06.舞台は続く
7月、翌日の期末試験を付け焼刃で乗り切ろうと静香が四苦八苦している時、千夜のデビュー曲がラジオで流れたのを聞いて静香は驚いた。思わず録音しておけばよかったと思った。だが、次の番組でも同じ曲が聞こえる。
そう言えば、ある現場で同じだったマネージャーが、各ラジオ局で1週間ぐらいヘビーローテーションしてもらうと言っていた。ヘビーローテーションとはこのことか。多分すごいお金が動いているんだろうな。
ところで人はその身体の構造から自分の声は綺麗に聞こえると聞いたことがある。だから一旦録音した自分の声を聞くと、違和感や嫌悪感を感じるのだと。だがなぜだろう。こうやってラジオで流れている声、確かに自分の声なのに普段より綺麗に聞こえる。デジタル加工と言う言葉が静香の頭をよぎる。
ぐゎぁ。
思わず試験勉強など放り投げて逃げ出したくなるので、ラジオを消して、お気に入りのブルースにBGMを変えてから静香は勉強を続けることにした。一夜漬け、正確には3日間頑張った甲斐があり、静香の成績は平均点に少しだけ近づくことができた。
試験が終わった次の日の土曜日、当然その時点ではもちろん結果を知らなかったので結果が不安だったが、今日のレッスンはその不安を消すだけの力があった。これまで触ったこともないギターの練習を丸一日やれというのだ。なんなのだろう。たまたま手に入れたなぞの機械に、適当にいろんなものを放り込んで使い道を探っているかのような、いきあたりばったりさを感じる。
まさかあの大蔵さんが作った曲を千夜ひとりに弾かせるつもりではあるまいな?
途中で手が痛くなったのでそれを訴えると、メニューがボイトレに変わったので安心したが、安心できた時間は短かった。
「今練習している舞台が終わったら、またレコーディングするからね。大蔵さんが千夜ちゃんのために5曲も作ってくれたんだって」
5曲? 1曲だけじゃないの?
「いや。ラジオで流れているのは聞きました。でも、あまり配信でも売れてないって聞きましたけど……」
「売上的にはそうね。でもネットでの評判は悪くないし、動画サイトとかでMAD素材にされたりしているのを見かけるから話題性としてはいいんじゃないかしら?」
マッド? 意味は今度調べておこう。
それにしても芸能プロダクションは利益を追求しなくても良い平和な世界なのだろうか? 実は経営が傾いているのかもしれない。逆に「舞鶴千夜」が少しぐらいやらかしても盤石な経営だったらいいのだけれど。
そして次の日は奨励会。6月後半の2戦目で静香は4級に再昇級し3戦目も白星。7月前半の対局日には3連勝した。つまり4級では現在4連勝中。このまま順調にいけばいいんだけど、今の状態だと無理だろうなぁ。今日の3戦目も相手の見落としによる自滅だった。
だがその2週間後の対局日には、静香は最初の2戦で連勝、6連勝で最短で3級に再昇級した。だが3戦目には破れて、3級は黒星から始まった。
なお期末試験の結果は、静香は下から数えるのが少し難しくなった。
「舞鶴千夜? 聞いたことはあるわ。結構大根なのにいろんな作品にちょい役に出てるみたいね。歌手デビューもしたとか。その子とダブル主人公? どうしてそんな事務所のごり押しが通るのよ。えっ監督もOKした?」
はあ。鳥居由美はマネージャーとの電話を切ってため息をついた。まだミドルティーンに足を踏み入れたばかりの中学3年生。だが、年齢≒芸歴という、子役からの大きな実績を持っており、まだ人気に陰りは見えない。子役育成の成功例だと業界では認識されている。
その彼女が、有名監督の映画に主演することが決まった。だが主演と言っても同格の相棒がいるので、正確にはその相棒とのダブル主人公だ。由美の相方を演じる相手は聞けばまだ芸歴が半年も満たないという。
つまり私はフォロー役ってことか。作品のクオリティを担保するために由美が選出されたのだ。由美はため息をついた。だが、監督も脚本家も十分な実績を持った大物で、予算も潤沢。まあ大手事務所や代理店、スポンサーのごり押しはよくあることだから、私にできることをこなしていくだけだ。
とりあえず由美は、相方が出たビデオのいくつかを改めて確認した。どこに映っていたのかよく分からないほぼエキストラ状態の作品が多く、セリフがあるものも出番の尺は短い。それなのに伝わってくる素人っぽさ。由美は頭痛がしてきた。
まあ、どれくらいのお金が流れたのかは知らないが、監督はじめ、スタッフが頑張るのだろう、その時の由美はそう思った。
千夜は自分の知らないところで、なにが動いているかを知らず、本番前の舞台稽古に励んでいた。千夜が主役クラスならともかく替えが利く端役なので、静香が対局日の稽古には代役が出ることになっている。本当に申し訳ない。ただ対戦成績が良いのが救いか。8月の初戦を落とし、通算2連敗。背筋がヒヤリとしたが、残りの2局を連勝して立て直した。その後すぐに舞台初日の幕が開く。
この芝居は鎌プロとは別の一座の主催なので、千夜は客演と言う形になる。チラシの隅に「女中 舞鶴千夜(鎌田プロダクション)」と書かれる程度だ。当然ながら、最初の顔合わせの時と初日の双方に、座長を始め各役者さんやスタッフの方々に頭を下げて回る。また千夜を使いたい、そうでなくても、舞鶴さん? 良かったよ、と言ってもらわなければならない。
舞台は続く。平日は夜だけの1公演だし休みの日もある、土日は昼夜2公演、同じ演目を舞台は繰り返しながら続く。千夜に割り当てられた役は女中、端役とは言え、登場シーンはそれなりにあるし、セリフもこれまでのエキストラ紛いとは違って多い。演じる度に役が演技が千夜に沁み込んでいくのがわかる。
舞台は演技を続けなければならない。映画ならば、CMならば、あるいはレコーディングでもカットが入ってリテイクされることがあるが、舞台にはカットはない。だからアクシデントや、突然のアドリブが入っても千夜は演技を続けなければならない。初日は動きとセリフを忘れないことにいっぱいいっぱいだったが、そのうちに誰かがセリフを忘れた時の間を繋いだり、突然セットの一部が落ちた時も上手くアドリブで立ち回ることができるようになった。
そして千秋楽。その日は特に問題も無く無事に終えることができた。よかった。千夜は再度関係者一同に礼を言って打ち上げの場を後にした。これで残りの夏休みを満喫することができるかというと……もちろんそんなことは無かった。公演中は最初の頃こそ特訓があったりしたが、それが終われば出掛けるまでは自宅で夏の宿題をしたり、ネット将棋をしていた。ダンス、ボーカル、演技、ギター、そしてトーク。レッスンはいつまでも続く。むしろ舞台が終わってからの方が忙しいことに、千夜はすぐに気が付かされた。
ストックあるところまでは毎日連載を続けます。