302.渋谷川(1)
「それでは天道新王者にお伺いします。終盤、珍しく長考されてましたが迷いがありましたか?」
インタビューを受けるのは棋士の最低限のマナー。ましてや番勝負に勝ってタイトルを得たのであれば当たり前。
「はい。ご存じのとおり私は攻め将棋なんですが、自玉が薄いのでこのまま攻め続けて良いか判断に迷い時間を使いました。最終第五局でタイトルがかかっているというプレッシャーもありました。結局守りを優先しました。後で形勢を確認したいと思います」
「AIでは馬を切った方が評価値が高かったようです」
「その判断は私には難しかったです。それでもなんとか勝ちを拾えて良かったです」
今では何でもAIでできてしまう。レポートでもプログラミングでも将棋の最善手でも。静香だってもちろん研究には使っているし文句はない。対局で最善手を見つけられないのは静香のせいだ。
AIではないけれど、まともにキャッチボールができない人でも、ひいき球団のピッチャーがストライクゾーンのど真ん中に投げたボールをレフトスタンドに運ばれた場時に、愚痴をこぼす権利ぐらいはあるだろう。それをネットに流すのは良くないと思うけど。
「これで女流八冠制覇に続いて、八大タイトル戦でも王偉、そしてこの王者戦を連戦で制し五冠目を奪取。男女合わせて十三冠。竜帝戦も始まってますし、この波にのって全冠制覇の声も上がっています」
「前回八冠すべてを制覇されたのは御厨名人ですが、人間業ではないと思います。私がそれにどこまで近づけるかはまだ未知数です」
このインタビューが始まるまでは御厨王者と呼称されていた。それが今では名人。その当人の前でそれを口に出すのは少しはばかられる。そういう世界だということは御厨先生の方が静香よりもご存じだろう。
八冠のうち五冠を静香が持つ。竜帝戦で櫛木さんに挑戦中。御厨先生が持つ棋奥は決勝トーナメントでまだ生き残っていて、名人挑戦のためのA級順位戦でも現時点ではまだ無敗。だから半年後の名人戦まで重要な対局のすべて勝てればそういうこともある……はずがない。
静香はその後なかなか終わらないインタビューに答え続けた。
「ありがとうございました。竜帝戦も期待しています」
やっと終わるらしい。表情はずっと笑顔だったはず。役者としての仕事をしておいて良かった。
「ありがとうございました」
静香は特別対局室を後にした。タイトル戦は地方で開催されることが多いけれど、フルセットの場合は将棋会館が使われることも多い。いろんなところに行くのも嬉しいけれど、遠征しなくて良いのは時間的な負担が少ないのは助かる。さすがに今日は仕事はできないけれど、明日はネットドラマのプロモーション活動ができる。
本当はタイトル戦でもストレートで勝つ方が良いのだろうけれど、そんな棋士は歴史をみてもほとんどいないだろう。
今の静香はやはりうまく行き過ぎだと思う。こんなに上手くいくのはいわゆる「確変」とか「上振れ」と呼ばれる状態に決まっている。後で反動が来る奴だ。実際この前の王偉戦の番勝負は第六局まで指したし、この王者戦は2勝2敗で迎えた最終局。しかも振駒で有利な先手を取れたという運もあった。
プロモーションの件で露出を増やしている時期と重なったからだろう。将棋でも静香がメディアで取り上げられることが増えた。一般のニュースでも将棋のニュースが流れるのは極めて喜ばしいことだ。そうか、インタビューが長くなったもその一環なのかもしれない。
もっと心の底から勝利を喜ぶべきだったのかもしれないけれど、野球やサッカーみたいに派手に喜ぶのは、静香が将棋を始めた時から学んだ文化にそぐわない。柔道ではなくて剣道寄り。というか柔道が国際化したから感情を露わにするようになったのだろう。
だったら東アジア圏に拡がっている囲碁は? 外国人力士が珍しくない相撲は? 少し面白そうなテーマのような気がした。将棋も国際化したらもっと豊かな感情表現が求められる時代が来るのかもしれない。
だが家に帰って調べてみると、どの競技も感情は抑えるもののようだ。柔道ですら日本人選手にはやはり謙虚さが求められるようだ。
やはり伝統は大事なのだと静香は思った。
久しぶりの更新となりました。更新のためにふと見返したのですが、王偉戦と王者戦が混同されていました。うわぁ。
というわけでいまさらながら前話を修正しました。
王偉戦:櫛木さんから奪取
王者戦:今話で御厨先生から奪取
次の投稿は6月になりそうです。そこから毎週連載に戻したいです。




