62.将棋祭り(1)
静香は満員の観衆を前に舞台に出た。白をベースに朝顔の花が散りばめられた浴衣をきている。千夜として舞台に立つことはしょっちゅうだけど、静香が出ることは珍しい。今日は眼鏡もしていない。プロになってから、どんどん天道静香と舞鶴千夜の境目が無くなっているような気がする。
かわいい、とか、きれい、とか声が飛ぶ。客席に向かって礼をしてから挨拶をする。
「皆さまおはようございます」
これだけで拍手が起きる。これも千夜としては何度もあるけど、静香としては新鮮だ。
「本日は東鉄将棋祭りにお越し頂き、大変ありがとうございます。本日、二日目の総合司会を務めさせて頂きます、天道静香です。本日はよろしくお願い致します」
そう言ってまた一礼する。東鉄将棋祭りは、いくつかある将棋祭りの中でも盛況と聞いてはいたが、本当に多くのお客様がいらしている。昨日も御厨竜帝・名人が随分盛り上げたと聞いた。千夜のファンよりも世代が高いと聞いてはいたが、結構若い人も多いので嬉しいことだ。
「指導対局及びサイン会についての抽選受付は反対側、あちらのブースで行います。対局する棋士のスケジュールは、あちらの掲示板、お手元のチラシ、また将棋祭りのWebページにも書いてありますのでご参照ください」
結構前の方に若い男性がいて、動画で撮られてたりするけれど、この人たちはもしかして、将棋ファンではなくて、舞鶴千夜のファンだったりする? そういう人たちも将棋に興味を持って帰ってくれたらいいな。
「早い順じゃなくて抽選ですから落ち着いて並んでくださいね。受付はそれぞれの30分前に締め切らせて頂いて、その後抽選をさせて頂きます。続いて将棋関連のグッズですが、あちらの物販コーナーにありますので、是非お買い求めくださいませ。一部商品は数量限定というところで、抽選となっております。詳しくは物品カウンターでお尋ねください」
静香が書いた下手くそな揮毫もある。いやそこまで字が汚いわけではないけれど、他の先生方に比べると字からしてスケールが小さい。だが、あれも枚数が少ないので抽選対象になっている。
なお選んだ言葉は「電光石火」であり、「天道静香女王」のサインが入っている。そう言えば女王になる前に、何回か頼まれてサインしたことがある。その「天道静香四段」のサイン色紙がとあるオークションサイトで高値で売られていて、びっくりしたことがある。
「またこの後10時半からは、あちらの席上対局場で『滝山絹江杯』の1回戦を行います。第一局は私、天道が大盤解説を務めさせて頂きますので、そちらでもよろしくお願い致します」
そしてもちろん忘れてはいけない、メインイベントの紹介をしておく。
「夕方からは、国分王者、続いて早蕨九段によるサイン会があります。サイン会の申し込み受付も、先ほど申し上げたとおり、それぞれの開始30分前に締め切りとなり、その後抽選させて頂きます。そして夜の7時15分からは、そのお二方によるプレミアム対局がありますので、最後までごゆっくりなさってください」
今日の静香の仕事は総合司会、本来なら司会進行役のみを務めるのだけど、合間に滝山絹江杯の大盤解説あり、指導対局あり、そしてプレミアム対局の聞き手あり、と例年とは勝手が違う。だから逆にサブの総合司会の女流棋士がいるという本末転倒ぶりだ。サイン会が無いだけまだまし?
聞き手を務めるのも初めてだけど、大盤解説も初めての経験だ。解説するのが先というのもどうかと思うし、対局者のすぐ近くで解説・聞き手をするというのも、やらかさないかちょっと心配。当然対局者からは死角になっているものの、声は普通に聞こえる。「これは同飛車で取る一手ですね」などと言っては絶対にいけない。
この東鉄将棋祭り、今日は10時から始まって、終わるのが20時半という順位戦並みの長丁場だ。静香は昨日、大阪で王偉戦予選(持ち時間4時間)を指していたはずだ。そして明後日には星雲戦の予選がある。
今日をちゃんと乗り切れますように。
滝山絹江杯は若手の女流棋士と予選を勝ち抜いたアマチュア女性棋士が争う。持ち時間が15分で、その後は1手30秒になる。だから基本的には追っていくだけで精一杯になる。
「ここで後手が1九に角を打ち込んできました。どういう狙いでしょうか」
「そうですね、この辺りを狙ってるんだと思います」
いやぼかす必要がないぐらい狙いは明らかだけど、聞こえている前提で話すことになる。
「先手としてはどうしますか?」
「そうですね、ここをこうするか、あるいはこちらをこうするかでしょうね」
ちゃんと駒を動かしながら、お客さんには解るけど、対局者には解らない……かな? ここで先手の手が止まる。静香の言葉が変なヒントになった気がしないでもない。
「えっと天道先生は今日が大盤解説初ということですが、ここまでのところいかがですか?」
聞き手を務めてくれる女流初段を相手に静香が答える。
「自分で指す方が絶対楽ですね、これ」
静香は正直な気持ちを述べた。
「最初天道先生がご出場される予定だったとか」
「私も新人なので、そう言う話はありました。やっぱり出場した方がよかったですかね?」
これまた正直な感想である。ここで先手の駒が動く。
「はい先生の予想通りでしたが、すぐに後手が返します」
静香は手近にあった、大盤の1九の角を3七角成に動かした。一見後手が有利だけど、先手にも反撃の方法がないわけでもない。果たして気が付くかな?