283.記念撮影会(5)
純子に心配をかけてしまっているようだけれど、この親友に言葉を選ぶのは不誠実な気がする。
「そりゃ楽しんでるよ。何もかもうまく行き過ぎてるから、いつ反動が来るか怖いぐらい。実際、純子がこうやって助けてくれなかったら学生生活は詰んでたしね」
「んとっ、そういうのとは違うんだよね。私は今、人生をメチャメチャ楽しんでる。日本で暮らすのが初めてだから、っていうのが大きいと思うけど」
山田純子はThe日本人な氏名だけど、大学に入るまで日本で暮らしたことが無い。アメリカに軸足をおきつつ世界各国に住んだ経歴の持ち主。入学当初は英語が混じった日本語を使っていた。
「純子って日本に来るのが初めてなんだっけ?」
「夏休みとかは両親の実家に帰国してたよ? 帰るというより来るって感覚だったけど」
「そんな純子から見て、将棋ってどう?」
うーん、という擬声語が聞こえてきそうな表情を純子が浮かべる。
「静香のことは応援しているけど、それ以外の点では興味は無いかな。私はチェスも、いやボードゲーム全般に興味がないから、参考にしない方がいいと思う」
なるほど。じゃあちょっと視点を変えてみるか。静香は思いついたことをそのまま純子に伝える。
「思うんだけど、ボードゲームでプロの競技が成立しているのは日本の将棋と、日本を含む東アジアの囲碁だけなのよ。もちろんチェスの大会は世界中であるしプロのプレイヤーもいる。でも国際チェス連盟(FIDE)や各国にある連盟が主催する大会は少ないはず」
「そうなんだ」
「FIDEやその下部組織が主催する大会、別のスポンサー主催のいわば非公式戦だけどFIDEが公認している大会、そして公認されてない大会がある。多分すべてがトーナメントでリーグ戦は私が知る限り無い」
ちょっと待って、と純子が口を挟む。
「FIDEって何の略? チェス(Chess)のCが無いから、ああ、フランス語か」
ひとりで勝手に納得する純子。調べてみると本当にフランス語(Fédération internationale des échecs)だった。
純子はフランス語もネイティブに話せる。ヨーロッパ系言語ばかりだと面白くないから中国語のTLPを選択したという、入学前から3つどころか5か国語以上をネイティブに操るハイパーマルチリンガル 。今は静香が知らないうちに使える言語が増えていてもおかしくない。
ついでにと調べると、FIDEは世界選手権とオリンピアードを主催し、日本チェス連盟が全国大会などを主催している。主催者が別にいる大会でも、FIDE公認の大会はレーティングに反映されるが、非公認の大会だと反映されないなどの違いがあるようだ。そしてやはり大規模なリーグ戦は無いみたい。
大規模な、というのは校内や職場内のことまではわからないからね。
「概念をテーブルゲームに広げても、プロが存在するのは麻雀やポーカーぐらいだと思う。どちらも賭け事の要素が強いかな。まあ囲碁や将棋にもその側面はあるけどね」
真剣師みたいに将棋や囲碁も巷の道場では賭け事が行われていたと聞く。知らないけど今も残っているかもしれない。
「私は幼い頃に将棋に触れる機会があったし、師匠に弟子入りして面倒みてもらったし、育成組織で鍛えてもらった。囲碁も含めて棋士はほぼそうだと思う。今まで考えたこと無かったけれど、世界的にみるすごく特異だな、って思う」
「でもさ」
静香の疑問を純子が受け取ってくれる。
「やっぱり囲碁将棋は野球とかサッカーとかに近いんじゃない? 育成だと甲子園とかユースとかあるじゃん。あっ、相撲とか格闘技もそうか」
純子の視点からの意見で、静香の中でも考えが整理される。
「なるほど。フィジカルな要素が少ない囲碁将棋、がスポーツに分類されることがあるのもそのせいかな」
静香は将棋の強さにフィジカルの強さが影響すると考えているけれど、さすがに相撲よりははるかに小さいはずだ。
「そうね。でもオリンピックみたいに、フィジカルな競争って大昔からあるじゃない? あれはやはり人類の闘争の歴史があると思うのよ。より優秀な戦士を、英雄を、ってね。人間じゃないけど日本の競馬も軍事的な観点から産まれ、今は賭博という大衆娯楽に移ったわよね」
「そういう考えもありか。あと将棋連盟や日本棋院は自治的なギルドだけど、他はそうじゃないという違いもあるわね」
将棋連盟は棋士と一部の女流棋士で構成されている同職ギルド。国際チェス連盟、国際サッカー連盟、国際オリンピック委員会もギルドではない。日本における競馬の主催者はJRA/NRAだけど、それらは国や地方自治体の管理下にある。日本プロ野球機構の構成員に到っては球団のオーナーだ。
「こうやって調べてみると、結局のところプロの競技が成立するかどうかは形態じゃなくて、それが人々に受け入れられるかどうかなんだよね。プロスポーツは人間の闘争を如何にルールを決めて競技にし、賭博やマスメディアを用いて娯楽としてファンに受け入れられるかだよね。囲碁や将棋も武士階級の教養や伝統の中で育まれたわけだけど、やはりファンに受け入れられるかどうかだよね 」
結局のところ、普及が本当に大事だってことだ。少子高齢化の波は厳しい。
「もちろんそれは重要だけど、それだけではないんじゃない?」
純子先生には他の視点もあるようだ。