298.クランクイン(1)
サブタイトルに使った「クランクイン」という言葉は撮影開始という意味ですが、これって和製英語だったんですね。知らなかったです。
4年生の夏学期が終わった。すべての単位を取得できたのは、純子ノートと先生方の温情があったからだと思う。本来なら実習も皆勤しないといけないのだから。
ともかく試験を乗り切ったから夏休み、毎度毎度申し訳ないのだけど、主役なのに既に開始されている撮影班に合流させて頂く。日本編は明記はされないけれど、2000年代前半が舞台。基本的には史実に沿うことでリアリティを出すが、物語的に効果的であれば敢えて時代考証から外すのだという。
その一番最たるものが衣装。単純にその時代の衣装にした場合、やはり古臭さが目立ってしまう。つまりダサい。そうなると画面映えしないので、当時の衣装をモチーフに、現代でも格好よく見えるようにデザインされている。
映像作品は再現するだけではダメなのだ。
それにしてもこのシナリオは現実との違いがいろいろある。2000年代には女流棋士と男性棋士の差が今よりも大きかった時代だ。そもそも対局する機会も少なかった。女流棋士が常に参加していたのは竜帝戦と王偉戦だけ。王者戦や棋神戦は年によって異なっていたし、公共放送杯に女流棋士が参加することもまだ無かった。
今回のお話の場合、メインとなる一局は竜帝戦が使われる。それも番勝負ではなく、ランキング戦6組の初戦だ。主役を演じる千夜は、天道静香の本名で三冠を持っており、王偉戦で挑戦中だし、その竜帝戦では3組に所属し、優勝して本戦に出場している。つまり2組への昇級も決まっている。
このあたりはショーランナーや脚本家たちも悩んだらしい。だが作中の時代背景などが優先されたようだ。その反面、せっかくだから和装で対局に挑むんだって。和装を好む棋士、女流棋士もいらっしゃるけれど、さすがに予選の初戦で和服を選択するかというと……少なくとも静香の知る限りではいない。昔はいらしたのかな?
将棋を知っている人が呆れるような展開は止めて欲しいのだけど、そのあたりはなんとかしてくれるらしい。どうやってなんとかするのかが見ものだ。
じゃあどうすれば良いのか? そう聞かれても静香には難しい。俯きながら、ドラマティックな展開と、リアリティの説得力の両立って難しいですよね……とか言うのが精一杯だと思う。
だから自分は演技で頑張ろうと思う。それに演技以外で頑張るところもある。それはオープニングとエンディング。
今回のドラマの見どころのひとつは多くのミュージシャンが参加してくれているところ。全体のBGMはジーリグ・リヒターが作曲してくれた。これまでにも多くの映画音楽の名作を産みだし、グラマフ賞を受賞した後に千夜とチェスで対局したこともあるお方。
そしてオープニングとエンディングは毎回違うミュージシャンが担当する。そのままミュージックビデオ(MV)に使えるクオリティの作品をミュージシャンが書き上げ、演奏し、歌い、それをMVの監督が演出や撮影を担当してくれる。
そしてそのミュージシャンがカメオ出演までしてくれる。中には千夜やケイトみたいにドラマパートにも出る人間もいる。
どれだけお金がかかってるんだろう。プラスドクリップ社はもちろん、鎌プロも出資しているみたいだけれど大丈夫なんだろうか? 千夜でなくてもそう思うはず。
でも正直大丈夫なのかどうか、どうなれば成功なのか、千夜のこれまでの知識ではわからない。
地上波のテレビだと視聴率が取れたかどうかが基準になる。映画だと興行成績。製作品が高いのに視聴率が低迷したり、興行成績がぱっとしない場合、その作品は失敗だったということになる。少なくとも興行的には。
わかりやすい。
では今回の場合は? 千夜は香織さんからレクチャーを受けた。
プラスドクリップはいろんな種類の動画サービスを提供しているが、基本的にはサブスクリプション。だからひとつひとつの作品で元を取ることを目指していないのだという。それはわかる。
この作品が誰にも見られなかった場合悲しいけれど、興行成績としては出ない。
では何を持ってプラスドクリップ社が成功とみなすか?
「それを説明する前にドラマの場合の作品のカテゴリーについて伝えるわね」
香織さんの話をまとめるとこうだ。
1:プレミアム型
話題性やSNSなどによる外部露出を狙い、サブスクに入っていない人を呼び込むための看板作品。大物俳優、キャストが起用される。また完結型、つまりシーズン2がないものも多い。
今回の企画がまさにこれだという。大丈夫か?
これ以外は簡単にまとめる。
2:フラッグシップ型
プラスドクリップの顔となる作品。シーズンが継続して制作され、全世界のユーザをプラスドクリップとの契約を継続させる。
3:リテンション型
習慣的に視聴させる作品。こちらも加入者の定着が目的。
4:カタログ充填型
低~中予算でコスパとロングテール狙い。作品のジャンルを増やし、特定の地域やジャンルにターゲットが傾いているものもある。
5:ニッチ型
よりニッチで強いテーマ性を持つ。本来なら将棋ドラマはここだ。
6:量産型
王道テーマの量産型作品で視聴時間を伸ばす
7:実験枠
新人、新表現、新フォーマットを低予算で実施。当たればシリーズ化。新人漫画家のデビュー短編が連載になる感じ。
香織さんによるとこんな感じでカテゴリがあるんだって。それぞれ求められている数字が違う。本作のように「プレミアム型」で全8話の場合、視聴時間が4億時間で、最後まで見てくれた人が65%以上いれば合格とのこと。さらにプラスドクリップ社やそれ以外の音楽系プラットフォームからの流入も期待されている。
「4億時間ですか??」
桁の大きさに思わず千夜が聞くと、香織さんは笑った。
「大体6千万人から7千万人の人が何話か見てくれないと達成できないわね」
実際にはリピーターの視聴もカウントされるらしいが、それでも絶対無理やん? ハードルが雲の上で見えないやん? 多分、成層圏を超えてるんじゃないだろうか。
お金を出してもらえるのはもちろんものすごくありがたいことなのだけど、それはそれで大変なことだと思う。




