50.観戦者東西(その1)
新キャララッシュですが、覚えなくても大丈夫です
「あれぇ、月影センセ、こんな所に何しに来はったん?」
関西将棋会館の4階、ひとつの部屋を借り切って関西の女流棋士達が集まり、女子オープンの番勝負を検討している所に、一人の男性棋士がやってきた。
「何しにって、検討に参加しに来たに決まってるやん?」
月影六段の答えに、今泉七海女流三冠が冷たく言い放つ。
「若い女の子が集まってるからって押しかけて来はったんでしょ? みんなこの人は怖い人やから、うかつに近づいたらあかんで。ええな?」
月影六段は頭を掻きつつも、女流棋士の集いの中に物怖じせず、男ひとりで堂々と入室した。
「かなわんなあ。だって俺かてこの子とそのうち当たるねんで。見とかなあかん相手やん、今どんな感じ?」
「んん? 盤面見たらわかるやろ?」
若手の女流棋士二人が将棋盤上でタイトル戦の進行を再現している。それを月影六段が見た所、まだ序盤、そして戦法が角換わりだということだけしかわからない。
「どっちが天道さんなん?」
「中継の画面見たらわかるやろ? 後手やね」
若い女流棋士は、偉大な先達である今泉女流三冠と、突然来訪した月影六段のやり取りを楽し気に聞いていた。
この対局は今年度から開設された女流棋戦専門チャンネルのこけら落としでもある。テーマソングを歌っているのは舞鶴千夜という人気と実力を兼ね備えた売れっ子歌手。だが関係者には気にならないでもない人選だ。
「そっかー。面白なさそうやな」
「なんでそう思はるん?」
「デビュー戦やで、普通得意な戦型で来るやろ? それが後手やとわからへんやん」
ふたりが掛け合いをしている間に『角換わり腰掛け銀』がほぼ定跡どおりに進んで行く。
「あーあ。2局目っていつやっけ?」
「知らんわ。一緒に若い子に解説してくれるんやったら残ってええけど、そんな態度やったらさっさと帰り」
今泉女流三冠は、月影六段にピシャリと言い放った。
同じ頃、東京の池添九段の自宅に数人の棋士が集まり始めていた。
「櫛木、お前今日学校じゃないの?」
「まだ4月3日なんだから、春休みに決まってるじゃないですか。兄弟子だって、大学休みでしょ」
冗談に決まってるだろ、そう言ったのは櫛木四段の師匠である池添九段の息子、池添三段だ。21歳でそこそこの大学生でもある。前期は昇段者ふたりと当たらなかったこともあって、次点を取っている。
「で、何しに来たんだよ?」
「野々原兄さん、田丸兄さんと一緒に女子オープンの第一局を検討する約束をしてるんです。二人とも、駅で鉢合わせしたそうで、もうすぐ一緒にここに着くみたいですよ。ちなみに師匠から、検討するならこの家使えって言われてますので」
池添九段は現在65歳で既に引退済だ。弟子を取り始めたのは50歳を過ぎてからだが、一度決めたら徹底する人なので、積極的に道場を廻って有望な子に声を掛けていった。今も10人以上の弟子がいて、既にそのうち3人もがプロ入りしている。いずれもまだ若手ばかりだ。野々原五段、田丸四段、そして櫛木四段だ。息子の池添三段も奨励会で昨年度は上期は4位で惜しくも次点も取れなかったが、この2月まであった下期では3位で次点を取ったので、その安定した成績から今期昇段者の最右翼だ。
そうこうしている間に櫛木四段の兄弟子ふたりが池添家に着いた。
「スマホで見てたけど、戦型は『角換わり腰掛け銀』みたいだな。まだ始まったばかりで定跡の範疇だけど」
「これから面白くなるかなあ?」
池添三段も結局この検討の輪に加わることにしたみたいだ。
「さあ? まあ女流だしね」
35手目に先手の向田女王が4八金とする。角換わり腰掛け銀では最近よく見る手だ。女王がきっちり研究をしていることがわかる。それに対して天道四段は6五歩。いたって普通の手だ。先ほどから先手の選択肢は広いけど、後手はほぼ選択の余地がない。向田女王が無表情なのに対し、天道四段はずっと困り顔だ。序盤だからか両者ともあまり時間は使っていない。
「向田女王がキッチリ研究したはるわ」
今泉七海が月影六段に話しかけたが、月影は画面を見たまま答えないので、改めて聞き直す。
「なんでそんな静かなん? いつも頼みもせえへんのにペラペラしゃべってるやん」
「いや、この子ホントにべっぴんさんやなあ。ヤバない?」
画面を指さす月影に、七海はなにを当たり前のことを言うのかと思った。
「今日日私らぐらいの歳で『べっぴんさん』なんて言葉使う人見たん初めてやわ。そら本職の女優さんなんやから、美人に決まっとるやろ」
月影は大きくため息を着いた。
「ホンマにあかんわ。俺もしこの子と対戦してな、対局中に『月影センセ、もう将棋なんかやめて一緒にご飯を食べに行きましょうよ。ですからセンセ、二歩をしてくださらない?』とか言われたら、手が勝手に動いて二歩してしまいそうやわ。角ワープでも、王手放置でも頼まれたらやってまう。あかんわ。この子に絶対勝たれへん自信あるわ」
七海は、もうこの男は無視しようと決めた。