285.記念撮影会(7)
第四局の会場は奈良の春日大社。静香はお仕事の都合で前々日から現地入りした。第一局から京都→仙台→札幌→奈良、少し偏りを感じるのは多分気のせい。2月も下旬、大学の秋学期の期末試験が終わっていなければ無理だったと思う。まだ試験結果は出てないけれど、手ごたえから無事3年生に上がれることになりそうです。
これも純子先生のおかげであることは言うまでもない。
この前々日入りは、静香が玉将戦をもっと盛り上げようと西さんに言ったから起きたと思われる。つまりは自業自得。第一局、京都での舞妓さんのインパクトが大きかったので、今度は巫女さんだという。狙いすぎじゃないでしょうか? それも記念撮影ではなくて対局だよ?
春日大社では御巫と称されるが、その修行体験も開催している。神道の基本を教わったり、玉串を使った拝礼、大祓詞という穢れや災いを祓い清める有名な祝詞を書写したり、一泊二日のなかなか本格的なプログラムになっている。
もちろん許可得た上でだけど、横で撮影されている以外は、いたってまともな修行体験をすることができたと思う。 マンツーマン、いや静香ひとりに複数の方々が付いてくれるという贅沢プランなので、一泊二日で上級編まで終わらせることができた。もちろん静香があらかじめ座学を終わらせておいたというのもある。これで静香も巫女見習い。2月だからほぼ1年後だけど、福娘のアルバイトもできるかもしれない。
でもこれ、静香が負けたらどうするんだろう? 春日大社の主祭神である武甕槌命様のお怒りを買うことにならない? 後手番だし不利だと思う。その場合は玉将戦とはまったく切り離されたイベントとして放送されるのではないかと思われる。
体験修行し主催者などの許可も頂いたので明日は巫女服で対局します。検分の時に対局相手の小田桐先生や立会の先生に伝えたら驚かれた。普通の袴姿と巫女服はやはり見た目のインパクトが違うのだろう。同じだったらそもそも西さんからこの案は出てこないに違いない。その後の調整も大変そうだったし。
前夜祭はルイッチ様のちょっとおしゃれな服で無難にやり過ごし、一夜明けた後に対局が行われる直会殿に巫女服で現れるといつも以上にパシャパシャと撮られた。記者が多いのは今日静香が勝てばタイトルを奪うことができるからだと思う。
巫女服は卒業式などで見かける袴姿とはいろいろと違う。一番の違いはもちろんその神社のユニフォームだということ。巫女服は神事で身に着けるものだ。つまり今日の将棋は神事ということになる。
それ以外の点ではやはり色合いだろう。卒業式は着る人の個性が出るが、巫女服は袖が長い白衣と鮮やかな緋色の袴。長い袖は垂れ下がり指す時に邪魔になるので、たすき掛けしている。髪飾りもしない到ってシンプルな装い。だがシンプルだからこその神聖な魅力があるのだと、報道陣のカメラの音を聴いて静香は思った。
対局は互いに角道を開けるところから始まった。そして3手目がびっくりの7五歩という早石田模様。最近小田桐先生が飛車を振ることはほぼ無かったはずだけど、本局は振ってくるんだ。なるほど。そうであれば静香も趣向を凝らした方がいいかもしれない。少し時間を使ってから5四歩と早石田封じをする。
6手目に5二飛と中飛車、20手目に1二香として穴熊に向かおうとしたところで静香は気が付いた。静香がほとんど時間を使っていないということに。これはまずい。
持ち時間8時間の二日制の場合、初日の午前中にはだいたい15手前後が目安。12時半の昼休みまでまだ1時間以上ある現状、小田桐先生が2時間以上使っているのに対し静香は15分ぐらい。小田桐先生が序盤から時間を使って考えているのは、静香が時間を使わずに指しているからでは?
静香はここで時間を使おうと思ったが、この局面では変な気がする。対局室を出て休みに行くのもいいけれど、その間小田桐先生や中継を見てくれているファンを変に待たせることになる。
「すいません」
静香は立会人の先生に声をかけた。
「どうしました?」
「ここで昼休憩に入ってもよろしいでしょうか? お昼ご飯は定刻通りでよいので」
対局者は自分の持ち時間を消費することで、早めに昼休憩や封じ手に入ることができる。静香も小田桐先生も、立会人も記録係も、そして観戦してくれているファンも休憩に入ることができる。これは素晴らしい名案では?
「まだ1時間以上ありますが良いですか?」
「是非お願いします」
こうして静香は通常の倍の昼休みを手に入れた。巫女服で寝転んだりはできないけれどそれでもゆっくり休むことができる。だが1時間は相手を侮っていると思う観客もいるかもしれない。勝負が終わった後の言い訳を今から考えておくことにする。体力を温存するために必要なことなのです。
そして午後、24手目に1一玉と隅に入って、28手目で2二銀と蓋をして穴熊に組んだ。急戦が多い静香が穴熊を組むのは珍しいかもしれない。中飛車左穴熊は、静香が今も名前だけは所属している将棋部で磨かれたという歴史がある。だから諸先輩方の名誉も背負うことになってしまった。
既に武神の名誉を背負っているのだからいまさらか。
後手の静香が穴熊に組んだのに対し先手は美濃囲い。囲いでは固いかもしれないが、先手は左辺を全体的に五~六段まで上げており形勢はほぼ互角。定刻まで45分を切ったのでそろそろ初日を終わらせてもよいかな?




