将棋だって一昨日も優勝したじゃないですか。すごい騒ぎになりましたね」
千夜は今回ロケのためだけに関西に来たわけじゃない。清流戦の決勝、3番勝負のために来ていた。清流戦は公式戦だけど棋士は四段しか出れないし、しかも他の参加者の方が多い。他の参加者とはつまり奨励会三段、女流棋士、そしてアマチュアの強豪選手だ。
櫛木さん、人目をはばからず泣いてたな。チャレンジカップで決勝を争った櫛木と、清流戦でも決勝の三番勝負で静香は争った。清流戦は持ち時間1時間だからチャレンジカップの3倍もある。だが、静香は櫛木さんを相手に2連勝して優勝した。これで櫛木と静香は奨励会を合わせると通算で静香の4勝1敗。四段になってからは静香の3勝だ。
このように記すと櫛木が弱いみたいに聞こえるかも知れないが、彼は四段になってから、静香以外には誰にも負けていない。静香はまさしく櫛木にとっての天敵になっている。他の競技もそうだけど、将棋にも当然相性というものがある。一番わかりやすいのは得意戦術の違いだけど、なぜこの強い棋士が、このあまり成績のよくない棋士に負け越しているのだろう、という事例はいくつもある。
だが、櫛木さんの場合は……相性とはまた違うような気がする。
この清流戦が終わり千夜は四段に昇段以来29連勝、御厨竜帝・名人のもつ30連勝の大記録に肉薄したため、マスコミの注目度がものすごく高かった。その影響もあるだろう。3番勝負の2局目、櫛木は自滅するかのように崩れ、わずか74手で決着がついた。
『もう天道さんに負けるわけにはいかないですから』
そう櫛木さんが言った後に3連敗。これは正直きついだろうな、と勝った本人の静香ですら思う。
「本当によくここまで勝ててますよね、私。でも連勝記録は先が見えてるから私自身の気は楽ですよ」
この連勝はもう長くは続かない。10月になればすぐ、夕陽杯1次予選の決勝がある。相手は七段の実力者だし、普通に考えたら負ける。その後は鋭王戦予選の準決勝と決勝が同じ日にある。準決勝は関西の若手で、決勝はおそらくまた櫛木さんだろう。準決勝も決勝も、当然負ける可能性は十分にある。そしてその次は王偉戦の予選2回戦。残念ながらここは絶対に勝てない。
「だってタイトルホルダーが相手ですからね。しかも持ち時間が4時間。これは無理筋もいいところですよね」
2週間後、静香は王偉戦の予選2回戦で、6月に早蕨九段から鋭王のタイトルを奪った海老沢鋭王と対戦する。王偉戦は他の棋戦と違って少々特殊な点がある。シードされるのは前回の番勝負の敗者を含め4人だけ。その4人以外は全員予選から出場することになる。だからA級棋士で6月にタイトルを取った海老沢鋭王と2回戦で対戦することは、組み合わせが決まった時点で既にわかっていた。そして8月に静香が1回戦を勝った時点でそれが確定した。
当然ながら、千夜はA級棋士とも、タイトルホルダーとも公式戦で対局するのは初めてだ。海老沢鋭王は35歳。今回が初めてのタイトルだけど、A級には昇り降りがあるものの、トータル6期目。紛れもなく現在の最強棋士のひとりだ。当然棋力も高いけど、研究熱心で知られており、ここぞという時に新手を繰り出すことで知られており、桝田賞をこれまで2回も受賞されている。
ここ3年A級を保っているのも、早蕨先生から鋭王をもぎ取ったのもここぞとばかりに披露された研究の成果だ。さすがに予選の2回戦で研究手を使ってこないだろうけど、それでも棋譜を見ていると実力で普通に負けるだろう。
だから連勝はそこでストップすることは間違いない。だが、それまでの3戦についてはできれば勝って、歴史に記録を打ち立てておきたいと思う。そして10月も終わりに近づけば、静香も女流のタイトル戦を迎える。もちろん静香が挑戦者で、相手は大沼女流王者だ。
大沼女流王者は大変だ。10月の頭から、岸女流玉将との番勝負が始まるし、11月の頭からは今泉女流三冠と所沢秋桜の番勝負が控えている。この時期、女流の3タイトルは日程が重なっているが、大沼女流王者はそのすべてに出場する。静香に対しては防衛戦で、他ふたつは挑戦だ。なお、所沢秋桜戦はコスモス戦と略されるのが常だ。
さて、来月は私にとって充実の秋になるのかな? 静香はまた流れる夜景を見つめた。そろそろ新大阪の駅に着く。ここからは新幹線だ。
天道静香棋戦成績 初年度第二四半期成績一覧
<四段/女王>
7月上 棋神戦 1次予選 1,2回戦 〇〇
7月中 順位戦 C2第2局 〇
7月中 清流戦 2回戦 〇
7月下 チャレンジカップ4回戦 〇 田丸 勇吾 四段
7月下 女流王者本戦1回戦 〇 今泉 七海 女流三冠
7月下 棋神戦 1次予選 3,4回戦 〇〇
8月上 女流王者本戦2回戦 〇
8月上 順位戦 C2第3局 〇
8月上 王偉戦予選1回戦 〇
8月上 滝山絹江杯1回戦 司会・解説
8月中 星雲戦予選 〇
8月中 チャレンジC準決勝・決勝 〇〇 櫛木 蒼 四段 <優勝>
8月上 女流王者本戦 準決勝 〇 岩城 桔梗 女流名人
8月下 夕陽杯予選 2,3回戦 〇〇
8月下 女流王偉予選1回戦 〇
9月上 女流王偉予選2回戦 〇
9月上 清流戦3回戦 〇
9月上 女流王偉予選3回戦 〇
9月上 順位戦 C2第4局 〇
9月中 清流戦準決勝 〇
9月中 女流王者本戦 決勝 〇
9月下 星雲戦本戦1,2回戦 〇〇
9月下 清流戦 決勝3番勝負 〇〇 櫛木 蒼 四段 <優勝>
<今年度成績累積(4~9月>
棋戦:29勝無敗無分 勝率1.00 ※29連勝は史上2位(継続中)
女流:13勝無敗無分 勝率1.00
合計:42勝無敗無分 勝率1.00 ※42連勝は女流棋士として1位(継続中)
タイトル:女子オープン女王
一般棋戦優勝:チャレンジカップ(New)
清流戦(New)
喰寝丸太様に本作のレビューを頂きました。なろうでは初めて頂いたので感激です。
拙作を読んで頂いている方、ブックマークして頂いた方、ポイントを入れて頂いた方、誤字報告して頂いた方、ご感想を頂いた方、そしてレビューを頂いた方(New!)、皆さまありがとうございます。とっても励みになります。
6月中には終わらなさそうな雰囲気になって来たので、7月は中断することになりそうですが、今後ともよろしくお願いいたします。