05.昇級
6月になると今度はモデルの仕事が来た。発行部数ははっきり言って多くないが、それでも静香も名前ぐらいは知っている週刊マンガ雑誌の巻頭だ。
千夜はこれまでの仕事の中では一番自分に向いていると思った。なんてったって、笑顔で黙って立ったり座ったりしていればいい。半日かけて、都内の公園で何十枚も撮られたが、そのうち使われるのは5枚程度だという。
午後も早いうちに終わったので、静香は家に帰って詰将棋でもしようと思った。
先週の奨励会でもやはり2勝1敗だった。つい3ヶ月前の静香なら2勝1敗だと降級点が付きようがないと喜んでいたが、考えてみるとかつて2級だった自分が5級で勝てるのは当たり前で、3連勝できないのがむしろおかしいのでは、と思うようになったからだ。5月からの成績はここまで6勝3敗。4月も最後は白星で終わっているから、来週の最初の2戦で白星を取れれば3戦目は4級として指せる。
ようやく将棋でも調子が戻って来た。数ヶ月の長きにわたった地獄から、ようやく奨励会員としての静香は立ち直りつつあった。
「どうだ? いい写真選べたか?」
この道ではそれなりに名の通っている写真家が弟子に聞いた。
「はい、何枚か自分が気になった写真を選びました。今回はフォトショしない、って依頼だったので少し心配でしたが、先生はさすがだと思います」
写真家は若い弟子の誉め言葉はあまり信用していない。だが今回は20枚ぐらいこちらで選んで、そこからプロダクションで半分に、最終的に出版社がさらにその半分程度にする、ということなので、10枚は任せることにしている。
「誉め言葉はいいからちゃんと選べよ。先に選んだお前の10枚が1枚も掲載されなかった、なんてことはやめてくれよ」
「わかってます。もうちょっとだけ時間をください」
モデルの仕事が終わった後、千夜はデビュー曲の作詞作曲者である大蔵仁の仕事場にお邪魔していた。同行してくれる香織さんに会うのも久しぶりだ。まずは事務所で香織さんと落ち合い、ふたりで車に乗り込んで大蔵氏のスタジオに向かう。
「香織さんのおかげでなんとかやってます」
スカウトされてからしばらくの間は、レッスンの合間などに香織さんも何度か顔出ししてくれたが、最近はそういうこともなくなっていた。その一方で二本松さんと呼ぶと、そろそろ香織さんと呼んで、と言われた。
千夜が香織に礼を述べると、香織は軽く笑って千夜の頑張りを褒める。
「千夜ちゃん、久しぶりね。頑張っているようでなりよりだわ」
「頑張って頂いているのは、スタッフの皆さんですけどね」
千夜の頑張り具合は給与明細を見ればわかる。契約の開始は切りよく4月1日、その後の振込額は常に0円だ。だがこれがかなり恵まれていることに、千夜も気が付いていた。例えばあるライブで控室が同じバックダンサー仲間の話を密かに聞いていてもわかる。
「あー、やっとライブに出られた。これで今までのレッスン料が報われたわ」
よかったじゃん、とか励まされている彼女の話を聞くとかなり待遇が悲惨だ。レッスン料は当然彼女が払う。そしてこのライブも仕事ではなくてレッスンの一環になっているようだ。
千夜の場合はエキストラでもバックダンサーでも、ちゃんとそれらが給与として数字に出ている。ただそれを上回るレッスン料があり、その他雇用に伴うもろもろがあって、結果相殺されて0円になる。本当はマイナスだが、0円で止まる仕組みになっているようだ。
スタッフに案内されて、オオクラスタジオの中を千夜は香織さんと一緒に歩く。香織さんもここに来るのは初めてだという。そして応接室で大蔵氏とあった。どうやら笑顔なので千夜は安心した。
「すまんですね、わざわざ来てもろて」
千夜は大蔵仁が関西のイントネーションであることに驚いた。これまで彼の楽曲をいくつも聴いたことがあるが、青山とか、六本木とかそういうイメージしかなかったからだ。
「いえいえ、こちらこそとてもいい曲を提供して頂いて、大変ありがたいと思ってます」
香織さんが返事をしてくれたので、この場はお願いしようと千夜は思った。
「いやね。依頼通り、男性グループ向けに作ったのに、新人の女の子が歌った音源が返ってきて、びっくりしとったんよ。まあ報酬はきっちり頂いているし、契約上なんも問題ないねんけどね」
やばい。顔は笑っているけど、これ怒ってるんじゃない?
「でもまあ、楽器はみんなええ人たちが参加してるから、おかしなことにはなってないけど、あんた歌下手くそやなあ」
「すみません」
千夜にできるのはひたすら頭を下げることだけだった。
「うん、下手くそや。でもなんて言うたらええのかな、味があるな。うーんとな。曲も詩も書き上げて、まあ納品するやん。そしたら当たり前のように、その時点でこんな感じの音楽になるんやろうな、ってわかるねん。こんな風に編曲されて、楽器と歌が入って、こうなるんやろうなって」
「大蔵さん程の方ならそうでしょうね」
香織さんがやんわりと口を挟む。
「私もこの業界長いからなあ。せやけど今回は違うた。編曲や演奏は予想通りやったけど、歌載せたらこんなに違うことがあるんやなあ、って思ったわ。元々男性向けだったからとかそんなんちゃうで。そんなことはそこそこあることや。衝撃的ってほど強くないけど、なんかじわじわ来るもんがあったなあ」
これってポジティブなの? ネガティブなの? とりあえず謝るべき?
「まあ私にもええ勉強になったわ。残念やけどこの曲はそんなに売れへんやろうなあ。ええっと二本松さん。この子、これがデビュー曲なんやろ? もう次の曲どっかに依頼してるん?」
あれ? なにか方向が変わった?
「いえ、今はいろんな仕事をさせようと思っています。夏休みにはいったら舞台に立たせようかと」
えっ、それも初耳なんですけど。本当なら専属マネージャーが教えてくれるのだろうが、いまだに千夜付きのマネージャーはいない。
「ふーん。まあええわ。じつはもう曲ができてるんやけど御宅の会社で買わへん? 前より安くしとくけど、その代わり歌い手はこの子指定の契約で」
「わかりました。概要だけ頂ければ、契約担当に投げておきます」
香織さーん。そんなのこの場で決めていいんですか?
「うん、じゃあよろしく。次はもっと上手に歌ってな? おっちゃん頑張って作ったんやから頼むわな」
「はい、頑張ります」
それ以外、千夜に言えることは何も無かった。
毎日連載はここまでですが、ストックあるうちはできるだけ更新していこうと思います。
宣伝ですが、こちらの作品も同時に連載しているので、ご覧いただければ幸いです。
・リージア顛末記
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15話目途
よくある西洋風ファンタジー世界で国王が後継者を決めるお話。国校は4人の王女のうち、最も王配として優れた婚約者を連れてきた娘を後継者にしようとするが……
よろしくお願いします。