286.記念撮影会(8)
このシリーズで静香はまだ封じ手をしていない。純子にも言ったけれど、封じ手をしないまま二日制の玉将戦を終わらせるのは非常にもったいない。静香は3分程考えてから、また立ち合いの先生に声をかけた。
「すいません。封じ手をしようと思うので準備をお願いできますか? 急がなくてもいいですよ」
後半は記録係に向けた言葉。記録係は現状の盤面、駒台、そして残り時間を封じ手の用紙に記録する必要がある。でも残り30分強の時間を静香が消費することはもう決まっているのだからゆっくり書いてくれても問題ないということを伝えた。
もっとも封じ手の用紙を渡されたらすぐに記載する必要があるのは変わらない。定刻までの時間を消費したからと言って、意図的に封じ手するまでの時間を伸ばすことはできない。
盤面は43手目に5六歩とぶつけられたところ。本線なら同歩だけど、5三の銀を4四か6四に上げてもよい。なお5四には静香の飛車がいる。一方相手の飛車は7六にいるので、それをイジメに7五歩と突いても良い。比較的手が広い局面と言える。
静香は誰にも見えないように、自分の体と立会人の背中で守られた空間で、渡された用紙に赤いボールペンで5三にいる銀を丸で囲い、6四へと矢印を記した。2枚とも同じことを書いて三つ折りにして一緒に渡された封筒へとしまう。
こうしてできた2封の封筒を封じてみんなで名前を記す。さて一晩ゆっくりしよう。この何もしなくて良い一晩も静香にとって貴重な時間だ。静香は会場近くの宿舎に入ると、割り当てられた自室で浴衣に着替えた。
静香は新品の五線ノートを持ち込んでいるので、これを使って作曲をしようと思う。
この後の展開を考えないのかって? いや頭の中で考えるのはもちろん自由なんだけど、持ち込んだ紙に書いて研究するのはマナー違反とされている。だから散歩や入浴の他は読書などをする棋士が多いと聞いた。
静香は頭に浮かんだフレーズをノートに書きこんだ。そう言えばノートには音符という意味もあるな、と思った。
いくつか頭に残るフレーズを書き連ねただけで結局曲までは作れなかったけれど、時間を贅沢に使えたと思う。番勝負が始まる前、二日制は時間の無駄が多いのでは、と思ったけれどやってみると結構有意義だったと思う。ただ作曲にはやはり楽器が欲しいところだ。将棋のルール的には楽器の持ち込みは問題ないと思うけど、音量を絞ったとしても夜にホテルで鳴らすのは常識的に許されないと思う。
さて、一夜明けて二日目が始まった。もちろん静香は今日も巫女服を身に纏っている。一泊二日とは言え免状も頂いてこれを身に着けることを許されている。武神、武甕槌命様のご加護はとてもありがたい。昨日から挑戦者であるはずの静香のホームゲームになっている。
静香が封じた局面が再現された後、44手目の6四銀が開封される。小田桐先生は時間を使ってからその銀の横の7四飛と上がって来た。このあたりは静香の読み筋どおりだし、二日目だから時間の制約もあまり気にしないで良いと思う。静香は時間を使わずに7六に歩を打つ。同銀、5六歩まではワンセットだけど、小田桐先生は焦らない。ゆっくり考える先手と、時間を使わない後手という展開が続いた。
あれ?
静香が悪く……はないけれどここまで積み上げていた優位が失われていることに気が付いた。数手前に飛車交換しようとして躱され、結局角を得たけど銀桂を失ってしまったのが問題だったと思う。終わったらAIにかけて採点してもらおう。幸いまだ不利ではないのでこれから巻き返しを図りたいところだけど、先手が手番を持っている。
71手目から1四歩と静香の玉が盤の隅に立てこもる1筋を責められる。同歩、1三歩、同香と続いた後に7二飛成と成り込まれた。これは咎めようがないので8六角とこちらも攻めっ気を見せたら2五桂とさらに1筋を攻められる。これも考えても仕方がないので、6八角成と攻め合いに勝機を見出すことにした。相手の銀に逃げられて攻めのきっかけを掴めなかったので、一度守りに4二に角を打って守りに使ったところで小田桐先生が昼休みに入る宣言をした。
第一感は1三桂成だと思うけど、敢えて成らずの変化もあるし、7一竜も有力。この迷いどころでお昼休みに入るのは上手いと思う。午後になったら小田桐先生が攻めてくるだろう。いやそう思わせて守りを固めるのかもしれない。静香は一旦将棋は忘れ、名物の柿の葉寿司を頂くことにした。
実は昨日も同じものを頂いた。神域での対局中に白い巫女服を汚すのは罰当たりなので、食べやすいものを選択した。
まだ局面は互角。そして残り時間は静香の方が残している。自分の時間を残すよりも、小田桐先生の時間を削ることを念頭にした作戦の方が良いかもしれない。




