表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
みんなで私の背中を推して  作者: 多手ててと
前編:高校生編
55/284

55.天道・櫛木杯(その2)

棋士なんだから、挨拶代わりに対局しよう、というのは当然の成り行きだった。1手10秒以内の超早指し、しかも15分以内に終わらなかったらそこで強制終了。5分休んだら次の対局が始まる。早く終わった場合や休み時間にその場で感想戦をするのはありだけど、次の対局開始時間はきっちり守ること、先後は1枚振駒で、呼び方も互いに『さん』か呼び捨てで統一、というルールのミニ棋戦が始まった。題して『天道・櫛木杯』という。


1枚振駒というのは静香も初めて聞く単語だ。まあ5枚振るのは面倒だからコイントスならぬ歩トスで決めるというものだ。コイントス同様、ひとりが歩を回転させながら親指で上に弾く。次の瞬間にもう片方が「歩」か「と」を言い、当たったら先手、外れたら後手になる。


午前中に6局、午後も6局と結構タイトなスケジュールだ。静香と櫛木の相手は抽選で選ばれるが、このふたりと既に対局したことのある棋士は除かれる。静香の場合櫛木以外の全員と対局経験がない。


流石に御厨みくりやさんはいないけど、この場で最年長の26歳の棋士はB1で七段だし、竜帝戦3組のB2七段もいる。かなりの強豪だ。


この家の主人である池添九段ご夫妻は席を外されている。後は若い人たちで、ってことか。そして、この場を企画した池添九段門下の3人は静香と必ず対戦する、ということで、それ以外の9人が抽選で選ばれた。逆に櫛木と対戦するのは、静香と池添門下、そして櫛木が次点だった時の三段リーグで当たったことのある棋士が除かれ、それ以外のメンバーが抽選で選ばれる。そしてそれ以外はアバウトで、普段あまり対戦しない相手をみつけて適当に指そうという親睦会的なものになった。お昼ご飯もピザに決まったので事前に宅配を予約しておく。


組み合わせの抽選が決まると静香の相手には七段が二人とも含まれているのでとても楽しみ。対戦表がエクセルで作られて、スマホのチェスクロックが用意される。静香の初戦は将棋大賞でも会った野々原五段。初戦が今日の対戦者の中では唯一の顔見知りというのはおそらく主催者の配慮なのだろう。


「お願いします」のひとことで二部屋ぶち抜き12畳のあちこちで対局が始まった。



「天道さんの6四銀が厳しかったなあ」


「いや序盤に、野々原さんが速攻で角交換してきたじゃないですか。あれで結構慌ててたんですが、なんとかなった感じです」


「やっぱり直接指せて良かった。女王戦は三味線だったんだね」


聞き捨てならない言葉が野々原さんの口から飛び出した。


「そんなわけないじゃないですか。ちゃんと考えて最善手を指しましたよ」


これは嘘ではない。女王戦の3局とも、静香が考える最善手を指しきったと堂々と断言できる。だが野々原さんが言いたいこともわかる。確かに、『勝つための最善手』とは言い切れない手も中にはあった。


「どうだか。でも同い年の女の子に、平手で真剣に指してボコられるのは初めてだなあ。また指そうね」


野々原さんは笑顔だけど、これは苦笑に近い。


「はい。前お話ししたとおり、こちらも私の高校から近いので、お世話になれればありがたいです」



お昼にはピザをみんなで仲良く食べた。みんなのリクエストを受けて静香はアカペラで少し歌ったりした。間合塾のCMにも使われている『決意の春』という曲のサビの部分だ


「この曲キャッチーだから耳に付くんだよね。CMの内容は次々に変わっているけど、曲はずっとこのままなの?」


「いや、まだ内緒ですけど、6月になったら『飛躍の夏』って曲に変わりますよ。ネットでもCDでも7月に発売されますし、サブスクにも入るので是非聞いてください」


ちなみに9月から12月が「充実の秋」、1月からは「冬の収穫」になる予定。全曲7月発売のアルバムに収録される。



その後、午後も指し続けて、『天道・櫛木杯』は10勝2敗で静香が優勝した。1敗はB1の七段で、もう一敗はC1の六段が相手。竜帝戦3組のB2七段には一手差だけど勝つことができた。そしてみなに大いに祝福された。


まあでもこれは1手10秒のいわば戯れだ。もちろん誰ひとりとして手を抜かずに本気で指したと思うけど、今の棋戦でここまで極端に短期戦なものはない。強いて言えば公開対局の将棋チャンピオンシップぐらいだけど、あれはタイトルホルダーにでもならないと選出されない。そして多分ここにいる全員が、棋戦で当たったのなら静香に対して勝てると見込んでいるだろう。


静香も自分が勝つ気でいる。そうでなければ、将棋を続けることなんて無理だ。


『天道・櫛木杯』が終わり、しばらく歓談した後、数人の同僚と一緒に駅まで歩いた。明日からはまた学校だし、写真集の発売も迫っている。それに棋戦も忙しくなる。静香は4月には女子オープンタイトルマッチの2局だけ、5月も清流戦が1局に、女流王者の1次予選で2局、そして女王就位を決めた1局の4局だけしか公式戦は指していない。清流戦の相手は奨励会員だから、いずれの対局にも四段以上のプロがいないので、静香はすべて勝つことができた。


だが6月は……月初にチャレンジカップがある。トーナメントなので勝ち続ければだけど、1日に3回戦まである。あとは女流王者の2次予選。これは1局勝てば本戦に進める。そして中頃にはいよいよ順位戦C2リーグが始まる。鋭王戦の段位戦も2局、そして夕陽杯の予選が1局と、多ければ8局ある。そしてこれらは勝てるかどうかわからない。棋士としての静香はまだ始まっていない。いよいよ6月からが棋士としてのスタートだ。

1枚振駒はこれを書いている時に思いつきました。ググっても見つかりませんでしたが、誰でも思いつきそうなので、既に誰かがどこかでしているかもしれません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ