299.クランクイン(2)
今夏、多くの大物ミュージシャンたちが来日公演する。それこそ毎週土日、都内の大型ホールを借り切ってライブ公演が開催される。名付けてテーラー証券ライブフェスティバル。さすがはグローバルで業績好調の証券会社は太っ腹ですね、などと言ってる場合ではない。
この一連のフェスティバルのホステスは千夜が務めるからだ。とは言ってもフルに出るわけではない。オープニングをビデオメッセージで、そして最後の一曲、場合によってはアンコールだけセッションするとかになるのは申し訳ない。
いや、千夜よりも大物ミュージシャンを見たい人の方が多いはずなので、千夜の出番は少ない方がよいはず。もちろん人によって違うけれど、お目当てのアーティスト がわざわざ海外から来てくれるのは稀なはず。場合によっては北海道とか沖縄から駆けつけて来るファンだっているだろう。それなのにコンサートでは、よく見かける日本人が出ずっぱりだと残念な気持ちになるのではなかろうか? そう、悲しいけれど多分そう。
そしてもうこの時点で察する人もいるとおもうけれど、来日するアーティストたちはコンサートが実はおまけです。メインのお仕事は現在絶賛撮影中のドラマシリーズの、オープニングとエンディングの収録です。
ほら、だって、ねえ、流石に千夜と撮影するためだけに日本に来てもらうわけにはいかないじゃないですか。だからテイラー証券様にスポンサーしてもらってコンサートにも出て頂く、そうしてアーティストの懐はもちろん、日本にいるファンにも満足してもらう。そういう仕組みです。
ただ、コンサートに来てくれたお客様には申し訳ないですがドラマの宣伝もします。これはとっても重要だけど難しいのです。お金を払って見にきたのに宣伝が始まったらイヤだよね? 映画館に来て、エンディングの直前にCMが挟まるようなものだ。
そしてまだロックとかならいいんだよ。ギターやベース、そしてバックコーラスが増えても誰もあまり気にしないよね? メインボーカルを務める時間もあるけれど、それを短めにすれば皆幸せになれる。
えっ、ビーンさん? なんでそんな離れてギター弾いてるの? もうあなたが歌うところだよ? ちょっと。そうそうやっと来てくれましたね。えっ? まだここにいろって? ハモれって? えっ? わかった? わかりましたよ?
「……ってなことを全部表情で伝えないといけなかったんです」
「それは大変だったね」
これまでに多くのシネマティック・オーケストラの作曲を手掛けるグラマフの常連作曲家で、自ら鍵盤を叩くこともあるジーリグ・リヒターに千夜は愚痴った。
「そして伝わっているはずなのに、私最後までデュエットさせられたんですよ。The Final Chorusまで」
英語ではサビのことをコーラス(Chorus )と呼ぶのです。ええ、合唱のコーラスと同じです。仮にアカペラの独唱でもサビをコーラスと呼びます。そしていわゆるラスサビ、その曲でボーカルの最後の見せ所が The Final Chorus です。 わかりにくいですよね。
「いいんじゃない? 実際盛り上がったのではないですか?」
現代クラッシックの大家らしい落ち着いた物腰。千夜は撮影と撮影の合間にリヒター氏とお茶をしていた。彼は今回のドラマで使われるBGMをすべて書き下ろしてくれた。それらはフルオーケストラだったり、アンサンブルだったり、ピアノで独奏してくれたりする。
そしてオープニングでは彼の演奏をバックに千夜が歌う。でもボーカルが入らない超絶技巧の独奏部分が見どころです。
「ビーンさんのファンは優しいので」
空気を読んでくれているのかもしれないし、観客に紛れたスタッフが必至で拍手をしているのかもしれない。
「では明日、私のコンサートでもデュエットしますか?」
「えっ? リヒターさんも歌うんですね」
リヒター氏が歌っている音源を千夜は知らない。でもリヒター氏は作曲も演奏も歌うこともできるんですね。千夜もするけど、作曲と演奏に関しては月とすっぽんなので比べないで欲しい。
「いやデュエットですよ。ピアノで」
ピアノ? そうかデュエットって連弾のことか。
「いやいやいやいやいや。絶対に無理なので止めてください」
「そうですか? あなたの事務所の人に聞いたのですが、千夜さんは何でもやらせれば、なんでもやってのけると聞きましたよ」
誰? 大久保さんか? 何言ってるんですか?
千夜は何とか連弾は回避したが、アコギで弾きながら歌うことになった。
「毎回こんな感じなんだけど、まさかケイトまで無茶を言い出さないよね? ね?」
「ステージは普通にこなしてくれればいいわ。ただし私の憂さ晴らしに付き合って」
「憂さ晴らし?」
「そうよ。日本の監督はどうかしらないけど、パリの監督はイチイチうるさいのよ。あっちの言うとおりにしてたら、もう二度と声がかからないわ?」
仕方がないので、千夜はケイトの話をじっくり聞くことにした。要するに演技の方向性で監督や演出とよく揉めるらしい。
「でも演技ってそういうものだから。役になりきらないと」
「役者の人はそうかもしれないけど、私はケイトリン・オブライエンなのよ。私で無ければだめなの。それがプロってものでしょ?」
ケイトリンは一流のミュージシャン。音を自在に操って、自分を思いっきり表現するプロフェッショナル。その私が演じるだから、演技だってそうでしょ?
そういうことが言いたいらしい。
「別に間違ってないけど、誰がその場を取り仕切っているか、っていうのがあるじゃない? 例えばケイトが The Final Chorus を歌っている最中に、ドラマーがいきなり突飛な変拍子を叩き始めたらケイトだって怒るでしょ?」
「それで盛り上がるなら合わせるわよ」
「盛り上がらなかったら?」
「クビよ」
「でしょ? 演技もバンドもチームワークなんだよ。ハーモニーが大切なのよ」
ケイトはわかってくれたようなので千夜は安心した。その後東京の街に連れ出したら、徹夜で付き合わされた。それなのに翌日のコンサートでは会場に着いたばかりで、着替えてすらいないのにステージに呼び出された。




