58.間合塾
7月に入るとともに1学期の期末試験がある。試験は午前で終わるので、午後にはCMの撮影が入る。今日は何回目かになる間合塾だ。間合塾のCMは毎月新しいものに変わるし、バージョンが最低2種類あるので、撮影が頻繁にある。もちろん2か月分を一気に取ったりすることもある。
「前回の進路相談で、舞鶴さんは医学部に進学すると決めましたね」
千夜の担当チューターがそう話しかける。
「そうですね。我ながら無謀かもしれませんね」
千夜は少し困った顔をする。前回、この進路相談コーナーで、将来何になりたいかを聞かれた時、千夜は医者だと答えた。なんといっても食いっぱぐれが無さそうだ。
芸能界は浮き沈みが激しいので、いつ過去の人になるかわからない。人気絶頂だったタレントが、数カ月後にはもうメディアでは影も形も見なくなって、10数年後にあの人は今こんなことを、みたいに週刊誌に書かれたりするのはよくあることだ。
だが、幸い千夜は将棋の棋士でもある。
だが将棋の棋士も、芸能界程ではないかもしれないが、やはり上がり下がりが激しい職業だ。それを千夜というか静香は痛い程知っている。ある日突然勝てなくなって、小学生で2級まで上がっても高校生の時には5級だったりする。そういうことが今後もないとは言い切れない。棋士も女流棋士も定年まで安泰ではなくて、成績が悪いと失業してしまう。
よって、一生食べて行ける職業が良い。それも一生続けられる仕事に直結する資格を取れる大学がいい。そういう話しをしているうちに医師という選択肢が出てきた。正直思いつきだったところはある。
だが、調べてみると、女流棋士には医師免許を持ったプロがいることが判った。プロになってから医学部に受かり卒業し、研修医期間中は休会している。さらに調べると、囲碁の棋士だと医師免許資格を持ちながら、七大タイトルを取った棋士もいる。この方の場合は、医学部を卒業してから囲碁のプロになっている。
やはり偉大なる先達はいるものだ。ならば静香が挑戦する価値があるかも知れない。
それら千夜が調べたことはチューターも調べてくれていて、では改めて医学部を目指しますか、という話になった。で、今後は模試の結果なども見つつ、どこの大学の医学部を目指すか、というのが話し合いのテーマになる。
「そうですね。私の場合仕事の兼ね合いもあるので、やはり場所は東京の都心がいいですね」
将棋会館はいずれ移転するが、それでも千駄ヶ谷からは動かない。
「東京には医学部がある大学は多いです。国立が2校。私立では11校あります。私立のうち女子大が1校ですね」
「なるほど」
「これから模試を受けて、適正校を選んで行きましょう」
チューターとの会話が終わった後は授業を受ける。今日は数学だ。マンツーマンだから話が早い。
「今回の期末試験でわからないところはありましたか?」
「そうですね。数学ではなかったですね」
「舞鶴さんは教え甲斐が無いですね」
この先生はすごくぶっちゃけるな。
「えーっ。こんなのCMで流していいんですか?」
それを耳にしていた広報の人が口を挟む。
「当然流しませんからね。先生真面目にやってください」
「はいはい。じゃあ舞鶴さん15分でこの問題解いてください」
千夜が見たところ結構難解な図形の大問だが、取り掛かってみると時間より少し前に解けた。
「できました」
多分ちゃんと解けたと思う。
「えっ、できたんですか? ちょっと見て見ますね……やっぱり舞鶴さんは教え甲斐が無いですね」
「えー」
なんて講師だ。問題が解けて怒られるというのは理不尽だと思います。
「舞鶴さん」
今度は広報の人から話があった。
「はい」
「来月頭のこの日と次の日、模試を受けて見ませんか?」
確かに高3の夏だから、そろそろ模試を受けるのもいいかもしれない。だが8月の頭と言えば、静香側の対局スケジュールがかなり過密だったはずだ。
難敵の1回戦に勝てればだけど、女流王者本戦の2回戦があるし、順位戦の第三局、そして王偉戦予選の1回戦がある。だが、仕事の時はいつも近くにいてくれる明石さんによると、間合塾の模試の日はなんとか空いていた。
「2日あるんですか?」
「2日あります」
そうだよなあ。国公立だと2日あるんだよね。名人戦みたいだな、と千夜は思った。
「では受けてみます」
「一般の塾生と同じ教室で受けて頂こうと思います。周囲に写り込む塾生については、撮影の可否や、当日騒がないようにはこちらで調整します」
わかりました。と答えた後、じゃあCM用に一言と言われた。
「それではこの舞鶴千夜、こちらの模試を受けることにします」
そこで本日の撮影は終わったが、あまり使えないんじゃないかな、と思った。ただ、また明日も期末試験がある。千夜は帰ってから復習しないといけないと思った。
せっかく学校から成績優秀者への奨学金までもらったのだし、ここしばらく守り続けている1位の座を譲るのもあまり気持ちの良いモノではない。静香は頑張って成績を維持した。
しばらくして、CMの最終案の映像を見せられた時に驚かされた。
チューターとしばらく模試の話をしているシーンの後、
『それではこの舞鶴千夜、こちらの模試を受けることにします』
そう言い切った後『第一回東大オープン模試』と日程、締め切りが大きな文字で表示される。
こんなので進路を決めていいのかな? ああ、やはり東大は無謀でしたね、という落ちもありか、と千夜は思った。
いつも拙作をお読み頂いてありがとうございます。
本作品は4月から始めましたが、同時に連載開始した下記作品が本日完結しました。
よろしければご笑覧くださいませ。
土曜日投稿:
リージア顛末記 58pt
https://ncode.syosetu.com/n9782hn/
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後、旧作を紹介しておきます。すべて完結済です。
桜の下の彼女 全12話 54pt
https://ncode.syosetu.com/n8398gu/
毎晩、幼馴染の女の子に酷いことをしてしまう夢を見る男の話。
ミスターフルベース 全16話 388pt
https://ncode.syosetu.com/n7878gi/
高校球児が甲子園で起こす奇跡のワンプレーのお話
音楽室と体育館 全169話 324pt
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バレーボールをこよなく愛する音楽教師の主人公最強もの
宰相の失脚 全17話 122pt
https://ncode.syosetu.com/n9550gj/
ナーロッパの成り上がり系のお話
旧作は以上です。ありがとうございました。
本作は引き続きよろしくお願い致します。