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みんなで私の背中を推して  作者: 多手ててと
後編:大学生編
252/284

251.鬼神(13)

仕方がない。敵陣にいるこちらの竜と、相手の自陣に閉じ込めた竜を交換するしかない。静香はそう決めた。


8八歩、同龍、同龍、同玉、1八飛、8二飛、4二銀


そして互いに敵陣に飛車を打つ。しかも王手されたので守るしかない。


117手目、残り時間をほぼ使い切った海老沢先生が3六に角を打った。1八の飛車に当てて、同時に6三の成桂に紐を付けた。よく短い時間でこういう意地悪な手を思いつくなと感心する。流石はタイトルホルダー。私もそうなりたい。


1六飛成とすれば今打たれた角は詰むけど、八段目から飛車を動かすと、ひとりで相手の金銀を相手にしている5八の成銀が死ぬ。いずれ死ぬけど、せめて竜を(先手から見て)左辺に利かせないといけない。


3六角、2八飛成、2九歩、同龍、5八金、3五歩、7八銀、3六歩、同歩


橋頭保の成銀を失ったけれど替わりに角が手に入ったので、早速それを使う。


4五角 、6四成香、5五歩、5四桂打


さすが海老沢先生。残り時間を使い切って嫌な所に桂馬を打つ。角か金で獲れるけど、4六の桂が利いているので分が悪い交換になる。だから無視。


この対局はチェスクロック方式なので、持ち時間は秒単位で消費する。でもさすがにアマチュアの対局にあるような切れ負け、あるいは指し切りと呼ばれる持ち時間が無くなったら即負けとなるわけではない。持ち時間が1分より少なくなった場合はストップウォッチ方式と同じように1分将棋になる。


とは言え1分将棋は普通の棋士は当然だけど、タイトルホルダーにとっても簡単ではない。この後も泥仕合のようになってきた。


こちらは大駒が3枚あるけれど、竜は2九に閉じ込められてるし、1八の馬も3三の角も周囲がごちゃごちゃしていて利きが良いとは言えない。静香の金3枚も盤面の各所に散っている。逆に銀は全部海老沢先生の自陣にいて4枚とも守りに使われている状況で、本当にやりにくい。でもまだ勝てないとも思わないし、不利だと言いきるほどでもない。


だが159手目の3四桂。これまで秒読みの中をほぼノーミスで突っ走ってきた海老沢先生の手がようやく緩んだ。静香の玉頭を脅かしていた香を払うことにする。


2八金、 同銀、 5四馬、 8四龍


龍で馬を狙われた。静香の持ち駒は香が2枚しかない。その1枚を6四に打って合駒し、なおかつ相手の陣も狙う。


6六桂、8三香、 同龍、 6六香


桂馬で香の利きを止められるけど8筋の狭いところにもう一枚の香を置いて相手の竜を動きを悪くしてから、その合駒の桂を取る。ここには3三の角が利いている。


171手目、秒読みの中で3七香が打たれる。こちらの同桂成を強要されたわけだけど、問題ない。同桂成、 同銀、 6七桂と静香はこれまでの鬱憤を晴らすように攻める。局面が静香へと傾き始めたのを感じる。


177手目2五歩で王手をかけられる。取っても逃げてもいい。どちらが良いか迷うけれど、ここは海老沢先生に考える時間を与えないのが大切なので、ノータイムで1三玉へと逃げる。


海老沢先生は59秒の時間のギリギリまで読んで竜を下げて静香の馬を狙う。もうこの数手で盤面ははっきり静香に有利になっている。攻めにも使える桂馬を間に入れる。そこから駒の取り合いが始まる。


8五龍、 7五桂、 同龍、 同馬、 同歩、7九桂成


もう流れが止まらない。この次の香頭に打たれた6七歩も緩いと感じた。長い間引きこもっていた竜を動かす。5九龍。 6六歩と香が取られるけどもう役目は終えた。


8六香、 9八玉、8九成桂


この190手目で必至となった。後は無謀な王手を防ぐだけ。209手目2八金、 同玉


あと王手をかけることができるのは歩を打つことだけ。その段階でようやく負けましたの言葉が海老沢先生の口から出た。


「ありがとうございました」


用意されていたように口から言葉が出た。だが静香の心の中にはただ、終わった、という感覚しかない。静香の持ち時間はまだ十分に残っているのに、これまでの対局になかった疲れを感じる。


報道陣がこの特別対局室に入ってくる。


「途中までええ感じやったんやけどな。どこから悪くなったんやろな」


海老沢元鋭王の声がする。思ったより優しい感じ。いけない。感想戦が始まる。静香には勝者としてそれに応じる義務がある。


「そうですね。後手なのでずっと主導権を握られていましたが、振り返ると海老沢先生が秒読みに入られ、そして160手を超えるあたりから少しずつ良くなってきたかなと思います」


もう海老沢鋭王と呼んではいけない。シャッター音を聴きながら、静香は自分に言い聞かせた。


「ああ、桂馬が成り込んだのが早すぎたかもしれんね」


この私が鋭王になった。この私の手がタイトルに届いた。就位式はまだ先だけれど……


静香が将棋を始めてからもう何年になるだろう。奨励会にも随分長い間在籍した。四段昇段を決めた時も、女子オープン女王になった時も、チャレンジカップで優勝した時も、夕陽杯を始めて制した時も。そのどれもが静香にとって大切な思い出だ。


そしてこの今の気持ちも静香は一生忘れないと思う。

プロットではこの対局負ける予定でした。作った棋譜のファイル名からして「海老沢_あいがかり負け.kif」

この先ちょこちょこ変えないといけません。

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― 新着の感想 ―
作者の想像を超えるバフがあったか…!
作者の構想すら変えてしまう程ファンの声援が多かったんですね
作者から背中を押されたから運命も変えられたんですな
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