44.熱血颱風(2)
飛行機の機内で俯く少女が映し出される。そして次にその少女を床から見上げるようなカットの画像に変わる。少女の顔は激しい憎悪で歪んでいる。
「次は……次こそ、絶対に撃ち抜いてやるわ……槐」
「カット」の声が入り撮影が終わったことが示される。
「今のでよかったですか?」
少女は表情を一転させ、笑顔でスタッフに話しかける。
「はい、舞鶴さんOKです」
「よかったです。これでちゃんと盛り上がってくれれば嬉しいです」
そう言ってまた大きく笑った。そこにナレーションが入る。
天道静香 16歳 高校2年生 秋。舞鶴千夜の芸名で舞台、ドラマ、さらには映画の主演も務め、ギターをかき鳴らしながら弾き語りも行う、今最も勢いのある若手芸能人。その彼女が挑む難関は……
パチン。ひとりの少女が盤面に置かれた竜王の駒を掴んで相手の王に王手をかける。そして反対側の少女が「負けました」と言って頭を下げ、もうひとり眼鏡かけた少女が「ありがとうございました」と礼を返すと、その反動のように天井を見上げた。
日本将棋連盟、奨励会三段リーグ、四段に昇段できるのは42人いる三段のうちわずかふたりのみ。将棋に人生をかける者たちが挑む地獄へと、彼女は身を投じた。
ここでテーマソングが流れ始める。さっきの将棋の場面、三段リーグじゃなくて『プレーン女子オープン』の決勝じゃん。などと突っ込んではならない。
10月中旬の土曜日、大阪市福島駅前の交差点、三つ編みに黒縁眼鏡、ダボダボの男物のシャツにパーカー、そしてチノパンを着た少女が信号を渡って来る。
「すいません。お待たせしました」
『いつもこの格好なんですか』
「そうですね、例会の日はいつも兄からもらった服を着てます。似合います?」
『ぶかぶかですね』
画面は転換して少女は歩きながら話す。
「ここ(関西将棋会館)で指すのは初めてなので、その分ちょっと緊張してますね」
『来るのも初めてなんですか?』
「そう、初めてで、いや、昨日の夜に場所を確認しに来たので、一応2回目ですね。駅からすぐなのがいいですよね」
『ずばりどれくらいが目標ですか?』
「指し分け(勝ち負け同数)ですね。そうすれば三段リーグでやっていけるんだ、という自信がつくと思います」
『それではがんばってきてください』
「ありがとうございます。行ってきます」
関西将棋会館に入って行く少女を映しながら、ナレーションが入る。
天道静香16歳。幼稚園の時に父親から将棋を教わると、あっという間に父親よりも強くなり、街の将棋道場に通うようになる。そして小学校3年生で大江尚樹九段の弟子になった。
『あの頃はとにかく可愛くて明るい女の子が来たな、と思いましたね。私も女の子を弟子にするのは初めてだったので、大丈夫かなと心配でしたね』
大江九段は懐かしそうに当時のことを語る。
『最初は研修会に入れようと思ったんですけど、この子なら奨励会でも大丈夫だなと思ったので、奨励会を受けさせました。小5で入会したのは全然驚きませんでしたけど、入ったとたんもう勝ち星をどんどん重ねてね、これはすごいなと感心したものです』
天道静香は小学5年生で奨励会に6級で入会。勝ち星を重ねに重ね僅か1年で2級まで昇級。初の女性四段も夢ではないと、将棋界ではささやかれるようになった。だがその後落とし穴が待っていた。
画面には天道静香の両親が映し出される。
『あれは小学6年生の6月か7月に入ったばかりぐらいでしたね。どこで買って来たのか急に黒縁の伊達メガネをして、髪もぼさぼさの三つ編みにして、おまけに服も捨てる予定だった息子、あの子の兄のお古を着るようになったんですよ。スカートも高校で制服になるまでは穿かなくなりましたね』
『伊達メガネなんですか?』
『そうです。あの子は幸い目が良くて』
車の後部座席に乗っている静香に画面が切り替わる。
「今もあの時と同じ服装をしていますが、多分……失敗でしたよね。小学校高学年から中学生って、思春期の入口じゃないですか。周りの男の子の反応とかが変わって来るわけですよ。それがちょっと腹が立ったんですよ。そう、ホント自信過剰ですよね。貯めたお小遣いで安い眼鏡を買ったりね。多分ですけど、将棋もそこで調子を落としたんじゃないかと今では思います」
小学6年生で2級まで快進撃を続けた天道は、その後負け越しを続けた。奨励会では2勝8敗以下の成績だと降級点がつく。一度ついた降級点は3勝3敗で消すことができるが、消せないまま再び2勝8敗を割り込むと降級してしまう。
「それでまあ最初はまだ勝ったり負けたりで降級点がついても消せてたのですけれど、途中から全然勝てなくなりましたね」
中学に入学した時に2級だった天道は、中学を卒業する時には5級にまで落ちてしまう。
「2級から5級っていうのはあり得ないですね。調べてはいないですけど、多分私だけじゃないですか? しかも一番の伸び盛りと言っていい中学生の3年間でね」
静香は髪の毛を整え、撮影用の衣装を身に着けて、他の人の撮影を眺めている。
「そして高校生になる前の春休みに、この業界にスカウトされました。いや、芸能界って怪しげじゃないですか。でも当時はもう将棋もやめるつもりで自棄になってたんでしょうね。高校入学とともに、業界人?、になりました」
本番の撮影中の舞鶴千夜の演技を映しながら、ナレーションが続く。
天道静香は舞鶴千夜として高校1年生で芸能界に入ると、数ヶ月レッスンと下積みをした後、夏には歌手としてデビューし、雑誌のモデルにも採用される。
CMの後場面は関西将棋会館から出て来る千夜に戻る。
『今日の結果はいかがでしたか?』
「今日は2勝でした、ノルマまで後7勝です」
そのまま大阪の街を歩く静香が語る。
「まあ本当に大事にしてもらいましたよね。お芝居の舞台に立たせてもらったり、プロの方にギターを教えてもらったかと思うと、いきなり映画の主役を、鳥居さんにおんぶに抱っこしてもらいながらですが、はらせて頂きながら、最初のアルバムも出ました。こんな若輩者が言うのもなんですけど人生なにがあるかわからないですね。結局将棋もこうやって続けさせてもらっています」
大阪、レモンホールでライブのリハをする千夜をバックにナレーションが続く。
芸能界に入った天道は、将棋でも調子を取り戻す。6月には4級に、7月には6連勝で最短で3級に昇級、9月には早くも2級に復帰する。そして今年の2月には1級。4月に初段、6月に二段、そして8月には、史上4人目の女性三段に昇りつめ、三段リーグへの参戦を決める。5級から三段までわずか1年強、その間も映画やドラマへの出演、そしてレコーディングとツアーを続けながらだ。
そのまま今度はライブの本番で弾き語りをする千夜と、それに熱狂するファンの姿が映される。